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第33話 赤鬼の憂い事

 スポーツジムはアクティブな人が多いからなのか、ツアーとかのイベントもけっこう定期的に行われてる。睦月が誘ってくれた家族旅行もそれのひとつ。  アイススケート体験ツアー。来月には一番参加人数の多いスキーツアーもあるんだけど、睦月はその担当じゃなくて、こっちのもう少し小規模で、金額も比較的安いツアーの引率担当になった。一泊二日で、スケートリンク付近のホテルに宿泊する。  そのスケートツアーがこの時期のインフルエンザ流行でキャンセル続出らしくて、空きがいくつもでてしまった。それで、無料ってわけにはいかないけど、俺たちに少し社員割引っていうことで参加させてもらえることになった。俺と、家族ってことでお父さんと。 「え? スケートツアー?」  あと、日向。 「そう、睦月が引率スタッフにいるんだ。俺と、あと、お父さんも行くんだけど、それでもキャンセル分の空きが出ちゃうから、日向もどうかなって」  冷静に、落ち着いて。大人っぽく。 「一泊二日なんだけど」 「ぁ、泊まりなんだ」 「そう」  はしゃがない。飛び上がらない。声は……。 「これ、睦月が、日向に渡すようにって。パンフレット。それと、パンフレットに書いてはあるんだけどわかりにくいからって、宿泊施設の連絡先と、睦月の携帯番号も」  声は、静かに。大人な感じで。 「ぁ……ありがと。って、俺も、いいの?」 「うん。いいよ。料金のことも、そこに書いてある金額じゃないから」 「あ! いくら? 俺、あるかな」 「いいよ」  ふわりと、笑う。睦月みたいに、朗らかに。 「ホント格安だから、大丈夫」  そこは本当に大丈夫なんだ。睦月が助けてくれた。俺と日向の分、出してくれるって。 「無理に、とかじゃないんだけど」  めちゃくちゃ一緒に行きたいよ。日向と一泊旅行とか、すごいしたい。だから、頷いて欲しい。 「あ、返事、今すぐじゃなくて」  一緒に旅行したい。ツアーでもなんでもいいんだ。スケートでもスキーでもいい。なんでもいいから。 「親に訊いてみないと、でしょ?」  頷いて。 「締め切りとかもないし。ほら、キャンセル分に滑り込み参加する感じだからさ」  どうか。 「行きたくなったら」 「あ、ううん! あの、行きたい……もし、伊都の迷惑にならなければ」  全然。ぜっんぜん、迷惑になんてならない。それどころか日向が来ないなら、俺も行かなくてもいいくらい。だから、日向が頷いてくれて、すっごい嬉しいし、おおはしゃぎなんだけど。 「よかった。じゃあ、睦月にそのこと、連絡しとく」 「……ぁ、うん」 「それじゃ、また、あとで」  でも、かっこよく。睦月みたいに。にこっと余裕の笑みで、手を振って、ゆっくりしっかり歩かないと。 「……何、その赤鬼みたいな真っ赤な顔」 「……なんでもない。っていうか、顔、見えないだろ」 「見えないけど、耳んとこ真っ赤ですから」  一応、机に突っ伏して隠したけど、でも、玲緒にはバレるくらいには今、内心おおはしゃぎしてる。 「めちゃくちゃ嬉しそうですから」  だって、嬉しいんだから仕方ないだろ。日向と一泊旅行できるなんて。それがスポーツクラブのツアーでもなんでもいいよ。日向とずっと一緒にいられるだけで、赤鬼くらいに真っ赤な顔になれる。  子どもっぽくて、ダサくて、かっこよくないから、カッコよく思って欲しい日向には見せられないけど、今なら、俺、息継ぎなしで五十メートルくらい余裕で泳げるかもしれない。一番不得意な背泳ぎで大会新記録くらい出せるかもしれない。そのくらい、胸のうちはおおはしゃぎしてたんだ。  おおはしゃぎしてたんだけど。 「……」  おおはしゃいぎしたいくらいに楽しみにしてた。 「日向君が怖かったって言ってたじゃん? 俺がチケットあげたホラー映画。もし、好きなら、またホラー映画の」 「あ、あの、俺、実は……」 「苦手なの? え? じゃあ、なんで見たん?」 「あー、それは」 「あ、もしかして、伊都? こいつ、そういうの苦手でしょ? ちっこい頃から怖がりで、ここのジムの夏イベントで恒例肝試しするたんびに、ベソかいてた。っぷくくくく」  楽しみにしてたのに。 「田中さん、座ってないと危ないですよ?」  テンションだだ下がりだ。まさか、スケートツアーに大学生の田中さんが来ると思わないじゃん。大体こういうツアーはキッズ向けに設定されてるのに、なんで、女の子好きな田中さんがいるんだよ。実費で女の子と来ればいいのに。 「っぷ、くくくく、あはははは」 「ちょ! ちゃんと座ってくださいってば!」  後ろの席に陣取って、ずっと日向に俺の子ども時代の話とかして。髪だってせっかくセットしてきたのに、田中さんが触るせいで台無しだっつうの。  叱られて笑いながらようやく座った大学生にも聞こえるように、大きな溜め息をついた。  朝一、集合場所になっているスポーツジムの駐車場で日向を見つけた時が一番嬉しかった。  ――おはよ。  そう言ってほっぺたをピンク色にした日向の、あの柔らかい唇から零れる白い吐息と一緒に舞い上がりそうなくらい、テンション高かったのに。  ――おーい! 日向君に伊都!  田中さんの顔を見た瞬間、ずーんと、ずっしり重くなった。 「あ、そだ。日向君と伊都、これ、この前話してたパン屋のパン」 「え? あ、もしかして」 「どうぞ。食べられるだろ? 高校生の食欲ってハンパないもんなぁ。いっぱい食べるんだぞ」 「あ、ありがとうございます」  子ども扱い、高校生だもんなみたいな言い方をされて。余裕のある感じなのが、またイヤだった。せっかく、日向とずっと一緒にいられるのに、それをこんなふうに横から邪魔されるのも、すごくイヤだ。 「大丈夫? 伊都、バスに酔った?」 「……」 「お茶、あるけど。酔い止めも一応持ってきたんだけど」  でも、邪魔されるのをイヤがることだってガキっぽいといえばガキっぽくて。田中さんに対してムキになるのも、子どもっぽく思えるから。 「平気だよ。具合悪くない」 「そう? でも、あんまり楽しくなさそうっていうか」 「そんなことないよ。すごく楽しい」 「……」  日向とふたりでデートみたいにしたかったのに、田中さんがいるから楽しくない。君のことを独り占めしたいのにできなくて不満が募る。大学生で、俺よりも大人で、そのくせ子どもみたいにはしゃいでるようなところも、また逆に大人の余裕みたいなやつに思えて、よくわからない。  田中さんが君のことをものすごくかまっているように思えて、すごく。 「すごく楽しいよ」  すごくムカつく――なんて、本当に子どもっぽくてカッコ悪くて、君には見せられないよ。

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