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第30話 暴走キス

 終始、和やかなムードだった。和気あいあいって感じで。  最初、ものすごく緊張してブリキのおもちゃみたいに硬かった日向がゆっくりといつもの柔らかい日向に戻っていく。  野菜炒め美味しいですって言えば、お父さんが嬉しそうに笑って。その野菜炒めに秘められた思い出話にびっくりしてた。あとちょっと赤くもなってた。偶然の出会いが生んだお父さんと睦月の恋の始まり方は、少しだけ、コンビニでの俺たちに似てたから。  でも、日向は訊きたかったはずのことを何一つ訊かなかった。同性愛に切ないこととか、悲しいこととか、親のこと、周りへのカミングアウトは色々どうしてますか? とかさ。  色々あるかもしれないけど、目の前に幸せそうに笑うふたりがいるから、あんなふうに笑い合うことができるんだって、確かめられたから、それでいいって思ったのかもしれない。  そのくらい優しくて、あったかくて、朗らかな食事だった。 「うわぁ、すごい。これ、水泳の賞の?」  そんな食事を終えて、お父さん達はリビングでお茶飲んでゆっくりしてる。俺達は、「お茶、あとで持ってってあげるよ」の言葉で部屋へ移動することができた。  俺の部屋に、ふたりっきりに、なれた。  俺はそう思うけど、日向はどうなんだろう。  ふたりっきりになれたって思った? それとも。なっちゃったって思った?  どっちなんだろうと、ショーケースと本棚が一体化しているところに並んでいる水泳大会で獲ったトロフィーや賞を眺める日向を覗き込んだ。  イヤそうな感じはしない。学校やプールで話してる時とも変わりがない。 「そう。水泳の大会のだよ」 「……たくさん」 「あ、自慢とかじゃないからっ」  慌ててそんなフォローをしたら日向がこっちを見上げて、クスッと笑って、わかってるよって頷いた。背が、大分違うから、立った状態で並ぶとどうしても日向が上を向く感じになる。 「俺、ひとりで水泳やってるわけじゃないから。睦月もだし、それにお父さんも応援してくれてるから、だから、飾ってる」 「うん。俺、伊都のそういうとこ、好きだよ」  日向は無意識によくそれを言う。俺のことをカッコいいとか、優しいとか……好き、とか。でも言われるほうは意識してしまう。それが、俺の部屋で、ふたりっきりでなら余計に。  他には?  他に、俺のどっかしら、好きなとこある?  なんて、今までそんなことを自分が訊いてみたいと思うようになるなんて思いもしなかった。自分のどんなところが好かれてるのか、日向相手だと気になって仕方ない。 「この前、お見舞いに来た時は気が付かなかった」 「賞?」 「うん。ドキドキしてたって話したでしょ? あの時は、まだ知らなかったから、その、だから」  今だって、俺は意識しまくりでさ。 「その、伊都は、モテるから、学校に彼女がいないけど、でもプール行ってるし、他校にいるのかなとか、もしくは年上とかかなとか」 「……」 「ここに、女の子が来たこと、どのくらいあるんだろう、とか、考えてみたりして」  君がいる右側がやたらと暑く感じるくらい。 「だっ、だって! ホント、伊都モテるんだよ? 知らないし、そんなの興味ないって言ってたけど、でも、俺はっ、あのっ」 「ないよ」  日向も、俺みたいに意識、してる? 今日はお父さん達に挨拶するためだから、生真面目な日向は、今、ふたりっきりになっても意識してない?  ふたりっきりになれたって思った? 「日向」 「!」  それとも。なっちゃったって思った?  手首を掴んだら、大袈裟なくらいにビクンと飛び跳ねてた。 「い、伊都……」 「ここに、女の子は来たことない」 「う、ん……」 「だから」  どこか痛い? 真っ赤な頬、困ったように眉を寄せて、こっちを見ようとしない。 「うん……」  白い指が俺の服をぎゅっと握って、伏せた目がチラッとこっちを見上げると、潤んでた。泣いたみたいにも見えて、抱き締めたくなる。でも抱き締めたら、壊しそう。なのに、日向の白い手が俺の胸にしがみついたりするから、心臓が飛び跳ねてる。内側が慌しくなる。 「嬉しい……」  日向の澄んだ声は小さくて、聞き取れないからそれを理由に、したい。 「伊都のっ」  もっとずっと近くにいく理由に、耳まで傾けて。 「俺の、何?」 「……」  近くに行ったら、何か、優しい匂いがして、ドキドキした。香水でも石鹸でもなく、甘い、とどかでもない、優しい匂い。 「っ」  きっとこれは日向の匂い。  初めて感じた。背後から物を取ってあげるとかした時も、一緒に並んで歩いている時もしなかった。最初のキスの時は水の中だから匂いは消えていた。今、こんなに近くに来て初めて知った、日向の匂いが心地良くて落ち着ける。 「……ン」  落ち着けるけど、落ち着かない。 「ンっ」  キス、したから。そっと唇に触れる、キス。君とする、ふたつめの。 「っ」  キスで啄ばんだら、その唇がすごく柔かくて。 「ンっ」  離れられずに唇を何度も啄ばむと零れる声が可愛くて。 「ん、伊都……」  名前を呼ばれるとゾクゾクして、落ち着かない。 「日向……」  俺のシャツを握る手が力を込めたから息苦しいのかと持って、慌てて唇を離すと、触れる吐息が熱かった。 「伊都っ」  その熱に誘われるみたいにまた唇を重ねて、今度は舌でも触れた。 「ん、ンっ」  日向がちょっとだけ唇を開いてくれる。ぎゅっとしがみつきながら、どんな顔をしているんだろうってそっと覗き込んだら、目も手と同じくらいギュッと力んで瞑っていた。おっかなびっくり開く唇の奥にいた戸惑ってる舌にちょっとだけ触れて、引っ込めずにいてくれるから、今度はちゃんと触れて。濡れた柔らかい感触、舌が日向の舌と絡まり合うやらしさとか。 「ン、伊都っ」  止めらなくなる。 「っ、はぁっ、っ、っ」  初めての恋だから、止め方がわからないんだ。君に触れたくてどこまで触れたらいいのかわからなくて、どうしよう。大事にしたいのに、大切にしたいのに、これじゃ。 「伊都っ」  君の声が震えてた。 「……」  唇を離すと息が荒くて、顔が真っ赤で、涙目になってた。 「伊都?」  そんな日向を見てようやく止まれた。 「心臓、破裂、しちゃいそう」  そう小さく呟く日向の唇を赤くぽってりと腫れぼったくなるまでキスを止められなくて。 「あの、伊都、あのね」 「おーい! そろそろ送るよ」 「「!」」  抱き合っていた俺たちはリビングのほうから聞こえる睦月の声に、ふたりして飛び上がって、返事をする声はひっくり返ってしまった。 「もう九時になるからね」  慌ててコートを着る日向は首筋まで真っ赤だった。俯いて、長い前髪のせいでこの角度からじゃ今、どんな顔をしているのか、わからなかった。

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