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第19話 夢でも会えたら

 ――水泳を教えてる? なんでそんな展開になってるの? 言ったよね? また、妙な噂が立つよって。伊都、そういう、みんなに優しいとこすごく良いことだと思うよ? 思うけど、でも、やっぱ心配だよ。  玲緒は俺が優しいって言ってた。きっとミステリアスな転校生が孤立しがちだから声をかけた、なんて思ってる。  違うよ。最初は、ただの手助けだったけど、でも、そうじゃない。俺が日向と話したかったんだ。日向と一緒にいる時間はふわふわしてて足が軽くて、柔らかくて、水の中にいるみたいに、どこか不思議な心地がして、もっといたいと思ったんだ。  ――伊都だけじゃなくてさ、宮野コーチ達は一応、その、隠してるんでしょ? それなら、そんな噂がちょっとでも立ったら、ダメなんじゃないの? 伊都の、真っ直ぐなとこ尊敬してるけど、真っ直ぐなばっかりじゃダメな時もあるんだよ。もっと利口にならないと。  うん。きっと、俺は大バカだ。  教室で根掘り葉掘り訊かれて、なんで泳ぎを教えることになったのか、からひとつずつ説明をすると、心配そうに玲緒が表情を曇らせて、大きな溜め息を吐いた。 「はぁ」  俺も、ひとつ溜め息を平日の昼間、誰もいない静かな自室で吐いた。  今、何時頃だろ。目が覚めると部屋の天井が陽の光で少しオレンジがかって見えた。午後、なのは確かだけど、二時とか三時とかそんくらいのはず。  もう、学校が終わった頃のはず。  玲緒の言いたいこと、わかってる。わかってるけど、声をかけたかった。話がしたくて、笑った顔が見たくなった。笑った顔を見たら、今度は笑わせたくなった。そして、好きになった。  玲緒にこのことまで話したら、協力してくれるかな。いや、どうだろ。呆れそうだ。 「……」  寝返りを打って、天井をじっと見つめる。  朝、どうしても起きられなくて、っていうか、手足に力が入らなくて、これはマズイかもって、どうにかして起きないとってベッドの中ひとり格闘していたら、お父さんが起こしに来てくれた。  熱を測ると、聞いただけでふらりとその場で寝込みたくなる高熱。  お父さんは朝食も取らずに、即座に俺を連れて時間外診療へ。インフルじゃなかったけど、でも、そんな高熱で学校なんて行けるわけがなくて、今日は休み。そして、お父さんは仕事に遅刻。睦月も早番だったのに、多分遅刻。  まだ、睦月がいない頃だった。身体は丈夫なほうだったけど、風邪の時だけはさすがにしおらしくなる。咳き込んだり、苦しそうにか細い呼吸を繰り返す、そんなのを見ると、お父さんの表情が不安そうに曇ってた。  ――大丈夫?  そう訊いて額に冷たい掌を乗せてくれるお父さんのほうが大丈夫じゃなさそうでさ。心配をかけてしまうと、俺は風邪なんてもう二度と引かないって思ったっけ。病は気からじゃないけど、そこから本当に風邪を引かなくなったような気がする。  けど、今朝のお父さんは不安そうに表情を歪めたりしてなかった。逆に、「風邪? 熱測るよ。食欲ある? けっこう高いね。病院で診てもらおう」なんてすごく冷静で落ち着いてた。俺がもう高校生で風邪ひとつじゃ死にそうもないからかと思ったけど、たぶん違う。睦月がいるからだと思う。  ――睦月、ごめん、病院行ってくる。  そう玄関先で声をかけたお父さんは、なんか、かっこよかった。  ――行ってらっしゃい。気をつけて。  見送りに来てくれた睦月がお父さんの首に睦月のマフラーを巻いた時、ふわりと頬が赤らんだのを見て、この人がいるから、お父さんは強くなったんだって、ぼんやりとした頭で思った。  ふたりは恋で強くなったんだったって。  俺は、片思いだからかな。強くなるどころか、弱くなった。風邪菌なんかに何年かぶりに負けるくらいにへなちょこだ。 「……ケホ」  ひとつ小さく咳をしたら、やたらと響いたりして、なんか、ヤバイ。外の音とか、部屋が静かとか、心細くなりそうで、布団の中に頭まですっぽりと潜り込んだ。  日向に学校休んだことバレてないかな。スマホに連絡来てないから、たぶん、知らないんだろう。知ってれば、日向のことだから責任とか感じて連絡してくると思う。  隣のクラスだから、冬休み前までは一日中会わないなんてことザラだったはずだから。  でも、俺は日向のことをほとんど知らなかったけれど、日向は俺のことを知っていてくれた。廊下ですれ違ったりしてたんだ。名前だって。 「……」  会いたい。 「……」  今、ものすごく会いたい。名前のとおり、温かい日向の笑った顔が見たい。 「白崎、日向」  ピンポーン、その時、まるで返事をするみたいな絶妙なタイミングでチャイムが鳴った。  平日の夕方、配達があるとか聞いてないから、たぶん違う。それなら……って思ってスマホを確認したけど、クラスの奴らとかでもない、のかな。あ、でも玲緒なら連絡なしで突然来るかもしれない。最近は来てないけど、唯一、お父さんと睦月のことを知っていて、面識もあるし。あいつはどこか飄々としてるから、ひょっこり現れそうだ。 「っと」  ベッドから降りると少しフラつく。まだ熱があるのが立ち上がった時の頭の重さでわかる気がする。重心がわからなくなるくらいに重くて、壁に手をつかないと転びそう。  そのままフラフラしながら、新聞の勧誘とかかもしれないとインターホンのあるリビングに向かった。正面エントランスの呼び鈴のところにカメラがあるから、知らない人がそこに写ってたら居留守を使おうと思って。 「……ぇ?」  でも、そこに写ってたのは。 「日向?」  日向の名前を呼んだら、返事をするみたいにチャイムが鳴らされて、そこに、日向がいる。なんだ? これ、夢でも見てる? あまりの高熱になんかおかしな夢でも見てるとか? 「は、ぃ」 『あ、もしもし、あの、白崎日向です』  聞き取りにくいけれど、日向の声にそっくりだ。本物? 熱、測ってないけど、本当に相当高いのかな。会いたいって呟くだけじゃなくて、頭の中で日向のそっくりさんを作り出すくらいに。 『いつも伊都君に水泳でお世話になっています。あの、ほ、本日、風邪で学校を欠席と聞きまして。あ! 俺、隣のC組です。それで、学校からのプリントを三枚ほどと、あと』 「っぷ……」 『!』  インターホン越しに伝わった俺の笑い声に画面の中の日向がびっくりした。うん。この生真面目な感じ、本物だ。 『ちょっ! 伊都?』 「ごめん。ごめん」 『伊都!』  本物が俺の声にびっくりして、俺が笑ってることに怒ってる。画像が粗くてよくは見えないけれど。 「今、開ける」  でも、今、きっと頬をピンク色に染めて怒っているんだろうと思うと、さっきまで痛かった頭も気にならなくて、なんだかおかしくて笑ってしまった。

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