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第43話 安心保障キス
「うーん、やっぱり変わらない」
昼休みになった瞬間、玲緒がスマホとにらめっこをしながらそんなことを呟いた。
「何? どうかした?」
「どうかしてるのは学校だよ!」
「うわっ! いきなり大きな声出すなよ」
びっくりするじゃんか。玲緒の大きな声に反応した心臓を宥めながら、日向と待ち合わせてる廊下へ出ていく。その間も玲緒はスマホとにらめっこをして、たまに唸ってた。
「何……天気予報?」
その玲緒のにらめっこ対決の相手は天気予報だったらしい。しかも週間の。洗濯物の乾き具合が気になるうちのお父さんと睦月ですら、そんなに真剣になってないよ。
「だってさぁ、来週の水曜」
「あぁ、マラソン大会の?」
「そっち? え? 伊都! まさかの、そっち?」
「冗談だよ。バレンタインデーでしょ? でも、雪関係ないじゃん」
チョコの受け渡しに雪は関係ないだろ。逆にチョコレートが溶ける心配がないからいいじゃん。でも、玲緒はどこか不服そうに「そうなんだけど」ってぼそりと呟いた。そして何かをごにょごにょと口の中でぼやいた、ちょうどそのタイミングで、隣のクラスの扉がガラガラと音を立てて開いた。と、同時に溢れるように教室の中の会話が廊下へ流れ込んでくる。
「え? そうなんだぁ。日向君って、細いから好き嫌いあるのかと思った」
声の次に外へ出てきたのは一人の女子と。
「あんまり、ないかな……」
日向だった。
日向が女子と一緒に廊下へ出てきた。
「あ、日向だ。おーい! 日向、一緒にご飯食べよ」
玲緒が声をかけると、日向が目を丸くしてこっちを見て、慌てたように駆けてくる。
「いいの? あの子」
「い、いい。平気。行こう。お昼」
「そ? ねぇねぇ、日向、今日のお昼何にした?」
「あ、えっと、俺は」
日向と話してた女子は、もちろん日向と同じクラスの子で、俺の知らない女子だった。可愛い感じ、かな。ショートカットで活発そうな女子。
「伊都?」
日向が女子と話してるのを初めて見た。
「ぁ、うん。ごめん」
初めて見て、そして、胸のとこがジリジリした。
話せば、わかっちゃうんだ。日向はその見た目よりもずっと楽しくて明るいって、話したらすぐにわかる。友達はすぐに増えると、最初から思ってた。
日向が教室で座っているところを何度か見たことがある。ひとりで、静かに窓の外を眺めてて、それでなくても真っ白な肌と綺麗な顔立ち、そしてその顔立ちを隠すように長い前髪は話しかけにくいオーラを放ってて、もったいないって思った。
俺といる時の日向はノリがよくて、そして、よく笑うから。とっつきにくいとこなんて少しもなくてさ。友達なんてすぐにできるのにって。
笑うと、すごく可愛くて、ほんわかした気持ちになれる。
日向の笑った顔はその名前のままあったかくて優しい。すぐに赤くなるほっぺたも、生真面目なところも、そして、強く芯のあるところもカッコよくて可愛くて。
「……と、伊都?」
「! ぁ、ごめん、日向」
「どうしたの? なんか、ボーっとしてた。昼から、ずっと。大好きな練習だって、なんか、調子悪そうだったし」
「あ……」
日向が靴を履くところをじっと見られていたことに、表情を曇らせる。
「どうか、した?」
心配をかけたくなくて、俺も急いで靴を履いた。たしかに、上の空だった。水泳もどこか集中できてなくて、もしも睦月が見てたら、「こら、水の中だぞ」ってちょっと叱られてたかもしれない。水の中は気持ち良くて、楽しいけれど、怖い部分もあるのを俺たち家族は知ってるから。
「……伊都」
「なんもないよ」
うん。なんもない。本当に。
「風邪も引いてないし、寝不足でもないし、疲れてもいない」
「……」
「ちょっと、ボーっとしただけ」
「でも」
なんもないよ。
「それより、日向こそ、俺の心配いいから、マフラーちゃんとしなよ」
君は寒がりなんだから。二月はまだまだ寒いよ。君と過ごした一月に比べれば寒さは和らいで、日が暮れるのも少しだけ遅くなったけれど。笑いながら、しっかりと白くて余るくらいに長いマフラーを日向の首に巻きつける。
「伊都……」
「……」
白くて細い日向に。
「……」
マフラーでぐるぐる巻きにして、捕まえて、キスをした。スポーツクラブの駐車場で、暗がりの中で、そっと唇に触れた。
「ひ、人が」
「いないよ。もう営業時間外だし。練習してる人もほとんどいないし」
「……」
柔らかくて優しい唇に触れたかったんだ。あまり、キス以上のことをできるタイミングは少なくて、抱き締めたいけど、それもままならないことがある。もどかしいけど、この触れたキスひとつで少し充電できるからさ。
「あ、の……伊都、いない、なら……さ」
クンと引っ張られたコートの袖。日向は俯いてて長い前髪のせいもあって、顔が見えないけど、耳が真っ赤だった。
「人、いないなら、もう少し、キス」
「……」
「したい……かも」
けど、顔を上げたら、そのほっぺたも真っ赤だった。
「なんて、言っ……っン」
なんか、困るくらいその時の日向が可愛くて、俺はもう少し暗がりの誰にも見えないところへ日向の腕を掴んで引っ張ると、そこでもう一度キスをした。
長いキス。日向が途中息継ぎをするほど長いキス。唇を啄ばんだだけで、しがみ付く白い手がピクンって反応するのが愛しくて、嬉しかった。そして、答えてくれる唇に、舌に、なんか、落ち着いた。
「あー、まだ、雪マークのまんまだよぉ」
「また、天気予報?」
「だってさぁ」
「ほら、次の移動教室、音楽だぞ」
「そうなんだけどさぁ、雪マークが取れないんだもん」
取れないんだもんって言われたって、俺も取ってやることはできそうにないよ。雪マークも雪を降らせる雨雲も。
「なんで、そんなのお天気気にしてんの?」
「そ、そりゃ、だってさ」
「?」
なんだよ。もったいぶって。
「だって、雪だと電車組は来れないじゃん」
「ダメなのか」
「だっ、だだだだ、ダメってことはないけどさっ」
「?」
「だって」
珍しく言葉を濁す玲緒を連れて、早く音楽室へと向かおうとした。音楽の先生はけっこう厳しくて時間にうるさいから。先をせかそうとしたところで、廊下の向こう、俺たちが行こうとしている特別教室ばかりがある棟から帰ってきた隣のクラスの奴らがいた。日向のクラス。
日向もその中にいた。ぞろぞろと一般教室があるほうへと向かって歩く一団の中に日向と、その隣にあの女の子がいた。ショートカットの女子。
「……」
ふたりが並んで歩いてて、日向は俺を見つけると足早にその女子を連れて通り過ぎてしまった。そしてまた、胸のところがジリジリしてきた。
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