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第34話 君だって、誰だって

 想定外だったことがふたつ。  ひとつは女の子好きの田中さんが家族向けのスケートツアーに参加したこと。もうひとつは――。 「おーい! 伊都ーっ!」  俺が、スケート全く滑れなかったこと。  観客席から手を振ると、寒さでほっぺたも鼻の頭も真っ赤にした日向が楽しそうに笑って、手をブンブンと振り返した。 「はぁ……」  水の中は得意でも、凍った水の上は苦手だった。逆に日向はスイスイと、それこそ俺が水中にいる時みたいに、スクールのキッズ達がすっ転ぶ中を気持ち良さそうにすり抜けて滑っていく。俺はちっとも滑れなくて、練習すればできるようになるだろうけど。  イヤじゃん。  日向にカッコ悪いとこ見せたくない。へっぴり腰で横転なんてところを見せるくらいなら、寒かろうがここで見守ろうかなって。だって、あの人と見比べてどうしたって下手すぎて、ダサすぎる。 「おーい! 伊都ー!」 「……」  こっちの「おーい」は、というより田中さんを無視したい。っていうか、気がつかないフリをして時計を見てみたり。  なんで上手なんだよ。  泳ぎ同様に上手に滑る田中さんが日向に何か話しかけた。 「……」  話しかけないで、お互いに別々に滑って欲しい。なんてことを願う俺はきっと子どもだ。だから、余計に余裕なフリをして。けど、こっそりと内心ではもうざわついて、ムカついて、ストレスがすごい。 「どうした? 滑らないのか?」 「……睦月」 「ここでじっとしてたら冷えるだろ」  そう言って、ニコッと笑いながら俺の手の中にあったかいコーヒーの缶を押し込んだ。 「睦月は? 滑らないの?」 「俺はさっき転んだ子を医務室に運んでた」 「大丈夫だった?」 「あぁ。一応頭を打ったかもしれないから診てもらったけど、平気だったよ。タンコブはできるかもだけどな。ほら、あの子。また滑る練習してる」  睦月が医務室へ運んだ子はお母さんに両手を掴んでもらいながら、おっかなびっくり滑っている。生まれたての子鹿みたいに膝をガクガクさせながら。 「へぇ、日向君上手だな」 「……うん」 「あの子、綺麗だし、細身だからこういうのやるとすごい映えるな」 「……うん」  綺麗、だよ。すっごく綺麗で見惚れる。だから、その隣で生まれたての子鹿になった俺って失笑レベルでダサくて、一緒にいられない。せめて田中さんくらいに滑れるようにはなりたい。っていうか、じゃないと、あの綺麗な日向の彼氏が「これかよ」ってなるし。日向だって、ちょっと。 「伊都のそういう顔、珍しいな」 「ぇ?」  ガキっぽい顔とかあるのかな。しかも、田中さんみたいにリードなんてできない、初恋にテンション上がって、はしゃいで、スケート滑れないとか気がつくこともなくツアーにふたりで参加できる、ずっと一緒にいられるっておおはしゃぎするガキ。  だから必死に隠してる。 「すごい子だ」 「?」 「伊都に会った時、俺が最初に持った印象」 「俺の?」  あぁ、と睦月が笑って頷いた。すごい子? 俺が? 普通じゃん。今でも、そうだけど普通の子どもじゃん。 「水に入ったことがないってすぐにわかったよ。表情がすごく硬かったから」 「……」 「でも、頑張って水に入れる、根性があった。練習もすごいしたし」 「それは……」  練習しなくちゃできないじゃん。とことんやってダメならそれはそれでいいけど、でも、やる前から「できない」の一言で止めちゃう……のは、よくないかなって。だって、俺、お父さんのことカッコ悪いって思ったこと、ないから。水がすごく怖いのに、それでも少しずつ、少しずつ水を克服しようとしてた。それを俺はダサいなんて思ったこと、一度だって。 「初めてのプールで、意を決して水に入ろうとする伊都はカッコよかったよ」  一度だってない。 「あの子は、日向君は伊都のどんなところが好きになったんだろうな」  ――伊都はカッコいいよ。 「あ、睦月! さっきの子、大丈夫だった?」 「千佳志さん、平気、大丈夫だったよ」 「睦月は? さっき転んだだろう? 足元にいた子を避けて」  だって、ダサくない? 手繋いでもらってないと五秒で転ぶ下手っぷり。水泳みたいになんてできなくて、カッコ悪いじゃん。俺は日向にとって、いつだって。 「あ、タンコブになってる」 「え?」 「ほら、ここ」  お父さんが心配そうに細い指を睦月の髪の隙間に差し込む。そっと撫でてあげると、「イタタタ」って小さく子どもみたいに睦月が呟いた。 「ほらね? かなり痛い?」  覗き込むお父さんの少し長い前髪が揺れて、それを見つめてた睦月が見惚れてた。 「……いや、そ、んなには」  うん。すごく見惚れて、ぽかんって口開けて、そんで耳が真っ赤になってた。頭撫でられて、子どもみたいに。  大人の余裕で微笑んで、包容力たっぷりで、いつだって静かにお父さんを守る強くて優しい睦月が、頭撫でられて、照れてる。赤くなってる。そして、赤くなった睦月を見て、お父さんが笑った。すごく、ものすごく嬉しそうに。  今、ほら、ふわっとふたりのところが柔らかい空気に包まれた。甘くて、優しい「好き」がたくさんそこにある。  ――伊都。  日向にカッコいいって、睦月みたいに余裕のあるカッコいい男に思われたかった。俺はまだまだガキっぽくて、日向が笑っただけで嬉しくて、その笑顔を独り占めできたらもう有頂天で、キスひとつで暴れ出したくなるほどおおはしゃぎ。玲緒が驚いて飽きれるくらいに。  睦月も、そうなんだ。 「お、俺っ! スケートしてくる!」 「伊都?」  睦月も恋したら、照れて、あんなふうに赤くなるんだ。睦月がなるんなら、俺はもう仕方ないよ。 「え? あれ? 日向?」」  今さっきまでそこにいたのに。ちょっと目を離した隙に。 「あ! ねぇ、ここで滑ってた高校生知らない? 選手の田中さんと一緒に」 「さっき、あっちにふたりで歩いて行ったよ」  同じスポーツジムのジュニアクラスの子が目の前を滑ってきたから、慌てて捕まえた。その子が教えてくれた日向達の行き先は休憩所じゃなくて、そこから少し離れた、あまり人がいない倉庫みたいなものがある辺り。 「……ありがと」  明らかに人がいない場所に、ざわつく胸に、自然と駆け足が早くなった。 「ちょっ! あのっ!」  そして耳に飛び込んできた日向の声に。 「俺っ!」 「日向っ!」  向こうに行くのを拒む日向。その手首を掴んでいる田中さん。そんな二人を見た瞬間、全身が発火したみたいに熱くなった。

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