21 / 115
第21話 恋のキューピッド
なんだよって思ってくれたらいい。せっかく心配して、隣のクラスなのにプリント持ってきてやったのに、なんだよ、来て早々に寝るからもう帰れなんて、失礼だなって、そう怒ってくれたらいい。
でも、知ってる。
日向がそんな奴じゃないってわかってる。冬休みの間ずっと一緒にいたから。すごく優しくて真っ直ぐで、あの肌みたいに真っ白で柔らかい綺麗な心を持ってるって、知ってる。
だから好きになったんだ。
触れてみたかった。けど、触れなきゃよかった。
日向らしい優しくて柔らかい髪にちょっと触れただけで、熱のせいで思考が麻痺した頭じゃ、制御できなさそうだったんだ。すごく柔らかかった。そして、もっと触りたくなった。
髪に、あの白い頬に、ピンク色の唇に、伏せると見惚れるほど長い睫毛に、細い首筋に、もっとたくさん、触りたくて。
ゾクゾクした。こんな、生まれて初めての衝動、どうしたらいいのかわかんないよ。だから、慌てて帰らせたんだ。あんなに細い身体じゃきっと抵抗なんてできないだろ? 日向には好きな人がいるのに、片思いで、向こうがどう思ってても今でも好きで、ひとりぼっちの初詣をしてでも願うくらい、神様に「思いはままならない」って言われてもまだ好きなくらい。俺がしてる片思いみたいに、どうにもならない片思いを日向もしてる。
その苦しいのとか、悲しいのとか、全部話せる友達をようやく見つけたんだ。その友達であるはずの俺が日向のことを友達だなんてちっとも思ってないなんて知ったら、どんだけ悲しむと思ってる? ようやく全部を打ち明けられる友達ができたと思ったのに、その友達が、こんな――。
でも、俺は、ちゃんと友達になる気、ある? こんな、指先に残った日向の髪の感触を大事にしたりして。本当に日向の友達になるつもり、あるの?
「……日向」
こんなに好きで、友達になれるのかよ。指先をぎゅっと掌の中に隠しながら目を瞑ったって、こんなに好きな気持ちは隠せてない。日向って、呼んだ声はどう聞いても、クラスメイトを呼ぶ声と全然違ってて、苦しかった。
すごい自己嫌悪。
俺のことをあんなに心配して、信頼してくれてるのに、それをひどく裏切ってる。きっと日向のことを一番悲しませてるのは、前の学校にいる日向の好きな奴じゃない。
俺だ。
嘘つきな、俺。だって、普通は友達の髪になんて触れない。触れて、衝動なんて持たない。襲いそうになる自分から遠ざけたりしない。
「……伊都、起きてるか?」
カチャリとわずかな音を立てて開いた扉、俺は背中を向けていたけれど、あまりに静かなうちの中じゃ、誰が帰って来たのか、その足音とか、小さく溢れる溜め息とか、気配でわかってた。
睦月だ。今日は早番って言ってたから、きっと俺のことを心配して真っ直ぐ帰って来てくれたんだ。
「熱、どう? 食欲は?」
食欲、ないけど、大丈夫。性欲はあるみたいだし、なんて、自己嫌悪を煽るようなことを胸の内で呟いた。
「あの子が、伊都が水泳教えてる子?」
ベッドのスプリングが少しだけ揺れる。睦月が端に座ったんだ。でも俺はそっちへ顔を向けることなく壁のほうを向いて、顔を隠したまま。
「律儀な子だな」
知ってるよ。真っ直ぐで優しくて、生真面目で、そして、人のことをすぐに信頼する。
「いつも伊都君に水泳を教わっています、って、挨拶しに来たよ。今からお見舞いに伺おうと思っていますって、渡したいプリントもあるし、それに風邪を引かせてしまったのはきっと自分だからって」
「……」
「良い子だ」
うん。知ってるってば。すごく良い子すぎるんだ。もっと、俺のこと不審がってよ。いきなり髪に触ってびっくりなんてしないで。何? いきなり触って、って怪訝な顔しなよ。そんな真っ直ぐ俺を見て、頬をいつもみたいに赤くしてたら、もっと触ってもいいんじゃないかって、許してくれるんじゃないかって思っちゃうじゃん。
