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夏風邪編 4 家族の定番
一人で電車で帰ってくるのって、けっこう試練というか、もうただただ忍耐の時間になっただろうなぁ。
「伊都、大丈夫?」
電車の揺れすらしんどくてしんどくて、必死に何かを堪えてたと思う。でも――。
「俺の肩に頭乗っけてていいよ、って、あんま背が足りないから、首、逆にしんどいかな。どっちがいい? あっ、肩にタオル乗っけたらどうかな」
でも、君が一緒にいてくれるだけで身体が楽になる。
君が隣にいてくれるだけで、気持ちが強くなる。
「んーん、平気……こうしてる……」
俺よりずっと細い君が電車の中、笑っちゃうくらいに背筋を伸ばして座ってる。俺の首が痛くなってしまわないように、肩を枕代わりにできるように、精一杯背を伸ばしてくれる。
「ありがと……日向」
「……うん」
ただそれだけで、眉間にぎゅっと込めた力が和らいで、苦しかった呼吸がゆっくり落ち着くんだ。
「痛くない?」
「んーん、全然」
細い肩だなぁ。
「眠ってていいからね」
「ん、ありがと」
「うん」
「ね、日向」
同じシャンプー使ってるはずなのに、どうして日向のほうがイイ匂いなんだろう。不思議だ。
「迎えに来てくれて……ありがと。ホッとした」
「……うん、どーいたしまして……」
――しんどいからって甘えてきたら、お前、どーよ。
「……日向」
「……うん」
握ってくれた手に安堵する。
目を閉じると、カタンゴトンと揺れる電車の振動さえ、心地良く思えた。
歩いて十分くらい。けど、君が手を引いてくれたから、なんだか嬉しかった。
――伊都、あとちょっとだからね。
そう言って前を歩く君を見つめてた。少し張り切ってる? 俺のリュック重くない? 君が背負うと大きすぎてさ、肩とか背中とか痛くない? 少し心配になるよ、とか。
俺、今日、テキストたんまり持って帰ってきちゃてないかな。図解とか持って帰ってきてたら、ホントごめん。もう午後からは意識がボーっとしちゃっててさ。何を鞄の中に入れたのかあんまり覚えてないんだ、なんてことを考えてた。
「……ん」
「……伊都」
目を覚ますと、君が隣で雑誌を読んでた。毎月買ってるファッション雑誌。男性のじゃなくて女性のファッション誌。髪型の参考にするんだって、いつも少しでも時間があると眺めてる。その雑誌をマジマジと見つめてた君が、隣で眠ってた俺が身じろいだのに気が付いて、白い手で額に触れてくれる。
手が冷たくて気持ちイイ。
「……まだ、熱すごい高いね」
「……んー……」
どのくらい寝てたんだろう。
「今ね、もうそろそろ六時だよ。水少し飲む? 一応、スポーツドリンクも買ったんだ」
「もう、六時?」
「うん。お腹空いた? 伊都?」
思わず溜め息が零れた。
大学まで迎えにも来てもらって、そんでもう夜の六時だよ。外は明るいけどさ、でももう六時じゃん。
「ごめん。せっかくの休みだったのに」
丸一日、仕事をしている君にとっての大事な休日が丸潰れになっちゃった。
「なんで?」
君はくすっと笑って、俺の首に触れる。汗、かいてるねって、呟いて、立ち上がると、着替えとタオル、それから冷蔵庫からスポーツドリンクを持って戻ってきた。
「俺は休みの日でよかったぁって思ったよ?」
柔らかな笑顔で、俺を起こしてくれる。面白いよね。こんなに細腕なのにさ、コツを知ってるから、首のとこを掌で持って、軽々と起こしてくれるんだ。美容師のなせる業ってやつ。
「今、六時、早番の日なら、今くらいにお疲れ様―って……伊都がこんなにしんどいのに」
「……」
「遅番なら帰れもしない」
「……」
「看病できてよかった。ね、伊都、汗拭くね」
起き上がっても、頭が割れてしまいそうな頭痛はなかった。吐き気も、眩暈も。
