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ファイヤーサンダー 9 秋色の幸せ

「ねぇ、日向、これやっぱおかしくない?」 「ないない。ちっともないよ」  いや、そんなヘラヘラ笑いながら言われてもちっとも信用できないんだけど。父さんも睦月も、何度訊いたって「大丈夫」しか言わないし、一番信頼している最愛の人は「ふふふ」なんて呑気に笑ってるばかりだし。 「ねぇ、日向、これ、つんつるてんじゃない?」 「ないない。ないってばぁ」 「……本当にぃ?」 「うんうん」  ふわりふわりと君の毛先が秋風に揺れて楽しそうだった。俺は、短くしたばっかりの髪同様、揺れて楽しげになんてなれそうもないよ。 「うん。ちぃぃっともっ」  君のご両親に挨拶に行くんだから。  ――日向、あのさ……ご両親に挨拶、したいんだ。  そう、君と電車に揺られて帰る途中、ついに話した。君は、少し驚いていた。  うん。わかってる、「挨拶ならもうしたよ?」って、そう思ったよね。「お付き合いさせてください」っていう挨拶なら、もうとっくに済ませてる。とてもたくさん傷ついた息子を守ろうとしたご両親にちゃんと俺とのことを認めてもらいたくて、ずっと一緒にいようって誓った時に二人で話したんだ。  好きです。  交際を認めてください。  そう話した。ご両親は、少し間を置いて、ゆっくり丁寧に頷いてくれた。「はい。いいですよ」と優しい声でそう答えてくれた。  でも、君は来年、家を出る。海の近くにある美容院にわざわざ就職することにした。俺との未来を選んでくれた。 「カッコいいってば」 「本当にぃ?」  ずっと前から決めていたんだ。二十歳の誕生日、初めての晩酌、っていうのかな、なんて言ったらいいのかもわからないけれど。でも、お酒を飲めるようになったら、日向のお父さんと飲みたいって決めていた。  ちょっとビビって足踏みしてしまったけれど。 「やっぱ、買えばよかった」 「えー? 家呑みするのにスーツ新調なんてしないでしょ」 「けどさ」 「また一年でぐんと伊都は大きくなりそうだもん」 「……なんか、その言い方だと太ってくみたいなんですけど」  楽しげな君の笑い声がハロウィン目前の秋空に響き渡った。平日だから、今週末、あっちこっちで仮装パレードがあって、街中が少しはしゃいでる。それにも負けないくらい元気な日向の笑い声にこっそり安堵した。  大学の入学式の時に買ったスーツくらいしか正装といえるものがなかった。着てはみたけれど、一年で胸板が厚くなったせいで、ちょっと窮屈になったし、変にむっちりしてる気がするし、とにかく「つんつるてん」な気がするけれど。  無理しすぎで体調を崩して、それでも頑張り続けた細い身体がぴょんぴょん、って跳ねていた。子どもみたいに歩道のタイルの白だけを踏んでいいルールで飛び回って進む日向。その後ろ姿をチラリと見て、秋風に晒されるうなじの白さにまだ少し心配だけれど。 「ふふふ」  君がとても嬉しそうだから。  もう、つんつるてんでもいいかなって。 「足、崩してくださいな。晩酌をって誘っていただけて嬉しかったわぁ。スーツでなんてかしこまらなくてもいいのに」 「いえ」  もう見慣れた日向のうちのリビング。時計の隣にあるカレンダーはお母さんの好きな花の写真で、うちの家にはない色がふわりと広がってる。あっちこっちが薄いピンク色で統一されたリビングとキッチンは、日向のほっぺたみたいだなぁって、思っちゃうんだけど。  あと、少しだけ、俺のお母さんが生きてたら、こんな感じなのかなぁと……思ったりもするけれど。 「まぁ、日本酒。わざわざありがとうね。お父さんの好きなお酒を選んでくださったなんて」 「いえ。お口に合うといいのですが」 「ふふふ、いつもどおりにしてて。あ、ジャケット。脱いでてくださいな? 寒いかしら。ねぇ、日向、伊都君のジャケットを」  笑い方が日向そっくりなお母さんが、肩を竦めて、くすぐったそうにした。隣にいた日向に声をかけて、リラックスできるようにって。 「あの……本日はお時間を作ってくださりありがとうございます」  胸いっぱいに空気を吸い込んだ。水の中に飛び込む、大事なあの一瞬みたいに。 「お酒をいただく前に、あの、日向さんのお父さんお母さん、お話ししたいことが、あります」  リビングにいるお父さんと、雰囲気を感じ取ってお父さんの隣にお母さんが座ってくれた。日向は俺と並んで少しだけ離れたところに控えるように座ってくれている。 