「でも、不器用そうな子だな」
そうかもね。友達作るの下手だ。あんなに優しいのに、不器用だから全然周りにそれが伝わってない。きっと、日向と少し話せばわかるよ。本当は明るくて楽しくて、人のことをからかったりもして、だけどどこにも嫌味がない。きっと、すぐに友達ができる。
「……日向は」
でも、それを俺はイヤだと思った。
日向のこと独り占めしたいって思った。俺だけが、本当の日向を知ってたいって思った。
「んー?」
「睦月に何か話した?」
「何かって?」
「その……」
同性愛のこと、本当は俺じゃなくて、睦月たちに相談したかったんだ。それに、その恋を実らせて、家族になった姿とか見たかったはず。
「とくには。伊都のことだけだったよ? でも、またうちに呼べば? それこそ、千佳志さんがいる時にでもさ」
人と接する機会が多いからか、睦月はそういうのすごく敏感に感じ取ってくれる。俺がプールに初めて入る時、初めて潜ってみた時、欲しい言葉を、差し伸べて欲しい手の感触を、強く引っ張って欲しいのか、優しく繋いで欲しいのか、わかってくれる。
「日向のこと、わかったの?」
お父さんもいる時に呼べば、なんて言うから、日向のこともわかったのかもって、そう思った。もしかしたら日向からは言えなくても、睦月がわかってあげて手を差し伸べたのかなって。
いきなり起き上がった俺に睦月が目を丸くした。
「日向が、その……ゲイって」
そして、ふわりと笑って。
「どうかな」
なんかはぐらかされた。睦月なら、わかんないわけないんだ。日向って思ってることが丸ごと顔に書いてあるから絶対にわかるはずなのに。
「そうかもって思っても、それは憶測でしかないからな。実際、あの子が自分はゲイですって言ってこない限り、それは予想でしかないよ」
「……」
「言わなきゃわからない。言わなきゃ全部は伝わらない。そう教えてくれたのは伊都だろ?」
俺はそんなすごい立派なことなんて、言った覚えは――。
「俺が千佳志さんのことを好きで、千佳志さんも気にしてくれてて、でもお互いに、そんなわけないって迷っていたのを伊都が引っ張って会わせてくれた」
それは、睦月とお父さんが出会った夏。
「あれがなかったら、今の俺たちはないかもしれない」
睦月が遠くを見るように目を細めた。その先にはあの、俺が小学生一年だった夏の夜の光景が広がってそうな、そんな嬉しそうな笑顔で。
見てて、わかったんだ。あの時の俺に恋とか愛とか、好きっていう気持ちも理解できてなかったけれど、でも、ふたりがすごく言いたいことがあるんだって顔をしてた。伝えたい気持ちがここにあるって。でも言わないし、お父さんなんて俺ばっか見て睦月のほうをちっとも見ようとしないからさ。
そう、あの時、玲緒と話したんだ。
その前からプールではお互いに目が合ったり、一言二言、交わしてたけど、まだ友達じゃなくて。でも友達になりたいって思ってて。そんで、あの合宿で話したら気が合った。だから、睦月とお父さんも話せば楽しくなるんじゃないかって、もじもじしててもダメだよって作戦を立てたんだ。
偽の肝試しをでっち上げて、ふたりっきりになれば話すだろ? そしたら、きっと仲良くなる。あんなに嬉しそうに睦月にご飯を作ってあげて、あんなに美味しそうにそのご飯を睦月が食べるから、だから、きっと仲良くなれるよって、ふたりが笑顔で偽の肝試しから帰ってくるのを、ワクワクしながら待ってた。
「今でも、伊都に感謝してる。あの時、会わせてくれた。あの夜、伝えたい気持ちを言えたから、今、俺はここにいれるんだ」
「……」
「明日学校行けそうか?」
「あ、うん」
「そっか。そしたら、あの日向君にお礼言うように。大事な子なんだろ?」
「……うん」
睦月が俺の頭を撫でて、そして、うどんでいいか? って笑ってた。俺はもう大丈夫だからちゃんと食べるって、答えたんだ。
ともだちにシェアしよう!