27 / 115

第27話 ダメじゃないよ。

 朝、目を覚ますとあったかくて心地良くて、なんか幸せだ。夢の中に日向がいた気がした。すごく嬉しそうに笑ってて、可愛かった。 「……ふわぁ」  ひとつあくびをして起き上がって、カーテンを開けて、まだ空の下のところがオレンジとピンクを混ぜたような優しい色をしてるのを眺めて、また日向のことを思い出す。  キスの余韻がまだ残っててさ、今もまだ、すごく良い気分なんだ。 「よしっ」  こんなふうに、シャキッと起きられるくらい、最高の、朝なんだ。 「おはよ。睦月。お父さんはキッチン?」 「んー。多分」  部屋を出ると睦月が洗面所でヒゲを剃ってた。俺は覚えてないけど、小さい頃、それを不思議そうに見上げてたんだって。お父さんは薄くて、毎日なんて手入れしなくていいから、一緒に暮らし始めた最初の頃、アニメとか影響なのか、ヒゲは長老とかにしか生えない特別なものかと思ってたって、びっくりしてたって。ヒゲがほぼ生えないお父さんは若干切なかったらしいけど。  でも、だからって女の人みたいなわけじゃない。ちゃんとお父さんで、ちゃんと男の人。でも、睦月はそんなお父さんを好きになった。 「お父さん、おはよ」 「おはよー。睦月は洗面所?」 「うん。ヒゲ剃ってる」 「伊都、朝ご飯、運んで」 「ねぇ、お父さん」  男の人は女の人を好きになるもの、とは思ったことがなかった。それはお父さん達のこととは関係なく、自然に自分の中にあった考えなんだけれど。ゲイじゃない睦月がお父さんのどこに惹かれたのかとか、あのお父さんが恋をしたのはどうしてなのかは分からなかったんだ。  おばちゃんも会う度に「彼女は?」って訊いてくる。そこに他意はないんだけど、いつもどこかにある大前提の「彼女」って言葉。皆が当たり前のように好きな人に「女の子」を選ぶことが多い中、どうして、お父さん達は、同性だけれど、そんなに好きになれるのか。 「あのさ、今日」 「今日、スイミングないよね? 夕飯、外で友達と食べるのもいいけど、ちゃんと課題とか」 「やってるよ。そんでさ、今日、うちに同級生呼んでもいい?」 「いいよ~」  今ならわかるよ。  笑顔が好きになった。すごくありふれた理由だけど。でも、本当にそうなんだ。日向に、心が踊ったんだ。 「会って欲しい人がいるんだ」 「いいよ……えっ?」 「大切な人、で」  お父さんはパッと表情を華やかにした。ついに、みたいな感じ。 「同級生、白崎日向」 「……ぇ? その子って」 「紹介、したい。日向、色々悩んでて、お父さん達に話してみたいって言ってた。それに、俺、日向のことっ」  ぽん、って頭に乗っかるあったかい手。洗面所で身支度を終えた睦月だ。久しぶりに頭の上に乗っかる重さ、大きさ。よく子どもの頃はしてもらってた、今でもやっぱり大きく感じるヒーローの手。 「睦月……」 「おはよう、千佳志さん」  ニコッと俺に笑って、それから最愛の人に丁寧に朝の挨拶をする。お父さんも丁寧に笑って答えて、睦月は自然とそのまま会話をしながら朝食の準備を手伝うんだ。お父さんは睦月が隣にいるといつだって嬉しそう。  そんな二人を見て育った俺の心が、日向に躍った。 「日向君は、何が好きとかある? なければ、そうだなぁ。ちらし寿司とかが」  とても好きな人。 「野菜炒めがいい!」 「え?」 「俺、野菜炒めがいい!」  お父さんと睦月みたいに、丁寧に大切にしたい人。 「わかった。野菜炒めね」  お父さんは笑って、そう答えてくれた。そして、炒めたてのソーセージから美味しそうな湯気が立ち込めていた。  今日の放課後、そこまで文字を打って手を止めた。急に誘ったらびっくりするかな。さすがに付き合うことになった翌日に親に紹介って早い? 重い? 変? でも、話したいって言ってたし。 「おはよ。伊都」 「玲緒、おはよ。……な、何?」  歩きスマホを諭すためなのか、じっとこっちを見つめて、いや、睨みつけてる。小言の多い玲緒に身構えて、スマホをポケットに突っ込んだ。 「……なんでもないよ。早く教室に行こ。今日はめっちゃ寒いっ」  玲緒、言いたいことあったんじゃないの? わからないけれど、それ以上は何も言わず、細い肩をすくめながら冷気を胸に吸い込んで、真っ白な吐息にして吐き出した。そんな様子を眺める俺をもう一回チラッと見て、でも、やっぱり何も言われることはなかった。  ――今日、水泳休みだからね。  ――うん。わかってる。伊都は泳ぎたい?  ――まぁね。