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第5話 印象、迷子

 なんか、ちょっと自己嫌悪。っていうか、なんなんだ。 「…………」  なんで白崎の夢見てんだ、俺。 「……はぁ」  普通の夢だけど、なんつうか、それでも、どうなんだろうと変な時間に寝たせいで、あんまりすっきりしていない頭をシャッフルするみたいに前髪を手でぐしゃぐしゃにした。  夢の中の白崎は楽しそうに笑ってた。俺のほうを向いて、眉を上げてびっくりした顔をしてみたり、眉間に皺を寄せて難しい顔をしてみたり、そして、身長のある俺を真っ直ぐ見上げて、なんか、無邪気に笑ってみたり。  笑ってる顔を、なんか、たぶん、俺はアレンジしてた。  寝起きのぼんやりとした頭に残ってる白崎の笑顔は、困った感じよりも楽しそうっていう感じのほうが近くて。あれはきっと寝る直前のお父さんと睦月の笑顔の雰囲気が混ざり込んでる。  笑顔捏造もそうだし、同級生の、しかも、昨日初めて話した転校生が夢に出てくるっていうのも、もう、なんか、どうなんだろう。 「はぁぁ」  溜め息を自分の懐へ向けて吐いて、その口元を掌で押さえた。もやりとした感じ。なんで、白崎が夢に出てくるんだよ、とか。笑顔がちょっと可愛……いやいや、それ同級生の男子に向けて使う単語じゃないだろ、とか。  色々考えたら泳ぎたくなってきた。  元旦にどこかプールやってないかな。どこでもいいからジャブジャブ泳ぎたい。睦月に訊いたらどっか知ってたりして。 「伊都? 起きた?」 「! あ、う、うんっ、何?」  スマホでプールを調べようかと思って手を伸ばした時だった。 「ごめん。年賀状、出せてなかった人がいて、今からポスト行ってくるから留守番を」  なんでもいいんだ。体を動かしたい。 「俺! 行ってくる!」 「うわっ、び、っくりした」  部屋から飛び出した俺にお父さんが驚いた顔をして、心臓の辺りを掌で押さえた。 「年賀状でしょ?」  泳がなくても、走るくらいでもいいから、とにかくモヤリとしたものを体の外に出してしまいたい。 「行ってくる! 玄関とこに年賀状置いといて」  ジャージに素早く着替えて、髪型なんて別にかまわない。走ってたらボサボサになるし、走り終わったらシャワーあびるからいいやって、そのままで、スニーカーを足先に突っかけると、置いてあった年賀状だけを持って、外へと飛び出した。 「行ってきます!」  いってらっしゃい、俺の勢いに気圧されたような、呟きみたいなお父さんの声を聞きながら走り始めると、空気は頬に凍らせようとするように冷たくて痛かった。  冬は、あんまり得意じゃない。寒いから体が縮こまるっていうか、気がつくとコタツの中に居座ってるっていうか、泳ぐのが室内だけになるし、物足りない。  だからただ走ってるだけでも充電になる感じ。  はっ、はっ、って短い呼吸を繰り返してみたり、呼吸のタイミングを計って水中の息継ぎをイメージしてみたり。そんなふうに走りながら、集中してたらけっこう頭の中がスッキリした。 「あっち……」  スッキリしたのはいいけど。ジャージの前を開けて、中のTシャツで汗を拭いながら、ぐるっと辺りを見渡した。 「……げ」  ここって。 「どこ?」  走ることに集中しすぎてた。家から駅のほうへ向かって、でも、坂道とか迂回して、あそこ曲がって、そんで……これ、ちゃんと帰れるか?  あ、でも標識見ればどうにかなるか。うちの家の方向が出たらそっちに向かって走ればいいんだし。帰り道は別に問題ないけど、もうひとつ、重要な問題が。 「財布……持ってないんだった」  喉渇いたし、土地勘のないここじゃ公園がある場所もわからないし。 「はぁ、マジか」  参った。喉がめっちゃ乾いてるのに、水分補給がままならない。空気が乾燥してるから余計にカラッカラに渇いてる。  っていっても、もう帰るだけだから我慢するしか。 「ぇ、佐伯君?」  もう一度、Tシャツの裾で汗を拭って、水を欲しがる喉にぐっと力を込めて、今、来た道を引き返そうとした時、耳に届いた透き通った声。 「……白崎」  振り返れば、ピンクのほっぺた。 「佐伯くん、何、してんの?」 「……え?」  顔の下半分がマフラーの中でよく聞こえなくて、聞き返すと、慌てて指先で自分の口元を覆い隠すマフラーを引っ張った。 「何してんの?」  今度は良く聞こえるようにとはっきり話す白崎の周りに、今だとばかりに飛び出す甘い綿飴みたいな白い吐息。 「走ってた」  昨日は真っ白なコートだったけど、今日は茶系のファーで縁取ったフード付き、モスグリーンのダウンジャケット。それだけじゃ寒いらしく、オフホワイトのマフラーをこれでもかって巻きつけてて。俺はTシャツに白いジャージ。 「寒くないの?」  だよな。白崎からしてみたら、今の俺って信じられないくらいに薄着だよな。汗を拭いながら「むしろ暑い」って言えば、眉を上げてびっくりした顔をする。  ついさっき夢で見た白崎の顔よりも、白い肌に薄ピンクの頬が目立っていた。 「そっか。佐伯君のうちって案外、うちと近いのかな」 「あ、あー……いや、なぁ、ここって最寄り駅どこ?」 「え?」  ずっとここに住んでいるから土地勘はある。あるけど、そんな俺でも今どの辺りにいるか正確にわかってない程度には迷子なわけで。転校して数ヶ月の白崎に道を尋ねるっていうのもどうかと思うけど。 「なんか走ってたら、かなり遠いとこに来てたっぽくて」 「えぇ?」 「ついでに、悪いんだけどさ、絶対に返すから、百円ほど、借りれない? 財布もスマホも置いてきちゃってて」 「えぇぇぇぇっ?」  また、印象が変わって行く。  澄んだ綺麗な湖の水面が波立つような音、そんな印象が昨日、じゃないか、日付変わってたから、今日、寝るまではあった。夢に出てきた白崎の声はそんな声だった。 「絶対に返すから。喉渇いてしんどい」  けど、今の声は澄んでるけど、鈴が鳴ったような賑やかさがある。 「白崎」  びっくりした顔を見ながら、上書きされ続ける第一印象のせいでまた夢に出てきたりして、なんて思っていた。

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