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第29話 いつもの光景

 どんどん近くなる我が家。君のうちから駅四つ分離れていけば行くほど、ドキドキしてきたみたいで、うちに到着した頃にはちょっと油を差し足りてないブリキのおもちゃみたいだ。 「か、菓子折りとか! いるかなっ」 「いらないってば。それはまた、もう少し大人になったらで」 「なっ、おっ! となって」 「日向、言葉を切るところが変になってる」  時間潰しで寄った本屋でただ漫画の背表紙見ながら話すだけでも楽しくて、二人で、この漫画は面白かったとか、これめっちゃ怖くて、部屋に置いておくのもいやだったとか、盛り上がってた。  さっきまではあんなに楽しそうにだったのに。 「大丈夫だって。うちの親、反対なんてしないから」  今は、予防接種受ける前の子どもみたい。 「そ、じゃなくて、そのっ、あっ」 「もう、紹介したい大事な人なんだって、話してあるし」 「えっ?」  だから、気にしないで、身構えないで、普通にしてて。力入れたら泳げないだろ? そんな感じ。 「それに、夕飯はちらし寿司じゃなくて、野菜炒めだからさ」  聞きたい、よりも、きっと日向は確かめたかったんじゃないかな。同性愛でも、男女のと同じただの恋愛で、家族になれて、そして笑って幸せになれるんだってことをたしかめたかったんじゃないかって。  プールで何があったのかを話してくれた時、あの転校の原因になる出来事の前までは、同性愛のことを信じてた。普通の恋愛と何も変わらない、差別されることじゃない。同性を好きになるのはいけないことなんかじゃないって。 「あ、もう帰って来てる」 「!」 「ただいまー!」  それを確かめるには、会うのが一番だと思うから。 「おとおおおさああああん!」  会って確かめてみて。きっと信じられるから。 「おかえり」 「連れてきた」 「うん」  いつもみたいにひょこっと顔を出したお父さんが、ふわりと笑った。 「……いらっしゃい。どうぞ、あがって?」  そんなお父さんに、日向が、目を輝かせたのが、隣でわかった。 「あ、睦月、そっちの取ってもらってもいい? 今日、藤崎さんがさ定時で帰るの譲ってくれて」 「そうなんだ。はい、どうぞ。」 「ありがとう。今日はちょっと、って言っただけだから」 「じゃあ、明日、訊かれるんじゃない?」 「たぶんね」  ふたりで楽しそうに夕飯を作ってる。いつもの光景。でも――。 「あ、ありがと」 「どういたしまして」  お父さんが上の棚から普段は使わない特別な日用のグラスを出そうと手を伸ばす。けど、取ってあげるのは身長のある睦月。背後から伸びてきた手にお父さんが気がついて、その手を目で追いかけて、リビングにいると見えないけれど、その顔は嬉しそうにはにかんでると思う。何度も見たことのある日常。  ほら、やっぱり。  振り向いて、睦月に笑いかけるお父さんはちょっと酔っ払いみたいに頬が赤い。 「……素敵だね」 「そう?」  その光景を眺めながら、俺の隣に座っていた日向がぼそりと呟いた。見つめながら、うらやましそうに、黒い瞳を輝かせて。 「いつもあんなだよ」 「うん。だと思った」  その瞳が俺を見つめてから、ふわりと細められる。そんなふうに笑うと、日向の長い睫毛が強調されて、ドキドキするから困るのに。そんなのきっと本人はちっともわかってない。 「伊都も、するよ?」 「え?」 「同じこと、俺にしてくれた」 「あー、おみくじの時ね」 「んーん」  長い前髪が長い睫毛に触れて、首を振ったりした拍子に揺れるとちょっとくすぐったそうだなって思うんだ。 「コンビ二で。伊都がお財布も、スマホも持ってなかった時」  そんなこと、したっけ? 道端で偶然会って、俺のお父さんたちのことが聞きたかった日向はコンポタを、俺はお茶を、買ってもらって。 「お茶、取ろうとしたら。自分で取るよって、あんなふうに、取ってくれた」 「……」 「自然に人に優しくできる人、って、思った」  ごめん。覚えてない。きっと本当に何も考えてなかった。けど、それを大事に覚えててくれた。 「かっこよかった」 「……」 「けっこう、あれ、ドキドキする」  睦月はよくああやってお父さんの手伝いをするから、それを見てた俺はドキドキさせるとかあんま考えずに、普通にすることとして真似てたんだと思う。 「……ドキドキしたし」 「日向が?」 「うん。だから、お父さん達のこと訊けなかったんだ。なんか、伊都がカッコよくて、優しいから、緊張した」 「俺に?」  コクンと頷く横顔が可愛かった。ピンク色になってしまったほっぺたも耳も、首筋も、ちょっと目には毒で。口元を自分のニットの袖で隠してしまう日向に、今、俺が緊張してる。 「おーい、なんか、ごめんね。ご飯、できたよ」 「! はっ、はいっ!」  声をかけられて、急に脅かされた猫みたいに飛び上がったら、お父さんと睦月が笑ってた。  日向は野菜炒めの量にびっくりしてた。だって、スポーツやってる俺と睦月がいるんだから、食べる量はけっこう多いに決まってる。こんな大皿、うちにはないと呟く日向にお父さんが「頑張って食べて、じゃないと、すぐになくなるからね」って応援されて、また驚いて。  うちで一番のごちそうなんだ。  三人が初めて一緒に食べた夕飯メニュー。 「さ、食べようか」 「あ、あのっ」  日向が肩に力をいれて、背筋を伸ばす。ひとつ深呼吸をして、これから水の中に飛び込むみたいに、胸いっぱいに空気を溜める。 「おれ、僕、佐伯伊都君とっ、お付き合いをっ、えっと、すごく大事にします。その、本当に」 「……伊都のこと大切に想ってくれて、ありがとう」 「……」 「きっと伊都は日向君のことを大事に、大切にしようとするから、ふたりで仲良く、ね?」 「っ……はい」  お父さんが笑って、睦月が微笑んで、日向はちょっと泣いて、そして、嬉しそうに、やっぱり笑ってた。

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