「汗はたくさんかいたし、寝て、しばらくしたら呼吸が穏やかになってたから、大丈夫だと思うんだけど。髪、汗で濡れてる……拭かないと」
頭を撫でてくれて、汚いでしょ? 臭いだろうしって、慌てて、手を離そうとした。
「そんなわけないでしょ? 伊都のだもん」
なんか、たまに、日向のそういうとこ、困る。
「あ、そうだ。お腹空いた?」
きっとすごく自然に出た言葉。「伊都のだもん」ってさ、なんかさ……ドキドキしちゃった。なんて思われてることも知らない日向が冷蔵庫へと駆け寄った。
「あんま食欲ないかなぁって思ってね。伊都が寝てる間に買い物ざざーっとしちゃったんだけど。おうどんとかがいい? うちだとね、風邪引いたら、桃の缶詰食べるんだぁ」
「あ、うちも……」
「そうなの? おんなじ?」
うん。おんなじ。桃の缶詰、風邪引いたら食べるんだ。
「甘くて、美味しいよね。伊都んちもそうなんだぁ。それとね、うちはアイスも乗っけて食べるんだよ」
思わず笑っちゃった。面白いね。アイス、うちもそうだよって教えると、日向が嬉しそうにニコッと笑った。別々のうち、別々の場所にいたのに、風邪に桃缶にアイスって常識なのかな。
「食べる? アイス」
「うん」
うちの実家の定番なんだ。
「睦月はそれに林檎も混ぜる」
「へぇ、身体に良さそう! 林檎なら、この前、買ったっけ」
「あ、うん。二個買って」
「一個だけはんぶんこで食べたもんね」
振り返った日向の手には真っ赤な林檎があった。
「それから、うちは、お母さんがすっごい好きで蜜柑の缶詰も入れるんだけど……伊都は好き?」
「あ、うん。甘酸っぱくて美味しいよね」
そう答えたら、君が笑った。その仕草、好きなんだ。肩を竦めて、顔をくしゃってさせて笑うの。可愛いよね。
そして、出てきた晩御飯? かな? がなんというか、日向っぽいなぁと。
「なんか、風邪の時に食べるにしてはすごいもりもりしたデザートになっちゃったね、伊都」
「……」
「伊都? た、食べられる?」
「あ、うん……」
「伊都?」
まじまじと日向の用意してくれた風邪特製ディナーを見つめてた。食べられないとかじゃないよ。全然、しっかり寝たからかな。頭とか痛くないし、お腹も空いてるし。そうじゃなくてさ。なんというか。
「……斬新だね」
「へ?」
「盛り付け、っていうのかな」
林檎のスライスに蜜柑の缶詰。
うちでは桃をざく切りにするんだ。一口サイズに切った桃とスライスした林檎の上にアイスを乗っける。けど、日向のうちは、半分にカットされてシロップ漬にされた桃がそのままごろんと器に入ってて、種のあった部分にアイスが乗っかってた。なんかさ……。
「えっ! 違うの?」
なんか、日向のうちっぽいなぁって。
「ううん」
「違うんでしょ? 何? なんか変だった? 笑ってないで教えてよっ」
「ううんってば」
「伊都ってばっ」
細くて、抱き締めたら折れちゃいそうなのに、けっこう食べるんだ。俺と同じか、たまに俺以上に食べちゃうこともあるくらい。日向のお父さんもお母さんもスラリとした感じなのに、でも、おにぎり作る量多いし、サイズも大きいし、。だから、この豪快に盛り付けされた桃缶が、なんか日向んちっぽいなぁって。
「んもー! なんで笑ってんの?」
「ううん。美味しいなぁって」
なんか、いいよね。
「伊都ってば!」
なんかさ、よくない?
「ほら、日向も食べようよ」
あんなに風邪でしんどかったのに、君を見たら、少し元気になった。うちに帰りつくと、ホッとした。風邪の時の桃缶はお互いに必須だった。アイスも必須。睦月が家族になって林檎が追加されたんだ。
そして、君のうちの定番、蜜柑もプラスされて。
「いただきまーす」
どんどん増えてく。家族が増えて定番が増えて、なんか、すごく嬉しいなぁって。
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