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第41話 ポカポカ

 最近、俺は少し、胸がざわつく。  その胸のざわつきをなだめるように、暖房のきいた図書室でうとうとしてた。机に一応教科書を広げて、その上に自分の腕を枕の代わりにして、今、まさに惰眠を貪ってる感じ。  日向が学校でよく笑うようになったんだ。  玲緒と俺と日向と、三人で昼飯食べたり、廊下ですれ違った時に一言、二言、会話をするようになって、そんな時に、クスッと小さく笑う日向はまさに「日向」で、朗らかで、ぽかぽかしてて、あったかい。  きっと、前の学校で、あの角田と仲が良かった頃の日向はあんな感じだったんだろうなぁ。  そりゃ、不良もサボりに誘うよなぁ。  あんな小さく穏かに笑う日向と二人っきりとか、うらやましいなぁ。  なんて思ってみたりしつつ、その笑顔に今も誰かが見惚れてるかも、なんて思っては胸のところがざわざわしてる。そんな最近。  ――ぇ? あの、でも、委員会、長引くかもよ?  保健委員なんだって。  知らなかった。今度、校外でマラソン大会があるから、その時のことを色々決めないといけないらしくて、いつ終わるのかわからないからって。スイミングの時間だってあるから、先に帰っていいよ、なんて言われて、帰るわけないよ。  ――わかった。じゃあ、終わったらすぐに図書室行くから、待ってて。  そう言って、ニコッて、ほっぺたピンクにして微笑む君を学校において帰れるわけがない。今日は、一回、昨日は二回、見た。日向がクラスメイトに話しかけられてるところ。  日向に友達ができて、ひとりぼっちにならないのは嬉しいのに、君が誰かに取られちゃいそうな気持ちもあってさ。  だから、図書室で待ってるって、意地を張った。スイミングに遅れない時間まで待たせてって言った。  そろそろ来るかなって思ってみたり、今ごろ、日向は頑張ってるかなって思ってみたりしながら、図書室の隅っこで居眠り。 「ぁ……いた」  居眠り、はしたなかったかな。目を瞑って、机に突っ伏しながら、ぼんやり考え事してた。そこに日向が来た。 「……」  足音をさせずに、そっと近くに、もう来たのかな。  来たっぽい。空気が少し動いて、わずかにだけれど音がした。日向の気配がほんのりとだけど、してる。 「……と」  名前をかすかに呼んで、そして、指が俺の髪にちょっとだけ触れる。そっと、そーっと起こさないようにって、髪を撫でてくれてる。  優しくて柔らかくて、気持ちイイ日向の指先。気持ち良くて、このまま眠ってしまいたいくらい。 「わっ!」 「うわあああっ!」  眠っちゃいそうだから、ふわふわしながらやって来た眠気を追い払うように、俺の頭を撫でてくれる手を掴んで、脅かした。日向は目を丸くして、大きな声を出して、ひっくり返ってしまいそうに仰け反るから、俺は椅子から落ちないようにって、急いで手を伸ばす。びっくりした? 寝てると思った? って、言おうとして、でも、言葉を失った。 「……日向?」  手首を掴まれた君の瞳が。 「どうか、した?」 「!」  潤んでるように見えた。 「な、なんでもないっ! びっくりしただけ。だ、だって、寝てるんだと思ったから」  ほっぺた真っ赤だったし、泣きそうになってるのかと。 「……ひな」 「もう! びっくりしただろっ! 狸寝入りなんてして。それに図書室で大きな声出しちゃったじゃん」  けど、今はその頬を膨らまして、怒った顔をしながら白い手をぎゅっと握り締めて、俺の肩に、トン、って触れる。ちっとも痛くない、むしろくすぐったくなる優しいパンチをくれた。 「ごめん、待ったよね。行こう。日が落ちると寒くなっちゃうから」  気のせい、だったかな。立ち上がって白いマフラーを首に巻く日向の横顔はいつもと変わらず穏かに笑ってる。 「ううん。寝てたから」 「寝てたの? この教科書は?」 「これはカモフラージュ、何も出さずに寝てるのもあれかなぁって」 「伊都でもそんなのするの?」 「するする。すっごいする」  クスッと笑った目元には涙らしきものは少しもない。 「そこ力説しないでよ、伊都」  気のせい、だった? でも――。 「ねぇ、日向」 「んー?」 「なんか、あった?」  俺が狸寝入りで脅かしたからじゃなくて、何か、あった? 君が涙ぐむようなこと。涙を堪えてほっぺたを赤くするようなこと。 「……」 「日向?」 「キス」 「……ぇ?」  外はちょうど日が落ちかけてた。紫が混ざったような青い空の下のほうだけぼんやりとオレンジ色で縁取られてて、ひとつ、大きな星が輝いているのが綺麗だ。星座に詳しくないから、そのひとつだけ早く輝く星の名前を俺は知らないけれど。 「寝てる伊都にキスしたかったから」 「……」 「誰もいないけど、学校だったし、しちゃダメなんだけど」 「……」 「キス、したいなぁって」  その星の名前は知らないけれど、ちょうど、日向の頭上にあるとやたらと輝いているような気がする。 「……ン、伊都」  唇を離すと、キスの音がした。それと、俺を呼ぶ、日向の優しい声。 「ここなら、キス、大丈夫だから」  スイミングの更衣室。夜のこの時間にいるのはレッスン受講の人じゃない。選手も兼ねてるここのスポーツクラブ関係者だけになるから、人の数はグンと減る。誰かが入ってくれば、足音ですぐにわかるから。 「ここならって、ここ、更衣室だよ、伊都」 「うん。でも、俺もしたかったから」  顔を上げてくれた日向の唇にまたキスをした。唇が濡れて、綺麗に色づいてて、場所のことを諭すのがなんかたまらなく色っぽかったから、深くて濃くて甘いキスをした。 「ン、んっ……」  ぎゅっと俺の肌に爪を立てて、キスを拒まずに、柔らかく受け入れてくれる舌と唇がセクシーで、落ち着かない。 「でも……」  これからプールなんだけど、早く入りたいくらい、身体が火照ってポカポカだ。 「伊都と、キス、したかったから、嬉しい」 「……」 「……です」  ポカポカ通り過ぎて、今の俺ならプールの水温を一度くらいなら上げられるんじゃないかって、思った。

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