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第22話 大事な子

 ――大事な子なんだろ?  うん。すごく大事だよ。俺をからかってる時の顔、屈託なく笑う顔。見てると愛しいって思えたんだ。睦月やお父さんが笑っている時、こんな気持ちなのかな。  こんなに愛しくて、見てるだけでぎゅっと。 「伊都!」  見てるだけで、ぎゅっと胸の辺りが締め付けられるくらい苦しくて、ドキドキして。 「……日向」 「あ、背中、見えたから」  嬉しくて。 「あの、もう風邪大丈夫? 俺、休んでるとこ邪魔しちゃったって、ずっと」  でも、日向にとって俺はようやくできた友達なんだ。久しぶりにできた友達だから。  ――言わなきゃわからない。言わなきゃ全部は伝わらない。  すごく大事だから、俺は日向が欲しがっていた「友達」になるよ。悲しませたくない。泣かせたくない。もうあんなふうに一人にさせたくないから、ずっと、一生俺は日向の。 「ごめんね。その、昨日は……」 「いいんだ。それより、日向、あのさっ」 「伊都! あのねっ」  君がびっくりして見開いたその瞳の中、ちゃんと友達として映ろうと思ったんだ。だから、今度、うちにおいでよ。日向の話したいこと、睦月たちが聞いてくれるから。片思いのことだって、色々相談に乗ってくれると思うんだ。そう言おうと思ったのに、俺のクラスメイトの声がそれを遮ってしまう。 「伊都、わりぃ。和英辞書持ってる? 玲緒が、伊都なら持ってるって」 「あ、あぁ、持ってるけど、今……」  いなくなってた。日向は慌てて、この場を駆け足で離れていってしまった。ミステリアスな転校生が学校で話しちゃいけないとでも思ってるみたいに慌てて走り去って。 「貸してくんねぇ?」 「……あぁ」  その細い肩からあの白くてふわふわしたマフラーが滑り落ちるくらい、慌てて走り去る背中だけを見つめてた。 「……治ったの?」 「おはよ。玲緒」 「……あの子、来たよ」 「……うん」  あの子っていうのは日向のことだ。教室に入ると温かくて、あっちこっちから楽しそうな笑い声が聞こえてきた。その中に玲緒のムスッとした声が混ざり込む。 「伊都のお見舞い行きたいってさ」 「……うん。来たよ。色々ありがとな」 「ありがとうじゃないよ! 言ったよね? あんま仲良くしてると、違和感が」 「……だよ」  違和感なんて知らない。どうせ、噂になんてならないよ。去年の夏と変わらない。 「友達だよ」  そこに火種になるようなものがないんだから、噂の煙なんてもしも上がったところですぐに消える。 「友達、だ……」 「……伊都?」  そう友達なんだから。別に隣のクラスに友達くらいいるだろ? それと何も変わらない、廊下で、この教室で、楽しそうに笑って話す普通の、友達なんだから。 「おーい、席つけよお」  ただの友達なんだから。 『ごめん。放課後、ちょっと付き合って欲しいんだ。その、水泳続けてもいいなら、ちゃんと道具とかトレーニングウエアとか買ったほうがいいかなって』  一日中授業を受けたら肩から首の辺りがぎゅっと縮こまるような感じがして、チャイムが鳴ると同時、授業が終わった途端にぐっと背筋を伸ばして、両手を高く挙げた。  そして、ホームルームが終わった後、スマホにそんなメッセージが入っていた。  日向からだ。  いいのに、トレーニングウエアなんて大層なもの準備しなくても。水着だって、さすがにトロピカルなド派手ハーフパンツタイプじゃ雰囲気浮きすぎてダメだろうけど、別に、学校の水泳で使うやつなら大丈夫だし。競泳のとか小さめだから、あんま、ほら、日向の細い腰にはよくないっつうか。  っていうか、これ、こういうそわそわしたのって、そっか、好きだからドキドキしてたのか。あの時、初めて水泳教えた時、日向の白い肌にドギマギしてた。