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第35話 いっぱいのごめん
日向の手を掴んでいる田中さんを見つけた瞬間、体内が沸騰したように熱くなった。
「ふざけんっ」
「ちょおおおおおお! ストップっ!」
好きな子が襲われかけてんのにストップなんてできるかよ。殴ってやろうと飛びかかって。
「伊都っ!」
ドンッ! って、胸のところに体当たりする日向に止められた。俺はそれが田中さんを庇っていると、また更に身体が煮えたぎって、蒸発しそうだ。
「日向っ! 離せっ」
「違うからっ! 伊都、違うんだってば!」
違うって何がだよ。こんな人のいないようなところで手首掴んで引き寄せてた。君は嫌がって、ちょっとって手を引こうとしてた。それを見て、何が違うっていうんだ。田中さんが日向を襲おうとしてた、それのどこがどう違ってるんだよ。
「俺が足ちょっと挫いたみたいで」
「はっ?」
「そうだよ。伊都。日向君がさっき転んで、足痛いっていうから、医務室に連れて行こうとしたんだ。ほら」
田中さんが指差した先には医務室の文字。それと多分ここは駐車スペース。スノーモービルが並んで停まってた。
「医務室に行くのに近道なんだよ。俺、毎年、このスケートツアー参加してるから、詳しいんだ」
「え? なんで? ツアー」
「言わなかったっけ? 姪っ子もここの教室通ってて、付き合わされてんの」
知らない。っていうか、田中さん苦手だったから、あんま話したことないし。そもそも……そんなにこの人に興味が、ない。
「じゃあ……」
「そうだよ。お前が、宮野さんと話してたし、リンクの中、お前は入って来れないだろ。くじいたら即手当てしとかないと。んで」
それで、医務室へショートカットで向かおうと思ったけれど、痛そうに引きずってるから担いで運ぼうとした。でも、それはいらないから、歩けるからと、ここですったもんだ――しているところを俺は発見して。
嫌がる日向。いや、実際に嫌がってたんだけど。その日向を見て、襲われてるんだと、勘違いして飛びかかった。
「お前、案外、イノシシだな」
だ、だって、そうもなるじゃん。こんな人のいない死角みたいな場所でさ。相手はあの女の子大好きな遊び人の大学生だ。そりゃ、日向の可愛さに、ちょっとムラムラして、とか思うじゃん。日向、綺麗だし。田中さん、女の子が好きすぎて、男にだって、綺麗な日向相手ならいいじゃん、なんて思いそうだし。
「まぁ、ちょっと、あの伊都が面白い顔するから、バスの中でちょっかい出してたのは事実だけど」
なんだよ。面白い顔って。
「でも、日向君もなんか悩んでたぞ?」
田中さんがそう言ったら、俺に抱きついて行く手を遮っている日向の腕が、ぎゅっと力を込めた。
「ぇ、日向が……」
「俺、そこまで節操なしじゃないけど、でも、悩んでる可愛い子を押し倒す、くらいのことはしちゃうかもな」
それって、節操がないんじゃない? っていうか、この人、普通にしれっとしてるけど、この会話、俺と日向が付き合っているっていう大前提の元で成り立ってる。いいんだけど。そこに男女だから、同性だから、って恋に差別はして欲しくないから、いいんだけど。
でも、なんか、この人のことを勘違いしてしまってたんじゃないかって。
「日向君、可愛いし。大人の男にリードして欲しい時は、すぐにでも手取り足取りしてあげるよ」
ほんの少しだけね。勘違いだったと、申し訳なく思うのはほんの少しだけだけれど。でも、思っていたよりもずっと真面目だった田中さんがニヤリと笑いながら、そろそろ戻ろうかな、姪っ子姫様がご立腹かもしれないって。すれ違う時、俺の肩をぽんぽんって叩いた。
抱きついて離れようとしない日向があったかくて、俺は子どもみたいにドキドキしながら、そんな田中さんに「ありがとうございます」ってお礼をした。
「……伊都の、バカ」
ぎゅっと抱きついている日向の小さな声が怒ってた。
