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バレンタインSS 1 君に会いたい
冬の日向は特別綺麗だと、思う。
白い頬が寒さでほんのり色づいて、吐く息の白さにすらドキドキしてしまう。細く柔らかい髪、前髪は最近伸ばしてるのか、視線の邪魔をするらしくて、目にかかるそれを白い指先が払う仕草は、なんか、目が離せなくて。襟足を短くしたせいで、最近、うなじのところがさ、目に毒っていうか。思わず、マフラーに感謝しちゃうような、色香がそこから漂ってる気がするんだ。
――伊都。
「……」
あ……ちょっと失敗。声までは思い出しちゃダメだった。恋しさが募る。そして、我慢をしなければと、自分をなだめないといけなくなる。
「はい。では、今日の講義はここまで」
こら、俺、大事な講義の最中に何を考えたんだよ。もう。
けど、会えてなくて、不足してるんだ。日向不足。年末までも普通にすごく忙しかったけど、年明けから日向は向こうでは成人式のヘアーメイク、こっちでは卒業前の課題作成が大詰め。
会えたのは、俺たちの成人式の時がラストだった。けど、真面目な君は当日の朝まで、仕事のほうを手伝ってたんだろう。式の間中何回もあくびをしていたっけ。
式の後、飲みに行ったんだ。
君は少し不服そうな顔をしていた。皆で飲むよりも優先させたいのにって顔をしてた。俺も、そうだよ。日向とふたりっきりがいいよ。でも、実は、君と話したがってる同級生って案外多いんだ。忙しい君に遠慮してるけれど、皆も日向と飲みたいって思ってたから。彼氏の俺は我慢しないといけないでしょ。君を一番独り占めできるのは、俺なんだからさ。その日くらい、譲ってあげられる余裕がないと。
あと少し、あともう少し、そしたら、もっとたくさん一緒にいられるから。そうお互いに言い聞かせて。それぞれに今やるべきことを、頑張ろうって。そんなふうに成人式の時は我慢したんだ。
そしたら、成人式の後、今度は俺も忙しくなってさ。忙しいっていうか、論文が、まぁ、驚くほどはかどらず。
「よう、伊都」
「平原」
前はよく女子もいる飲み会に誘ってきてたけど、付き合ってる子がいるからって言ってからは男子のみの飲み会だけ誘ってくれるようになった。
不思議らしい。
彼女がいると言うわりには、付き合ってるような気配がちっともないけど、でも、女子を避けまくることが。
別に話すくらいいいだろ。飲むのだって、友だちが女子ってだけのことで、別にそれでいちいち怒られたり、束縛されたり、そういうの面倒じゃねぇ?
そう前に飲んだ時話してた。
別に束縛されてるんじゃない。怒られるとかでもない。そういうのじゃないんだ。
「皆、今日のお昼に裏通りのところにできたラーメン屋さんに行くんだけど。伊都もどう?」
「あー、うん、行こうかな」
平原のいうラーメン屋は大食いメニューがあって、うちの大学、体育会系ばっかだから、けっこう皆そこにこぞって集まってる。数人成功したらしいけど、俺の周りではまだ成功者は出ていない。制限時間内に完食できたら無料。できなかったらそのラーメン代金を支払わなければならない。
「え。大食い挑戦するの?」
「いやぁ、さすがにしないけどさ」
けど、日向ならいけちゃうかも。あんなに細いのにすっごい疲れた時はすっごい食べるんだよね。底無しの胃袋なのかと思うほど、食べる時がある。リスが……リスがさ、一生懸命どんぐりを齧ってるみたいで、すごい可愛いんだ。あんまり見てると怒られるんだけど。
――た、食べにくいよ。
頬を赤くして怒るから、それもまた可愛いんだけど。
「すればいいのに。お前、なんか飄々とした顔でたいらげそう」
だから、ほら、ダメだってば、声までは思い出さないようにしないと。
「俺、どんなキャラなの」
「あはは、そういうキャラ」
伊都、華奢なのに。っていうか、むしろ、糖質たくさん取りなよって言いたくなる。細くてさ。この腕にすっぽりと……。
――伊都ぉ。
「!」
だから、俺、バカだな。
「伊都? 行かねぇの?」
「あ、うん」
募るからダメだってさっき思ったばっかりじゃん。
「今、行く」
けど、声も姿も、全部丸ごと、君のことを簡単に思い出せるほどに、仕方ないんだ。君が好きっていうのが溢れて零れるくらいたくさん俺の中にあるから。
平原は水泳も得意だった。、バタフライのフォームがすごく綺麗なんだ。羨ましいなぁって、だから最近、見習って肩のストレッチを入念にやるようになったけど、まだまだ、彼ほどにしなやかには泳げない。
夏には泳げるようになりたいなぁ、なんて、密かに思ってる。タイムとかのためじゃなくて、夏、もうその頃には日向は向こうに一人暮らしをしているから、そしたら、一緒に近くの海岸に行って、海で日向に見せたいなぁと目論んでたり。
「皆、惨敗だったなぁ」
のんびり、というか、早く歩くのはちょっと難しいくらい、胃袋にラーメンを詰め込んだ一団の最後尾を歩いていると、平原も少し丸く膨れてる腹の辺りを手でさすった。
「俺はきっと無理だよ」
「えー?」
「でも、今度連れてってみようかな」
「彼女?」
「あー、うん。付き合ってる子、けっこうしっかり食べるから」
平原には「彼女」になる。けど、俺はそれを毎回言い直してる。
「ふーん」
なんか日向ってたまに変なとこにスイッチがあってさ。そういうところも可愛いんだけど、妙に負けず嫌いっていうか。
なんか、儚げな感じがするけど、芯が強くて、たぶん、ああいう大食いのとかスイッチがオンになる気がする。
――いただきます!
そう言って、キリリと眉を上げてさ。
「つうか、最近会ってる? なんか、そうでもなくねぇ? 会う頻度がさ」
「今は学校も別だし、インターンシップで仕事もしてるから、かなり忙しくてなかなか会えないんだ。けど……会ってるよ。電話もしてる
「本当かー?」
「ホントホント」
そんな君を想像したら、会いたくなっちゃうから、我慢してるんだけど。でも、やっぱ、ダメだね。こうして誰かに話したりすると、すごい溢れてくる。
会いたい。
触れたい。
声が聞きたい。
ね、日向、最近、俺は君の声をよく思い出す。成人式のヘアーメイクカタログを一生懸命見て研究している君との電話は言葉少ないけれど、でも、俺はそれでもいいよ。小さく「うーん……これって、どうなってるんだろう」とその場にいない俺にはちんぷんかんぷんなことを話す君の、外行きじゃない、いつもの飾りっ気のない声を耳にするだけでも。
『あ、この服、伊都に似合う……』
えー? 見えないよ? どんなの?
『今度、持ってく。写真撮って』
君の独り言に何気なく混ざり込んでる俺の名前が嬉しかった。君の中に俺はちゃんといるんだなぁなんて思えた。
今度、写真、持ってきてくれるんだっけ。いつ頃かな。早く、写真見たいよ。
「会えてないけど」
「……伊都」
早く君に会いたい。
大学終わったら電話してみようかな。少しだけ、声を聞きたいから。それなら無理はしない範囲でしょ? 日向。
「次、会えるのは、バレンタインかなぁ」
そうポツリと呟いて、まだ満腹すぎて足取りの重そうな同級生を眺めていた。
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