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第2話 白い吐息みたいに
転校してきたのは夏休み明け、変な時期に、真っ白な肌に綺麗な顔、同じ歳には見えない雰囲気がどこか浮世離れしていて、皆、少し戸惑っている感じがしてた。
「あの転校生、名前、なんだっけ」
「……伊都」
「……なんだよ」
ジロッとこっちを睨みつけてる。
「伊都のそういうところ優しくて好きだけど、でも、また……なるよ?」
「……」
「伊都が伊都だから、ならなかったけどさ」
もう年は越したけど、まだ、除夜の鐘の順番待ちに並んでいて、前にも後ろにもぴったりと人がいる。だから、玲緒は敢えて、その単語を口にしない。
いじめ、の一言。
「見た目、めちゃくちゃカッコよくて友達が多くて、爽やかな伊都、だったから、そうならなかっただけの話でさ」
「別に……」
親のことが噂になりかけた時があった。どこからどうなったのか、うちの親が同性愛者だっていう、ひやかし。
夏休み明け、学校に行くと、どこかぎこちない挨拶、入った瞬間に少し変わる空気。それでも気にせずにしていたら、いち早く、その噂を友達として本人より早く聞かされ、下世話な質問までされた玲緒が教室に飛び込んできた。
きっと夏休み中、暇だった誰かが、お父さんと睦月が並んで歩いてるところでも見かけたんだろ。あのふたりは空気がさ、なんか優しすぎるから、男同士だけど、わかってしまうかもしれない。甘くて柔らかい、恋の空気みたいな。
学校での、監視するような、探るような視線は無言なのにうるさく感じた。けど、俺は気にしなかった。
お父さんと睦月のことでやましいとこなんてひとつもない。だから、俺は俯く気はなかったし、そのままでいた。
だってそうだろ? 好き同士で、お互いのことをあんなに大事に、大切に想っているのはとても良いことだろ? 誰かに何か陰口を言われるようなことをあのふたりはひとつもしてない。
あのふたりは今も昔も、そしてこれからもずっと、俺の憧れで、俺の尊敬するふたりだ。
「普通のことだ」
「あのね、伊都はそうでも」
「男同士だからどうとかこうとか、そういうのは差別っていうんだぞ。差別はよくないって、そこいらの子どもでも知ってる」
うちの親が男同士で愛し合ってるから、そう思うんじゃない。そこは関係なくて、その前から、ずっと男同士も男女も同じ恋愛だと思っていた。子どもの頃から今も、そして、これからも変わらない。
だから、そんな噂が立ちかけて、学校がざわついていることも、玲緒が心配していた「いじめ」なんて単語が俺にぶつけられそうになったことも、俺はちっとも気にしてない。もしも、お父さん達が俺のあの当時の状況を知ってしまったとしても、どうかそのままでいて欲しい。そのまま二人は変わらず愛し合っていて欲しい。
「玲緒だって、変わらなかった」
「……それはっ! 伊都のお父さん、優しくていい人なの知ってるし。宮野コーチだって」
コーチとして接していた睦月とうちのお父さんが恋人同士だとあらかじめ話してあった玲緒はそのウワサが立ちかけた夏も変わらず普通に接してくれた。何も変わらなかった。普通に俺と飯食って、話して、ノート借りて、課題やるのを俺に手伝わせて。
気にしていなかった。
「お父さんの時とは違うよ。それにあの転校生さ」
「あの時だって、そのまま噂は消えただろ」
俺も玲緒も反応せず、普段どおりにすごしていたから、噂のネタとして盛り上がらなかったんだろう。
話すと、夜空に白い吐息がふわっと広がった。
「あ、思い出した」
「? 何が?」
「あの転校生の名前」
白崎日向(しらさきひなた)だ。日向って名前のくせに、陽に当たらなさそうな白い肌をしてるって思ったんだ。夏はプールで丸こげに近いくらい日焼けするから、なんか、あの白さが目に焼きついた。
「伊都!」
「玲緒は心配性だな」
あの時の噂もしばらくしてふわりと消えた。この白い吐息が夜空に消えるみたいに、ふわっと現れて、ふわっと、消えた。そんな不確かなもの、いちいち気にしない。
「……あんま関わらないほうがいいよ。伊都は目立つんだから」
「真面目に学校生活送ってるじゃん」
「そういう悪目立ちじゃなくて!」
わかったよ。そう言うと、口を真一文字にしてムスッとした。
「……ありがとな」
たしかに同級生とは少し違う雰囲気がある。どこがかはわからないけど、さっき通り過ぎた時みたいに、人の波の中で、ぽこっと浮いて見える感じ。背が大きいわけじゃないのに、逆に小さいくらいなのに、なぜだろう。
「……伊都のそういうとこ、カッコいいし、好きだけど」
「ありがと。でも、玲緒はいい友達だ」
「伊都! からかうなよっ!」
あはははって笑ったら、また夜空に吐息が白く広がって、そして、やっぱりあっという間に消えていった。
「電話にも出ない、か……」
毎年同じ流れ。除夜の鐘を鳴らした、その後、無料で配れる甘酒飲んで、少しばかり身体が温まったところで、今度は初詣の列に並ぶ。
そのはずだったんだけど、はぐれた。
甘酒飲み終わった頃に、急に襲いかかった人の流れに俺らは間を阻まれて、その波が通り過ぎたらもう玲緒はそこにいなくなっていた。
でも、まぁ、カラオケの場所も時間も決まってるんだから、そこで合流できるだろうし。子どもじゃないんだから、迷子だって言って泣いてるわけじゃないだろう。玲緒はしっかりしてるから、たぶん、ひとりで今年も一年宜しくお願いしますって神様に頼んで、そのまま散歩でも楽しみながら駅前のカラオケのところに向かうはず。
二時だったっけ。集合時間。
スマホで時計を見ると、あと三十分以上ある。駅までのんびり歩いたって十五分くらい。
「先に行っておくか」
ずっとここにいたら、せっかく甘酒であったまった身体がまた冷え切ってしまう。冬休み、睦月に頼んで、夜間練習見てもらおうと思ってるのに、風邪なんて引きたくない。
はぁ、とわざと喉奥から押し出すように、真っ白になる息を吐き散らかして遊んでいた。睦月もお父さんもタバコは吸わないし、俺も吸いたいと思った事はないけれど、子どもがタバコを吸って吐いてを繰り返す大人の真似でもするように、何度も何度も息を吐いて。
「……ぁ」
ほんの一瞬だけ白くなる視界に遊んでいた。
「白崎……?」
その視界に飛び込んできた、本物の白。
それは、変な時期にやってきた、どこか不思議な雰囲気をまとった転校生だった。
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