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第23話 君の手は

 日向の好きな奴だって、一瞬でわかってしまった。ツーブロックの髪を染めて、目付きが悪くて、日向とはあまり接点のなさそうな感じの奴。そいつが、日向のことを「ひな」って呼んだ。とても親しそうな呼び方だったけれど、俺は――。 「うわぁ、そっちの学校って同性愛にも理解があるんだなぁ。だから転校生したんだぁ。よかったじゃん。白崎ぃ。これで角田もホッとできるぜ」  俺は、イヤだと思った。 「な? 角田ぁ」  そんな親しく呼ぶくせに、たかが噂ひとつで、日向のことを傷つけたから。 「あ、あぁ」  そんな親しくしてたくせに、日向のことちゃんと見てなかったんだ。こんなに日向は思ってることが顔に出るのに、何一つとして。 「そっちの好青年クーン、せいぜい仲良くしてあげてぇ。こっちじゃ、そういうちょっと、あれなんだわぁ」  ゲラゲラと笑う下品なそいつらの中でそんな苦しそうに、居心地悪そうにしたって、日向を誰より傷つけて、泣かせた。こんなに悲しい顔させて、謝らせて、こんな、苦しそうな声を出させた。 「ご、ごめん、伊都。い、行こう。ホント……ごめん」  日向は前の学校でのことを思い出してる。指先が真っ白になって、血の気がなくなって、そのまま凍りついてしまいそうなくらい。怖くて仕方ないんだ。たくさんの鋭い視線と思いやりの欠片もない笑い声、ナイフみたいに突き刺さる言葉。 「えー? あ、もしかして、これからラブホ? あはははは。うちらのほう、そういう少ねぇも、」 「だったら、なんだよ」  大丈夫だよ。 「いっ、伊都!」  その冷たくなってしまった手を握った。氷みたいに冷えてしまった細い指先をぎゅっと握って、手を繋いだ。日向は慌ててその手を引っ込めようとしたけど、華奢な日向が力で俺に敵うわけなんてない。この掌に掴まったまま。 「日向、大丈夫」 「なっ、何言ってんの! 大丈夫なんかじゃっ」  あったかい? 俺、手はいっつもあったかいんだ。小さい頃は手袋なんてほとんどしなかったらしいよ? 今だって、日向みたいに厚着じゃないだろ? 「伊都っ! 手、離して!」 「やだよ」  俺たちを見ていた向こうの奴らの一人がげらげら笑った。その笑い声に角田が顔を引きつらせる。まるで申し訳ないことをしてるって思ってそうな苦笑いを零して。  そいつらの中、ひとりじゃ立ち向かえないから、怖いから大勢の中に溶け込むしかなかった? なんで、お前がそんな被害者みたいな顔するんだ。一番、日向を悲しませたくせに。 「俺たちがゲイだったとして、だったらなんだよ」 「いっ、伊都!」 「あぁ? なんだ、てめぇ」  こんなのどこが怖いんだ。 「俺がゲイでお前らに迷惑をかけたか?」 「はぁ? キモいんだよ」 「俺がゲイだって、お前らの学校まで知れ渡って、授業もできないくらいの邪魔でもしたのかよ」 「あぁぁ?」 「邪魔するほど関わりたくなんてないよ。悪いけど、お前らみたいなブスどう頑張っても好きにならないから」 「んだとっ、てめぇ」  バカじゃないのか? 「俺は、ゲイだよ」  はっきりとした声でそう告げた。 「ゲイだ」  ここは駅前で、ちょうど帰宅ラッシュの時間帯。人も多くて、ざわざわと騒がしいけれど、俺の、はっきりと宣言する声は聞こえる。ちゃんと、行き交う人の数人が聞き取って、俯きがちだった視線をこっちへと向けた。日向はその視線が突き刺さって痛いと肩を竦めた。  ごめん。日向には、これはきっと怖いことだ。でも――見て。 「ッチ。バカじゃねぇの。行こうぜ。角田」  行き交う人が顔を上げたのは一瞬。少し驚いて、少しだけ顔を上げて、そして、そのまま通り過ぎていく。別にただそれだけのことなんだ。俺がゲイでも地球は逆回転しないし、今、目の前で俺をちらっと見て、駅へと歩いて行ったサラリーマンの生活が変わるわけじゃない。何も、変わらない。ただ、俺がゲイだっていうだけのこと。 「日向」 「っ」 「怖かったよね。ごめん」  長い睫毛に大きな涙の粒を溜めて、唇を震わせている。ごめん。君にとってはとてもイヤなことを思い出させたけど、でも、知って欲しかった。君がゲイだということを誰かに謝る必要なんてない。君は何も悪いことはひとつもしていないって。  わかってほしい。ただ人を好きになっただけのことなんだよ。それは誰かに非難されることでも、からかわれることでも、ましてや嫌われることでもない。  そして、そのことを、あの、憶病者もわかってほしい。 「ほら、日向、戻ってきたよ」  繋いでいた手を離した。もう、俺の手は、必要ないから。 「日向」 「……」  俺の視線の先を大きな黒い瞳が追いかけた。バカな群れから離れて、さっきまで憶病者だった奴が少し怖がりながら、でも真剣な顔でこっちへ戻ってきた。ゆっくり歩いて、行き交う人の波の中、真っ直ぐ、日向のところへ。 「よかったな」  それを見つけた日向の瞳から大粒の涙がひとつ、落っこちた。  本当に嫌いなら、さっき君を見つけて「ひな」なんて呼ばない。俺と一緒に歩く姿にショックなんて受けないよ。他の奴らみたいに笑ってからかってるはずだ。けど、そうじゃなかった。俺たちのことを勘違いして、ようやく大切なものを見つけられたんだ。自分の気持ちを。  きっとあいつは日向のことを……。 「それじゃね。日向。今日、スイミング、休みでいいからさ」  俺はその澄み切った綺麗な涙の粒を見て、笑って、立ち去る。 「伊都っ!」 「よかった、じゃん」  頑張って、笑って、友達として日向の背中を押した。華奢で、繊細な背中を押して、今、日向のところへ歩み寄る、日向の好きな奴のところへ。初詣の時、神様にだって頼んだだろ? 一度出て、また引き返して、恋が実りますようにって願かけながらおみくじ引いて。その片想いがようやく実るんだ。時間かかっただろうし、途中傷づいたかもしれないけど、でもよかったじゃん。 「また、明日、学校で」 「伊、」 「ひな……」  優しい声をしてた。ぶっきらぼうだけど、優しくて、こんな声をした奴だから日向は好きになったんだって思えた。友達の俺はちゃんと祝福するよ。  けど、本当の俺は――その声が聞こえた途端に歩く速度をあげるんだ。  日向とあいつが言葉を交わして、すれ違った部分をふたりで元に戻して、笑い合うところを見たくなくて、俯きながらその場を急いで離れる。  ごめんって、あいつが心から謝ったら日向は許すと思う。優しいからさ。ひどいことを言われて、ひとりぼっちにされたことよりも、今見せてるだろう申し訳なさそうな顔を見て、笑いかけさえして。さっき、俺が握った手であいつの手を。  もうあんなに冷たくなんてなくてさ、名前のまんま日向みたいに温かい手で。 「伊都っ!」  温かい手が。 「伊都っ! 待って!」 「……」 「も、歩くの、速いよ」  俺の手を。 「日向?」  日向がすごく強い力で掴んでた。

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