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バレンタインSS 3 君にすごくすごく会いたい

「し、しんど……」  思わず、そう独り言を言ってしまうくらい。 「あ、おかえりー」 「ただいま……」 「……なんか、ぼろぼろだね」  うん。本当にボロボロだ。本当に戦場みたいだった。チョコレートの戦場だった。だから、なんか変な達成感があるくらい。 「ちょっと、愛する人のために戦ってきた」 「え? 日向君?」  コクンと頷いて、珍しく鉛のように重くなった足で部屋へと向かう。 「ぁ、そうだ。父さん」 「んー?」 「チョコ」  覚えてる? 大昔、睦月のいる初めての、そして最初のバレンタイン、俺を連れて、デパ地下で買ったチョコレート。試食をもらってさ、すごく美味しくて、絶対にこれがいい! これを食べたら睦月はきっと喜ぶよ! って、俺のイチオシだったチョコレート。 「うん。買ったねぇ」 「あのチョコ、睦月、喜んでた?」  何を思い出したのかはわからないけれど、真っ赤になって、ポカンと開けた口は何をどう話そうかと迷っているようにも見える。そして、口の中でごにょごにょと、答えを誤魔化して、赤くなったその頬を指先で掻いていた。でも、うん。すごく喜んで食べてはくれたんだろう。美味しかったし。それに、今、その初めてのバレンタインを思い出した父がとても幸せそうに照れているから。  俺も、買ったんだ。 「晩飯の前にお風呂、入ってもいい?」 「ど、どうぞどうぞ」  睦月みたいに喜んでくれるだろうか。俺が戦場からもぎ取ってきたチョコレート。 「……美味しいかな」  さっきちょっと味見したけどさ、きっと気に入ってくれると思うんだそう願いながら、あとで夜電話をしたいから、今のうちにと風呂場へ向かった。 「やっぱ、お前、器械体操いけるって」 「……平原」  体操の授業を終えて、クールダウンをしている時だった。先にストレッチを終えた平原が、そばにしゃがんで、まじまじとストレッチをしているところを観察してる。  器械体操の選手並みだよって褒めてくれる平原に、ニコッと笑って、グンと手を前へと伸ばた。開脚でストレッチ。顎を床に置くように上体を伏せて、手を前へと伸ばす。けっこう、べたーってくっつくんだ。  身体が柔らかいと筋肉もしなやかになる。もちろん関節も自由度が増すから、泳ぐのにとてもいい。水泳にも柔軟性は大事だからさ。ストレッチは入念に、でもダメージにならない程度に。  日向も柔らかいんだよね。身体。  ――伊都、これ、やだ。全部見えちゃう。 「! イタッ! つ、つった!」  すごい感じの、セクシー日向を思い出して、ここ、体育館だし、今、目の前に平原いるしで、慌てた拍子に力んで、太腿の内側をつってしまった。痛みに身動きが取れないまま悶絶していると、平原がすかさず足のストレッチを手伝ってくれる。 「だ、大丈夫か?」 「あははは、ごめん、ありがと」  もう完全苦笑い。まさか、思い出すのがセクシー日向だったとは。昨日、抜いたんだけどなぁ。さすがに、二回連続で朝から洗濯機回しながらの一人反省会はしたくない。 「……今日、バレンタインだなぁ」 「あー、うん、よっこいしょ」  あ、すごい、今のじじくさかった。けど、そういうのも日向がいうと可愛かったりするんだ。想像したら、絶対に可愛いっていう確信がある。 「この後、楽しみじゃね?」 「え? ぁ、あー……週末になったんだ」 「え?」  少し驚いた顔をされて、愛想笑いで返事を済ませた。 「なくなっちゃったの?」 「うん。忙しいからね。向こうは卒業間近だし」  立ち上がって、なんとなく足りないストレッチの追加に両手を高く天井に向かって伸ばした。  さてと、って、そろそろ閉めるだろうから、体育館から出ないとだ。 「……そっか」  その時だった。平原を、体育館の出口のところで数人のグループが呼んでいた。 「そしたら、今日飲み行かねぇ?」 「……」  気を使ってくれてるんだと思う。  けど、今日は、普通に帰るよ。特に予定はなし。まだきっとこっちにいるかな。そろそろ向かうかもしれない。ふと見上げた時計、時刻がもうそのくらいの時間になってた。たまに、時間があると。  ――ブブブ  ちょうどこのくらいの時間帯に日向が「行って来ます」メールをくれる。 「あ、ごめん、電話」  そのメールに「行ってらっしゃい」って返事をして見送るんだけど、今日は違った。すごく珍しく電話だった。 『も、もしもし? ごめんね』  日向の声だ。そんなに疲れては……うん、なさそう。 「ううん。平気。今から帰るとこだよ。今日、ラスト体操だったから、ストレッチしてた」 『ぁ、木曜だもんね』 「うん。今から向こう?」  澄んだ綺麗な声。日向の声だ。 『うん』 「そっか、気をつけて」  あいつら、呼んでるよ? って、ジェスチャーで平原に教えてあげた。飲み会に行くんでしょ? って、電話をしながら、指差しで体育館の出口を指し示した。 「伊都も来いよ」  あー、ごめん。  そんなジェスチャーをして、カバンを持つと、平原を待っている一団のほうへと歩いていく。通りすぎる時、飲み会好きなもう一人に手を小さく振って、そのまま体育館を後にした。 『伊都? 誰か、いるの?』 「あーうん。いるっていうか、いた。なんか大学の飲み会。皆で飲むんだって、けど」 『行ってきなよ』 「いいよ。別に。それに、まだレポートやってから帰るし」  本当なんだ。シャワー浴びて、そんで、資料室のほうに寄ってから帰るから。 「だから、また夜電話させて?」 『……』 「気をつけてね」  そこで電話を切った。 「さてと……」  また、手を伸ばして、背中の筋肉のストレッチ。  次の戦場は、レポート地獄からの脱脚作戦、なんちゃって。バレンタインチョコ争奪現場よりは……うーん、まだ、楽、かな? なんて思いながら、君と話した耳のとこがじんわり火照るのを感じた。

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