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一人暮らし初夜編 2 久しぶりのデート

「ねー、日向ぁ、これはどっちに置くの?」 「あ、それは、部屋に置いてもらってもいい? ありがと、玲緒」 「あいよー」  玲緒がダンボールを重ねて二つ、ちょっとおじさんくさく掛け声をかけつつ、日向の指示した場所へと運んでいく。  重たかったらしく、腰をゆっくり伸ばし、軍手で汗を拭って立ち上がると、ぐるりと部屋を見渡した。 「けっこう早くに終わりそうだね。一人暮らしだもんねぇ」  引っ越し業者とかは頼まなかった。そうたくさん荷物があるわけじゃないし、やっぱ節約はしたいし。父さんとか睦月とか、あと日向のご両親にも自分たちだけで引越しをしたいって伝えた。手伝ってもらったほうがさ、なんだってテキパキ終わるだろうけど、これからやってくっていう意味で自分たちでやりたいって思った。 「ふぅ」 「ちょっとお昼休みにしようか」 「あ! やった!」  玲緒は……高校の時に付き合ってた子と、別れてしまった。つい最近のこと。日向が一人暮らしをするのはずっと前に決めてあって、その時は、玲緒の彼女も手伝うって話してたんだけど、春が来る前に、終わった。 「うちのお母さんがおにぎり作ってくれたからさ」 「ありがたや」 「っぷ、玲緒、おじさんくさいよ」 「腰だけはおじさんかも。お茶お茶、あ、コップとかさっきの箱の中だよね?」 「うーん」  立ち上がるのが億劫だったようで玲緒はハイハイをしながらさっき自分が部屋の隅に置いたダンボールを開けて探った。 「うお! これは!」 「わ、何? 手切っちゃった? 玲緒、どうかした? バンドエイドなら」 「ふふふふふー日向ぁ、何? このペアマグ」 「!」  ――まぁ仕方ないよ。なんか最近、距離感じてたし。やっぱさ、環境違うとすれ違うじゃん? だから! 伊都と日向が珍しいんだって! すごいと思うよ! 全然、生活違ってるのにさ。  別れたと聞いた時、玲緒はそう言って笑った。 「こ、これはっ」 「オレンジとグリーン。にんじんバカップルね」  お揃いのマグカップはこの間買ったんだ。二人でたくさん一人暮らし用にって買い物した。これはそれの後半、もう家電とか買い終わった後、食器を買いに行こうって言って、わざわざ電車で三十分かかる大型の家具店まで行ったんだ。すごい可愛いけどシンプルな食器があるんだって、ってお互いに調べて、写真とか交換しながら、あっちの店がいい、こっちの店だとちょっと高すぎるかも、とか電話で話して。またね、って電話を切っては、切なくなってた。 「いいじゃん、いいじゃん。ホントっ! ラブラブだよね」  真っ赤になった日向に玲緒が笑いながら、そのマグを日向に手渡す。  玲緒は、彼女と別れたと話した時、少し寂しそうに笑って、溜め息を一つだけ零して、すぐに、いつもどおりに戻った。もう、玲緒の中でも思い出になっているみたいだった。  皆が皆、ずっと付き合ってくわけじゃない。  すごく不謹慎だけれど、玲緒の笑った顔を見て、そんなことを実感したりしたっけ。 「っていうか、日向ってよく食べるけど、もしかしてお母さん似?」 「んーどうだろ。なんで?」  たしかに日向はすごくよく食べる。その細い身体のどこに入るんだろうと思うくらいによく食べるけど、そっか、なるほど。 「おにぎり、でか!」 「そ?」  お母さんに似たんだ。日向の手をパッと広げたくらいの大きさはあるおにぎりがごろんごろんと保冷バックから転がってきて、玲緒のびっくりした顔と、日向の不思議顔、それと大きな大きなおにぎりがなんかすごく楽しくて笑ってしまった。  けれど、それからちょっと経って、俺のおにぎりの具、鮭と昆布と梅干と、それからシーチキン。四つあるんだって衝撃の真実に気が付いた。 「今日は、本当にありがとう。玲緒もご飯一緒に食べていこうよ」 「んー、そうしたいとこなんだけど、お邪魔虫だし」 「そんなことっ」 「あと、明日、朝からアルバイトなんだよ。春の短期バイト」 「え! そうなの?」  アグレッシブでさばさばしてるとこがあるんだ。昔っからそう。水泳もけっこうサラッとやめたし。 「そ、だから、また今度ね」 「ぁ、うん」 「それにしてもすごいねぇ」 「?」  日向が首を傾げて、けっこう伸びた髪がサラリと揺れた。 「ここ、伊都と日向の地元からかなり遠くない? こっちにあるんでしょ? 勤め先の美容院」  そう、けっこうあるんだ。近くに大きい入り江海岸があって、そこは毎年夏に海水浴で賑わう。でもそこから少し離れたところは波がかなり高くてサーファーが多いんだ。夏に、俺がレスキューのバイト、したいなぁって思ってたから、それで日向がこっちの美容室に就職を決めた。 「すごいよ、ホント……」  就職予定の美容院にインターン生として週何回かこっちに通って、学校行って、課題こなして。 「すごいことなんだよ」  日向が選んだ未来は隣に俺がいることを前提にしたものばっかり。  それを普通に、不安もなしに選ぶ強さのある人。 「大事にね」 「……うん」 「にんじんバカップルー」 「玲緒! 気をつけて!」  気がついたら、手を繋いでた。  玲緒が手を振って、二人で手を振り返して見送った。 「……俺も、すごいことだと思うよ」 「日向?」 「だって、俺、伊都とずっといるって、なんか普通に思ってるもん」 「……」 「そんなこと、すごく珍しいと思う」  日向の初恋は俺じゃない。好きな人がいた。友だちだった男子を好きになって、けれど、ダメだった。ダメになったけれど、その時はたしかに日向はその男子のことが好きだった。  もう別れてしまったけれど、玲緒も彼女のことが好きだった。大雪になったバレンタインデー、中止になったマラソン大会、電車が止まるかもしれないのに、その彼女のところに告白しに行ったくらい、その時は本当に好きだったけれど。 「ね! 伊都! まだ、疲れてない?」  パッと、日向の弾んだ声で周囲が明るくなった。 「え、うん。平気だけど」 「ホント? たくさん、引越しのしたでしょ?」  あのね、俺、これでも水泳選手だよ? レスキューやりたいって思ってるんだよ? 男子の一人暮らし分の荷物くらいでへばらないよ。 「そしたら、俺、買い物行きたい!」  服とか靴とか、そういう買い物じゃなくて。そこら辺のスーパーマーケット。 「うん。行こう」  スニーカーに動きやすい服で、夕飯の買い物をするんだ。今日はちょっと疲れたから、お惣菜でいいよ。おにぎりは……ね、日向それじゃ足りないでしょ? それだけ炊いてさ。あとは好きなおかずを買おうよ。 「やった!」  デート未満のショッピング。でも、今までしたことのない、そして、それはすごくしてみたかったデートだった。 「伊都!」  課題に、新生活の準備に、トレーニング、それぞれにやらないといけないことがたくさんあったから、デートは久しぶり。そんな、久しぶりのデートはここから歩いて五分、海沿いのところにいある、キャベツが九十八円のスーパーマーケット。

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