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夏風邪編 3 バッカだなぁ
えーっと……今日は大学の課題もレポートも全部大丈夫。日向が今日休みだから、どこにも寄らずに帰れるようにって、めちゃくちゃ張り切って昨日のうちに全部片付けたんだ。だから、大学行って……ぁ、そうだ、今日って体操があった。
「……はぁ」
つい、溜め息が零れた。体操、側転バク転、倒立からの……なんて考えただけで頭が割れそうに痛み出す。
「っ」
なんか、ちょっとだけ起きた時にイヤな予感はしてたんだ。
朝さ、起きたら、ずーんって頭が重くて、すこーしだけ寒かった。あと、ちょっとだけ背中と首の辺りが痛かった。関節も、かな。ミシミシって軋むように痛かったけど、でも、まぁ日々運動してるから、どっか痛めたのかなぁとか、疲れてるのかなぁとか思ってみたりして、誤魔化した……んだけど。
「はぁ」
誤魔化せてなかったらしい。
これは熱、かなぁ。寒い。あと、クラクラする。食欲もあんまりない感じ。寝てたい。っていうか、横になりたい。
これは、やっぱり、夏風邪引いちゃったかなぁ。
「……あれ? 伊都じゃね?」
けっこうしんどい。廊下歩くのに、力が入らなくて、思わず壁に手をついて歩きたくなるくらいには、しんどい。でも――。
「おい、伊都」
「……平……原?」
「おまっ、おい、大丈夫か?」
「あー……どうだろ」
大丈夫じゃない、かも。
「熱、あんじゃね? 顔、真っ赤だぞ」
「あー、あはは……そう?」
けど、今、ちょっと寒いんだけど。氷の中にいるみたいに寒くてさ。力なく笑うと、平原が俺の肩にかけていたリュックを代わりに持ってくれた。
「今日って、白崎さん、休みの日だろ?」
「あー、うん……」
美容師だからね。毎週同じ曜日がお店の定休日。平日だから、俺は大学で。俺が休みの週末は日向が超忙しくて。すれ違うけど、帰るとこが一緒だから全然平気。俺はその週末にできることは片付けとくんだ。掃除に買い物、それから大学のレポートなんかも、その週末にやっつけて。夕飯はもちろん俺の当番。それで、一緒に「いただきます」って挨拶をして食べるんだ。
「なら、うちにいねぇの? 連絡して、迎えに来てもらったほうが」
「それはっ、ダメっ!」
思っていた以上に大きな声になった。平原が目を丸くするくらい。
「ごめ……声、でかかった。けど、大丈夫、普通に帰れるから」
「けど」
「へーき、ありがと」
ニコッと笑ったんだけど、でも平原の心配顔はもっと深刻そうになってしまった。
でも、ホント、大丈夫だから。
「日向に心配かけたくないんだ。それに、今日、休みなんだから」
「……」
「昨日の朝早かったし、ゆっくりさせてあげたいんだ」
自己管理がなってないって睦月がいたら叱られた。風邪を引いちゃったのは、俺自身のせい。でも、もしも日向がいたら、日向は絶対に自分のせいって思うから、だから早く直すか、夜まで平気なフリをして、一晩で気合で治す。
へーき、日向には――。
「バーカ」
「……平原?」
「おっまえ、バッカだなぁ」
「……」
熱でボーっとしててもわかる呆れた声、それと、びっくりするくらいに大げさな溜め息。
「お前だったら、どーよ」
「……」
「お前が休みの日でさぁ、白崎さんが具合悪いの隠して無理して仕事してたら?」
「……」
前に、そんなことがあった。まだ離れて暮らしてて、お互い連絡はメッセージでのやりとりと、それから電話の声だけ。俺は課題が山盛りで、日向は専門学校の課題と、インターンで通ってた今の職場の行き来と練習にいっぱいいっぱいで。ヘトヘトすぎて倒れたんだ。
心臓止まった。
倒れてる日向の真っ青な顔を見た。
息するの忘れた。
そんで、自分の不甲斐なさにめちゃくちゃ落ち込んだ。
「だろ?」
何も言ってないのに、得意気な笑みを浮かべてる。
「だから、迎えに来てもらえって。どーせ、白崎さんが休みだからって昨日までにむちゃくちゃ頑張ったんだろ?」
「……」
「もういっこ」
「?」
熱でヘロヘロの俺に代わって持ってくれていたリュックを突っ返した平原が、にやりと笑った。
「もしも、白崎さんが具合悪いー、ぐえー、ぎょえー、うえー……っつってさ、しんどいからって甘えてきたら、お前、どーよ」
どーよって……。
日向は、ぐえーも、ぎょえーも、うえーも、言わない気がするけど、でも。
「じゃ、俺はこれから体操なんで!」
でも、具合悪いからって甘えてくれたら、そりゃ、張り切るよ。ドンと頼ってよって思うよ。そんで、単純にさ、頼って甘えてくれたことに、嬉しくなるよ。
平原は俺の答えを聞く前に、体操のレッスンへと体育館へと向かった。俺よりもずっとホントに上手で、選手としてもやっていけそうって言われてるのに、今も変わることなく指導者になりたいって、案外頑固な平原が、すごく楽しそうに、体操のフロアへと小走りしてた。
日向のせいじゃないよ? 濡れたままだったから、じゃないかも。そもそも雨に濡れて帰ってた時点でアウトだったのかも。だから、本当に気にしないでね?
「……」
スマホの向こう側、日向のスマホを呼び出して、数秒くらい。
立ってるとちょっとしんどいから、エントランスの壁に背中を預けた状態で、電話をかけた。熱が上がってきてるのかも。背中のミシミシって痛みが増してる。だから、壁と背中の間のリュックをクッションにしてないと、寄りかかるのもひどいしかめっ面になっちゃいそう。
『伊都?』
「うん。あの、ごめんね」
頭がボーっとする。
『うん』
「あのさ、悪いんだけど……熱、出ちゃって、その、もしも可能なら」
『伊都、あのね』
「うん……」
クラクラする。関節、めちゃくちゃ痛い。
『朝、行って来ますの時、なんか熱っぽかったから』
立ってるのしんどいなぁ。
『その、迎えに来ちゃった』
「……え?」
『どこにいるのかわからないけど、言ってくれたら、迎えに行くよ? 部外者だけど入って平気?』
「今、いるの?」
しんどかったんだけど。
『うん、いるよ』
だけど、少し、楽になったんだ。
――門のところに。
君がいたんだ。ほら。
それでさ、君を見つけたら、ホッとして、少し、背中の痛いのが和らいだんだ。
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