や、だって、あんなに白かったらさ、ドキドキするだろ。しかも、好きな子の――って、バカだな。俺は、友達になるんだろ。日向のことが大事だから、欲しがってた友達になるって、決めたんだろ。 『放課後、駅前の銅像のところで待ってます』  いいのに、周りのことなんて気にしないで。友達と一緒に放課後に買い物するなんて普通なことなんだから。 『あ! 風邪、治ったばっかだから、帰る? ごめんっ! 買い物はまた別の機会にします!』  思わず笑ってしまった。ホント、生真面目だ。今、隣のクラスで慌ててこの文章打ってたのかなって思って、胸のところがくすぐったい。嬉しくて、そんで、少しだけ切なかった。 「伊都、スイミング?」 「うん。そう」 「そんじゃあね。バイバイ」 「……うん」  手を振ってくれる玲緒に笑って、鞄を持って教室を出る。日向を見かけなかったけど、きっとここじゃ話してるとこも一緒にいるところも見られたくないんだろうから、俺は寒い外で待たせないために先に駅に向かうことにした。  スイミングは自転車だけど高校は電車と徒歩で来てる。競泳の水着はいらないけど、ジャージみたいなのはあったらいいかもしれない。でもそれだって部屋着で充分。量販店の服と違ってけっこう値段するから、スポーツ用品なんて無理矢理揃える必要ない。  買い物に誘うくらいだから放課後時間あるのかな。あるんだったら、なんかスポーツ用品じゃなくて、本屋とか、あと音楽とか。何聴くんだろ。映画は、この前観たし。あー、でも、あの時やってたアクション映画とか一緒に見たら楽しいかな。日向ってどんな映画が好きなんだろ。一緒に、ラブストーリーものは……観なそうだ。観そうで、観ない気がする。じゃあ、カラオケとかは? 日向って声綺麗だから歌とかうたったら、きっと良い感じだと思う。 「伊都っ!」  そんなことを考えながら歩いてたら駅までなんてあっという間だった。着いてちょっと待ってたら、日向が後を追うように走っていた。 「ごめっ、あのっ」  頬も鼻も真っ赤にしながら、肩で息して、一生懸命走って。 「あの、伊都、歩くの早い」 「……っぷ」  ホント、真面目だな。笑っちゃうくらいに真面目で可愛い。 「日向が遅いんだよ」 「んなっ! 俺、走ってきたんだけど!」 「うん。知ってる」  可愛くて、やっぱり……好きだ。すごく。 「あの! ごめん! 俺、水着とかわからなくてっ」 「いいよ。学校ので。トレーニングウエアも普通に部屋着でいいし」 「でも! だって、伊都とかめちゃくちゃカッコいいじゃん。俺、なんか浮いてない? 伊都がその笑われたりとか」 「ないよ」  君のことがすごく好きだ。 「それに真っ白で細い日向ががっつり競泳とかのほうがきっと、あれだよ」 「……形から入ったド素人感丸出し? やっぱり」 「んー、まぁ」  ずっと隣にいたい。 「そっか……じゃあ、買い物は……」 「ってことで!」  ずっと日向の隣にいて、笑って、拗ねて、怒って、困る君を見てたい。 「このあと、スイミングまでの時間、映画かカラオケ、あ、あと、晩飯とか」 「! す、する! したいっ!」  友達でもなんでもいいから、君の隣にいたい――なんて思ったからかな。 「……ひな」  ぼそっと聞こえた女子の名前を呼ぶ声。全然知らない声だったけど、日向はそれに飛び上がって反応した。 「うわぁ、公衆の面前でイチャついてるのかよ。すげーな」  そして、目を見開いて、青冷めた。  その視線の先には俺たちと同じ歳っぽい、別の学校の制服を着た男子が数名いて、ニヤニヤしながらこっちを見ている。その数名の真ん中に奴だけが、目を見開いてこっちを見つめていた。 「……ぁ、角田(つのだ)君」  それが、日向の好きな奴だって、一瞬でわかってしまった。

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