「……早とちり」
「ごめん」
「……そんなわけないだろ。俺が田中さんと、なんて」
でも、あの人、ちょっといいかなぁって思ったようなこと言ってたよ。もしも、日向が、遊び人だけど顔はかっこよくて、大人で、今、医務室へ案内してくれたみたいにリードしてくれる田中さんのほうがちょっといいかも、なんて思ったら、その瞬間、本当に襲う気くらいはあったよ。
日向がそうじゃなかっただけで。
「……ごめん」
大人でかっこいい田中さんのほうが俺がより良いって思わなかったから、何も起こらなかっただけで。
「伊都と、一緒にいたいのに……」
「ごめん」
「一緒にいたくないのかなって、不安だった」
「ごめん」
「伊都、ずっと楽しくなさそうで、俺」
「好きだよ」
ガキくさくて、君のこととなるとヤキモチやきになるし、ダサいけど、でも、誰にも負けない。
「……伊都」
君のことを好きなのは、誰にも負けない。
そのあと医務室には俺が運んだ。恥ずかしいからと嫌がる君をおんぶして。耳元で「重いでしょ」って囁かれて、重いとか以前にもう、なんか……それどころじゃなかった。
「よかった。捻挫レベルとかじゃなくて」
「うん」
軽度で済んだ。湿布を貼っておけば平気。でも、もう滑れないからって睦月に言って、先にホテルに来させてもらった。だから、今は、ふたりきり。
「日向の足の指、これも痛そう」
「平気だけど、足首に捻ったのより、この靴擦れの方が痛かったりして」
あはは、って笑った日向のほっぺたが赤い。
「お風呂、しみそー……イテテ」
日向が自分の足だけをじっと見つめてた。俺はそんな日向をじっと見つめてる。ドキドキ、してる?
俺は、すごくドキドキしてる。
だって、今は、二人っきりだから。皆はまだスケート場にいて、夕方まで帰って来ない。
「さっき…………伊都が、駆けてきてくれて、ちょっと怒った顔で、その」
さっき背負った君が軽くて、細くて、ヤバかった。
「もしかして、ヤキモチだったりして、なんて思ったり、とか、して」
君の香りが、キスの時だけ感じる香りが、ずっとしてて、すごかった。
「そうだよ」
「!」
「ヤキモチ、だよ。大学生の田中さんと高校生の俺じゃ、向こうのほうが余裕あって、リードできて、日向はそっちがいいって思うかもしれない」
「なっ」
「ガキだから、日向が幻滅するかもって」
「ないよっ! そんなのっ!」
でも、不安なんだ。その不安さえもカッコ悪くて、表に出せない。実際には、日向の一つ一つに大はしゃぎの子どもだよ。睦月みたいになんて到底なれない。そう思ってた。
「日向にはカッコいいって、思われたくて」
「……」
「ホントは余裕ない。日向のことになると、全然、ダメなんだ」
けど、睦月もそうだった。お父さんの前では真っ赤になって照れて、そんで、お父さんの笑顔に振り回されてた。
「俺はっ! 伊都のことっ」
「好きだよ」
「好っ、……ンっ」
そっと、しっとりとキスをした。唇を重ねて、すぐに離す。日向は伏せた瞳を潤ませながら、こっちを真っ直ぐ見つめる。
我慢してた。でも、さっき誰かに日向のこと奪われるのかもって思ったら、もう、ずっと蓋してたものが溢れた。
ずっと、君のことが、欲しかったんだ。
「……してもいい?」
触れるだけのキスじゃなくて。キスだけじゃなくて。
「ぁ、の……伊都、あの」
額をコツンって当てて、ひとつ深呼吸をする。
「キスより、先のこと、しても、いい?」
そして、意を決して日向の瞳を見つめ返したら、濡れてとても綺麗だった。見惚れるほど綺麗な瞳が俺を真っ直ぐ見つめて、そして、ふいに伏せてしまう。
「して、くれるの?」
「……」
「伊都、俺と、してくれるの?」
答えを怖がって伏せた瞳。けど、白い日向の手はどうか逃げないでっていう願うように俺の服をぎゅっと掴んでて、その手首の細さすら、俺は愛しくて仕方なかった。
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