でも睦月にオーバートレーニングにならないようにって言われてる。睦月は毎日泳いでるのに、なんか、ズルくない?  ――伊都はホント、魚みたい。  ――放課後、日向は、どっか行く用事とかある?  ないなら、うちに来ない? って、打っても大丈夫? まだ早い? やっぱり重い? 「ねぇ、伊都、今日スイミング休みだよね?」  玲緒だった。前の席にいきなり座った玲緒にハッとして、思わず、見えないように、そっとスマホを伏せてしまう。 「あー、うん」  日向のことを好きになったことも、日向と両想いだったこともまだ言えてなくて、なんか、今朝は今朝で玲緒の視線に身構えちゃって、言うタイミングをなくしてて、ちょっとマズい、とは思ってるんだけど。けどさ。 「そしたらさ、今日の放課後、皆で遊ぼうよ」  言ったら、あまり歓迎はされないのかなぁと。お父さんと睦月のことがあるから、玲緒が男同士の恋愛に対して差別とかがないのわかってるんだけど、たぶん、玲緒は日向のことが。  その時ちょうど、日向から返信があった。手の中でスマホが振動して、それを知らせてくれている。 「あー、今日は」 「あ、それか、これ読もうよ! 今日借りた漫画! めっちゃ面白いんだって。嵌るらしいよ。伊都、水泳ばっかで、こういうのあんま読まないじゃん」 「んー……」 「好きでしょ? 歴史アクション系」  まぁ、好きだし、それ、俺も誰かから嵌るって聞いて興味があったけど。でも、今日じゃなくていいかなぁ、なんて。 「あー今日は、ちょっと」 「何? なんか、ダメ?」 「いや、あのさ」  言うのなら、今言わないと、このあとじゃもっと言いにくく。 「ね、伊都」 「は、はい」  でも、そんなじっと睨むみたいに見つめられると、余計に言えなくなる。 「伊都らしくないよ」 「え?」 「言いにくいことをしてんの? こそこそしないといけないこと、してるの?」 「……」 「してないなら、いつもみたいに堂々としててよ」  はぁ、と久しぶりに玲緒のすごく重たい溜め息をつかれて、睨まれた。 「反対するに決まってるじゃん。あのね、そんなの世界中の人が理解してくれるってわけじゃないんだから。世界中は伊都ほど真っ直ぐな人ばっかじゃないんだから。クネクネのクッネクネな人間が山のようにいるんだから。親友としては心配に決まってるじゃん。しかも相手があの子とか。ホント、もう少しさ……って言っても、無理だよね。そういうのは仕方のないことだと思うし。止められないもんだろうし。でも、反対はするよ。大親友がついにした初恋は苦労ゼロのハッピー恋愛であって欲しいじゃん?」 「……ぁ、の」 「けど、まぁ。バカな差別をする人ばっかりじゃないから、いざとなったら俺が、ちゃんとh大親友のこと守るから」 「……」  一気に玲緒がペラペラと先に話して、「ほら、早く言え」とせがまれた。 「あ、俺、今、好きな人が」 「知ってる。伊都、ホントわかりやすいから。だから、先に釘、ぐさっと、今、刺したけど」 「うん」 「あと、向こうにも、伊都の大親友として、釘刺したから」 「は?」  何、釘って、そんなの。 「それで折れたら、本気で反対する。そんなんじゃ、この先伊都の隣にいる資格ない」 「そんな資格とかっ」  人を好きになるのに資格なんていらないし、俺はそんなの関係なく今の日向のことが好きになったんだ。それは親友の玲緒にさえとやかく。 「けど! それで折れてなかったら、応援する。ちゃんと、本当に。向こうはなんて言ってんの?」 「……」  そっと、手の中に隠したスマホの画面を見た。  そこにはさっき送られてきた日向からのメッセージが表示されてる。そして、アプリ開いたまんまだったから、日向のスマホ画面には既読のマークがついてると思う。 「俺、ちょっと隣行ってくる」  既読マークついてるのに返事しないんじゃ、俺が躊躇ってるって思わせるかもしれない。 「……いってらっしゃい。静かにね。あんま、目立たないように」  その忠告は、守れなかった。  勢いよく突然飛び込んだせいで、止まりきれなくて、ドアを手で掴んだら、大きな音を立ててしまった。教室の入り口でしゃべっていた女子がびっくりして、小さく悲鳴を上げる。  そして、その声と音に窓際で頬杖をついていた日向が振り返った。俺の返事を待って、不安そうな顔をした日向が。  ――あの、できたら、今日、伊都のご両親にご挨拶したい、です。なんて、ダメ、かな。  日向が目を丸くして、俺を見て。  俺は、心の中で、「ダメじゃないよ」って返事をした。

ともだちにシェアしよう!