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日向視点のとある日々編 3 誰でも遭遇する小さなヤツです
「こんな感じでいかがでしょう?」
そう声をかけるとお客様がじっと鏡の中を見つめた。この時が一番緊張するかな。カットをした方としては。
気に入っていただけたかどうか、その一瞬で表情に出るから。もちろん、気に入ってもらえるように最善を尽くすし、色々カウンセリングをしてその人に似合いつつ、その人の希望に沿ったヘアスタイルになるよう頑張ってるけど。それでも、そのお客様が頭の中で想像していたものになったのか、それ以上の出来だったのか、もしくは、それ以下だったのか。表情でわかるでしょ?
それに、もしもその人の「なりたい」髪型になってなかった時に、落胆させてしまったらさ。そのがっかりの表情にさせてしまうのはとても申し訳ないことだから。
「はい」
けれど、お客様は表情を明るくして、首を左右に振って、横の雰囲気とかを確かめてから、もう一度深く頷いてくれた。
その表情にそっと胸を撫で下ろして、日々のケアのことをもう一度、簡単に説明しながら、レジへと案内した。
これから梅雨時期で髪には天敵だったりする「湿気」がすごい時期でもあるから。
今日は晴れてくれたけど。
「ありがとうございました。またよろしくお願いします」
深くお辞儀をして、お客様を見送った。
外はいい天気で、今のお客様もそうだけど、半袖でもちょうどいいかもしれないってくらいに晴れている。
そりゃそうなんです。
だって、伊都が今日は外でサッカーの試合の助っ人に出るんだもん。
ちょっと観に行きたくて、早退させてもらうんだもん。
「日向くん、ありがとうね」
「あ、いえ」
「今日、午後休みでしょ? お疲れ様」
お疲れ様ですって、チーフにお辞儀をしてカーテンの向こう側へと向かった。
ちょっと不思議な感じだ。半日で早退って。まだこの時間は普段なら、お昼ご飯食べて、午後から入ってる予約のお客様のカルテとかに目を通して忙しくしてる頃だから。帰るっていうのが不思議だ。
「……あ、お疲れ様です」
「あ、お疲れ様」
スタッフルームに入ったら、北川くんがいた。
お昼休憩なのか。
コンビニの新作、春パスタを食べてるところだった。それ、美味しいらしいよ。この間、他の新人さんが美味しいって写真撮ってた。
みんなSNSで配信とかしてたりする。カットの仕方を動画配信してみたり、ヘアアレンジの仕方とか。ちょっとしたスタイリストしか知らない裏技とか。
俺は、そういうの、撮影とか不得意だからあんましてなくて。
「今日は早退なんすね」
「あ、うん」
「デート!」
「んー、うん、うん? んー……うん」
「どっちなんすか」
だって、サッカーの応援なら、デート、とは言わないかなと。そのあと、打ち上げって言ってた。俺も誘われているけど、それは場違いな気がするから先に帰る。ってことはデートとは言えないだろうなぁって。でもでも、それならサッカー場から駅までは送るよって。打ち上げは、せっかくだからって招待してもらえたらしくて、顔だけ出してくるって。駅まで送ってもらうなら、それはデート、になるかなぁ、とも思ったので。
うん。
のような。
ううん。
のような。
「白崎先輩って」
「せ、先輩?」
「はい。スタイリストとして」
先輩とか言われるとくすぐったいんだけどな。
「もう彼氏と付き合って長いです?」
すごい恋愛のこと訊きたそうな感じ。
よくスタッフ同士で彼氏のこと、彼女のこと、を話してたりはするけど、同性の恋人の話はやっぱり他の人に比べると、気軽には、できないもんね。
やっぱ、美容師っていう仕事をしていると、相手が何を話したいのか、とかさ。敏感になるっていうか、察知する癖がつくっていうか。
「長い、かな。高校生の時からだから」
「え! すご! なが!」
「うん」
けど、長いなぁとか思ったことないんだ。期間っていう感覚がないっていうか。振り返ることはあるけど、数えてないっていうか。気がついたら高校生じゃなくなってて、俺は社会人になってて、伊都は大学生になってたって感じで。
「えー、すごー」
「北川くんは?」
「! 俺っ、俺は、その、やっと一年です!」
「そうなんだ」
話したそうで、思わず笑いそうになっちゃった。だって、話を振った瞬間、耳がピーンとたった感じ。尻尾があったら「待ってました!」って感じで、ブンブン振り回してそうな感じ。
「今度、一年記念なんですけど……」
けれど、その瞬間、表情にちょっとだけ雲が漂って、日差しを遮ってしまった。
「向こう、仕事が忙しそうで」
「そうなんだ」
「調理師なんです。専門卒で。別々の専門のだったんですけど。飲み会で知り合って。そんで……」
少し懐かしい感じ。
それぞれ別々の生活があって、っていうのが。
「向こう、ノンケなんですよ」
ノンケ、女の子が恋愛対象だったんだ。
北川くんは、ゲイってこと、なんだろう。
「なんかなぁって……」
「……」
そして春パスタをまるで冬のどんより空みたいな顔で、パクりと食べて、小さく溜め息をこぼした。大きくない、本当にすごくすごく小さな溜め息。
それは、誰でも、恋をしている人なら、よくする、俺ももちろんしたことのある、小さな悩みが混ざった、小さな溜め息だった。
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