20 / 65

第20話 思いのままならざる

 噓みたいだ。日向が俺のうちに来るなんて。 「あ、あの、突然ごめん。その、今日、学校休みって聞いて。玲緒君に、お願いしたんだ」  俺の部屋の真ん中にちょこんと正座で座る日向。部屋に馴染んでなくて、まだ信じられない。 「玲緒に?」 「うん。何かプリントとか持っていくものがあれば、俺が持っていきたいって。それで断られたんだけど、ちょうどそこに伊都のクラスの学級委員が来て、プリントもらえた。それで、水泳習ってて、きっと俺のせいで風邪を引かせたからお詫びもしたいからって頼んで、玲緒君に伊都のうち教えてもらって」  珍しい。あの玲緒が折れたんだ。日向のことを玲緒はやたらと警戒してた。嫌ってさえいそうだったけど。でもそれは去年の二の舞になることを心配してくれてただけで、玲緒は優しいから、不器用だけど真っ直ぐ、生真面目な日向に冷たくし続けられなかったんだ。 「ごめん。本人である伊都に何も話さず許可なしで自宅の場所を聞いてしまって。考えたら、それプライバシーを侵害してるんじゃないかと」  会いたいと呟いたら、本当に会えた。  日向に会いたいって思ったんだ。でも隣のクラスだし、俺が休んでるなんて知ろうと思わなかったら、わからないこと。  前の学校でのことがあるから、極力教室でじっとしている日向が隣のクラスに俺を探しに来てくれた。  休みだとわかったら、玲緒のところに行って住所を教えてもらって。 「ごめん。あの……風邪のことも、今日、こんなふうに突然来たことも」  顔が真っ赤だ。日向のほっぺたが真っ赤になっている。 「あ! でも、伊都の、そのお父さん? に、なるのかな、あの、宮野さん」 「ぇ? 睦月?」 「あ、うん。ご挨拶を、した。ご自宅にお邪魔させていただくのと、それと、水泳、伊都の大事な時間をいただいて教えてもらってて、それとプール、部外者の俺に使わせてくれて、ありがとうございますって」  睦月に会ったんだ。 「伊都が、憧れるの、わかる気がした」 「……」 「優しそうな人だった」 「……優しいよ。そんでもってかっこいい。子どもの頃から、俺にとって睦月は、ヒーローなんだ」 「……ヒーロー」  あぁ、俺、けっこう本当に重傷なのかも。睦月にさえ、ちょっとヤキモチをしてる。睦月がかっこいいのなんて、よく知ってるし、俺だってそう思ってるのに、日向には心がチクンとした。 「あの人が、俺のお父さんの恋人なんだ」 「……そう、なんだ」 「とりあえず、マフラーとコート取れば?」 「あ! うん! そうだねっ」  のぼせたのかと心配になるくらい耳まで真っ赤。高熱でまだフラフラしてる俺はハンガーすら取りに行けなくて、そのことを謝ると、ブンブンと首を横に振って、丁寧に畳んだ黒のダッフルコートと白いふわふわしたマフラーを自分の横に丁寧に置いた。 「あと、スマホで連絡してくれればよかったのに」 「! ご、ごめん! アポなしとかして、ごめん! その、もしかしたら寝てるかもしれないからと」  コートもマフラーもしてないのに、エアコンの風がそこに直風だった? 頬の赤みが更に強くなった。 「冗談だよ。別に連絡なしでいいし。アポって俺、どっかの偉い人みたい。アポなしで大丈夫」 「か、からかって……」 「あ、でも、連絡してくれたほうがよかったかも」  その一言に、大失敗してしまったのかと眉をひそめてとても申し訳なさそうな顔をさせてしまった。違うんだ。そうじゃなくて、インフルかもしれないだろ。そしたら日向に移しちゃうかもしれない。たとえそれが玄関先で顔を見るだけだとしてもさ。今回は風邪だったからよかったけど。いや、風邪でも移したら大変だからダメなんだけど。  そういう意味での連絡が必要ってことだと慌てて付け加えた。。 「気使ってくれてありがと。