「来年の春から、日向さんは新しいところでひとり暮らしを始めます」  日向にもまだ何の話をするのかは伝えてなかった。挨拶したいって、言ったら、ただ頷いてくれて、笑ってくれた。 「そこに、俺が、日向さんの新しい住まいに行くことを許していただきたいんです」 「……」 「もちろん、引っ越しとか手伝います! ただ、その、たとえば、週末とかできる限りで一緒にいる時間を、作れたらって思っています」  君は俺だけの宝物じゃないから。二人にとっても宝物だから、そんな君が住む新しい場所に俺の居場所を作らせてもらう時は、二人に挨拶をしてからって、ずっと思ってた。  君の場所に俺の場所を作ることを二人に認めてもらってから、ちゃんと作っていきたいんだ。君をずっと、ずっと、守り続けていたのは二人だから。 「ご両親が来る時とか、あと、日向、さんが、こっちに帰省の時とかはその邪魔はしないように」 「邪魔してください」  答えてくれたのはお父さんだった。日向に似て、優しい雰囲気をまとった人が丁寧に笑ってくれる。 「むしろ私たちが邪魔をしないようにしないと、だな」 「いえ! あのっ!」 「日向がうちからも専門学校からも遠いところを就職先に決めた理由は充分わかっています。大変そうだけれど、ガンバレって応援しています」 「……」 「日向をとても大事にしてくれてることをいつも嬉しく思っています。それと」  ひとつ、お父さんが呼吸を置いた。手元をじっと見つめて、そして、ゆっくりと日向を見て、それから俺を見た。 「それと、伊都君でよかったって、本当に思います」 「……」 「距離がある分、大変だとは思うけれど、ぜひ、二人で、頑張ってください」  お父さんとお母さんが頭を下げて、俺はそれよりもずっと深く頭を下げた。感謝と感激と、なんか、もうわからないけど、一年でずっと厚くなった胸いっぱいに零れそうなくらい溢れてくるあったかいものを噛み締めながら。 「……はい。是非、こちらこそ、宜しくお願いします」  そう、返事をした。  ――でも、改まってるから、あらあらもう結婚式かしらってドキドキしちゃったわ。  そうお酒が入って高らかに笑うお母さんが教えてくれた。  やっぱ、そう思ったかな。拍子抜けだった? お父さんもお母さんも、それに、日向も。 「日向」 「んー?」 「結婚、とか、は、また、俺がちゃんと社会人になってから! するから!」 「うん」 「その、今回はがっかりとか、させた、かもだけど」 「んーん、してないよ。がっかりなんて」  本当に? けど、すごく楽しそうに笑ってただろ? 二人が待つ家に向かう時にさ。 「俺、伊都しかやだもん」 「……」 「だから、日向をください! …………って、そう言ってくれるのをずっと待ってられる」 「……日向」  もう夜の秋風は冷たくて君の頬を冷やしてしまいそうだけど。 「それにしても、伊都、ちっとも酔わないね。お酒強いんだ」 「いや、今日はだって緊張しまくってたからじゃない」 「そ? ふふ……そっかぁ。俺はねぇ、酔っ払ったかなぁ」 「みたいだね」  君の頬は秋風じゃ冷えそうもないくらいに赤く染まってた。 「だって、伊都、めええええっちゃ、カッコよかったもーん」 「ちょ、日向、声」 「ふふふー」  酔っ払った君はとても楽しそうだ。 「ふふふふふ」 「ねぇ、日向」 「んー?」  楽しそうで可愛くて、これはとっても危ないや。 「ぜっったいに職場での飲み会は俺のお迎え付きの時だけにして」 「えー? すっごい遠くても?」 「そう! すっごく、遠くても!」 「こーんなに、遠くても?」 「こーんなに、遠くてもっ!」  無防備な笑顔とか晒さないで。君にようやく追いつけそうな俺はまた慌てて、酔っ払いの君を追いかけて、捕まえて。 「大好きだよ。伊都」 「うん。俺も……」  まだ俺はなれていないけれど、いつか、なるよ。 「伊都?」 「……」  まだ君を何からも守れるヒーローにはなれていないけれど、いつか、なってみせるから。 「伊都? どうかした?」 「ううん。なんでもない」  ――ファイヤーサンダー!  そう、火だって雷だって、なんだって出せるスーパーヒーローに……はなれないけれど、この二本の腕で君のことは何からも、絶対に、必ず守ってみせるから。 「伊都?」 「……愛してる」  ぎゅってした。ぎゅっとこの二本の腕で君を抱き締めながら、そう告白したら、なんだか、周囲で騒がしかった鈴虫が本当に鈴でも鳴らすみたいに、辺り一面に、この広くて高い秋空に、軽やかにベル音を響かせてくれた。

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