マジで寝てたよ。だから連絡もらってても気がつかなかった」 「……風邪、大丈夫?」  生真面目な日向は、からかわれたと、ほっぺた真っ赤にしてむくれたと思ったら、今度は、優しく気遣って、心配だって表情を曇らせる。  噓、だったりして。この日向は本物じゃなかったりして。  だって、部屋に来てもう数分経ってるのに、いまだにものすごく馴染んでない。まるで日向だけどこか別空間から切り取って、この部屋に貼り付けたみたい。  その馴染んでない感じがお正月の日向を思い出させた。黒っぽい色のコートを着た人が断然多かった中で、真っ白なコートにマフラーの日向はふわり浮き上がってさえいるみたいで。 「熱、何度くらいあるの?」  あの日、日向はおみくじをしたんだった。 「起きてて大丈夫? あの」  おみくじの結果が悪くて、一番高いところに括り付けたくて、一生懸命に手を伸ばしてた。俺はそれを見て声をかけたんだった。 「日向」 「?」  素直にこっちを見つめる日向に、実はあの時もドキドキしてた。おみくじを見上げる日向の鼻先が真っ赤で、白い息と合わさって、なんか俺をドキドキさせた。 「あの初詣の時、……俺、すれ違ったんだ。あの声をかけるちょっと前に」  日向は帰るように思えた。けど、それからしばらくして神社にいておみくじやってた。 「あの時ってさ……」  一旦、帰ろうとして、引き返してまで引いたおみくじ。 「何……書いてあったの?」  けどその結果はあまり欲しいものじゃなかったんだ。 「あ、れは……」  ゴクリ、って自分の飲み込む唾が喉にひっかっかる。そして、腫れぼったいのかちょっと痛む。 「あれは……バカだよね。この前話したでしょ? 好きだった同級生のこととか、それに自分のこととか、神頼みでどうにかなるわけじゃないけど、でも、どうなのかなって、思って。良い結果だったらって願ってみたりなんかして」  俺を真っ直ぐ見つめてた瞳がふっと俯いて、声も小さく切なげな響きに変わる。なんで、平日ってこんなに静かなんだろう。日向のクスッと笑ったかすかな声も、俺の息を飲む音も全部がやたらと響いて、丸聞こえだ。 「でも、悪い結果だった、かな。思いのままならざる、だってさ。あ、あと、思っていることを伝え、後の出来事に備えよ、だったかな。思いのままにならないし、告白しなさいって言われてももうしちゃったし。後のことに備えるたってさ」 「……」 「引かなきゃよかったよ」  そう伏し目がちにぽつりと呟く日向を見つめながら、俺は内心「聞かなきゃよかった」って思った。 「おみくじなんて、あてにならないってわかってたけどさ。俺に起きたこと全部を知ってるみたいな文面を寄越す神様に腹が立ったから、意味違うんだろうけど、一番高いところにくくって突っ返してやろうって思ったんだ」  顔を上げた日向は少し寂しそう。俺は、熱があるから、ぼーっとしてて、今、あんまりちゃんと考えられないから、だから。 「そしたら、伊都が、声を……」  ずっと、触りたいと思ってた。 「い……」  日向の綺麗な瞳を隠す長い前髪がちょっとした風にも揺れるから、柔らかそうで、触ってみたかったんだ。ずっと、どんななんだろうって、触れてみたかった。 「……と」  やっぱ、すごく柔らかかった。 「ごめん、日向、やっぱ、もう少し寝る。それから風邪移っちゃうから、ちゃんとマスクしなよ」  触りたかったんだけど、触らなきゃ、よかった。だって、今の俺は君のことを可愛いって思ってる。だから、触ったら、こんなに胸のところが苦しくなる。  こんなに、日向のことを好きになってる。マスクしててくれないと、キスしてしまいそうで、襲い掛かりそうで、慌てて布団の中に手を入れて、君をここから逃がそうと思った。
いいね
笑った
萌えた
切ない
エロい
尊い

ともだちとシェアしよう!