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第13話
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最悪。
その二文字が身体中を駆け巡る。
今日ほどその言葉を漢字通りの意味で使ったことなどないくらいに。
まだ何かが後ろにはいっているような気がして落ち着かない。口からはもう何度目かの溜息が出て、幸せは空気に溶けていった。
「ただいま」
長い放課後が過ぎてやっと家に辿り着けたというのに、返事は誰からも返ってこない。
なぜだろうかと考えて、「今日は妹のバレーの練習の付き添いがある」と言われていたのを思い出した。
いつもより遅い帰宅時間の理由を聞かれずに済んだことに安堵する。今は、上手く誤魔化せる自信がない。
これは好都合だと真っ直ぐに自分の部屋へと向かった。気分転換と現実逃避のため、制服を着替えることもせず倒れるようにベッドの中へ潜り込む。
1人になれた安心感と、漠然とした不安。
自然と呼吸が深くなる。
考えることを放棄した身体は、次第に意識を夢の世界へと導いた。
目に浮かんだのはいつかの運動会。
同じ色のハチマキをしたのは1度だけだから、すぐにこれは中学2年生の頃の記憶だと分かった。
「応援なんて面倒だ」
と言って日陰に入りたがる俺と、
「そんなこと言わずに一緒に見ようよ」
と誘うカズ。
その眩しい笑顔に抗えなくて、結局は陽の中で座り続けることになった。
「そろそろ行かなきゃ」
暫くぼんやりと競技を見ていると、カズがそう言って立ち上がる。俺も一緒に行こうとすると不思議そうな顔をされた。
「亜紀の出る競技はまだでしょ?」
その言葉に今度は俺が不思議に思う。だって俺は毎年、カズと同じ競技を選んでいたのだから。
「応援しててね、日陰に戻っちゃダメだよ!」
そう言って走り去っていくカズに、俺は無意識に手を伸ばす。
その隣をスッと通って行くのは、この中学では見るはずのない姿。
「和佐」
男が発したその名前に、カズはくるりと振り返る。そして極上の笑顔を浮かべたカズは、残酷にも男の名前を呼んだ。
「隼斗!」
伸ばしたままの腕では、空気しか掴めない。
俺がいるはずだったカズの隣のレーンに立っているのは隼斗で、今カズの笑顔を独占しているのも隼斗だ。
2人が談笑している姿なんて見たくもないのに、それでも俺は動けなかった。カズが「応援しててね」と言ったのだから、動けるはずがなかった。
「位置について、よーい」
沈んでいく気持ちにストップをかけるように、誰かの声がレースの始まりを告げる。
せめてカズの走る姿を目に焼き付けようと、「ドン」の声がかかるまで少し長めの瞬きをした。
次の瞬間、目に映ったのは黒。
見えるはずのカズの姿が見えなくなった。
数秒経ってようやく、その黒が誰かによって作られたものなのだと気付く。
「放せよ!」
視界を塞ぐ手を外そうと暴れる。だがそれは逆効果だったようで、俺の身体を抱き締めるように後ろの人物の腕が巻きついてきた。
視界も動きも封じられれば、自然と恐怖が湧いてくる。だって俺にこんなことをする人物なんて、カズくらいしか思い浮かばない。
じゃあ一体誰なんだ……?
その答えを示すように後ろの人物が声を発する。それはカズの隣に居たはずで、ここに居るはずのない、彼の声。
ーー亜紀ちゃんの居場所はこっち。
「はっ、はぁっ……!」
自分の荒い息で目が覚める。時計を見ても、さっきから10分ほどしか経っていない。
自分はこんなに弱い人間だったかと呆れて、笑うことしかできなかった。
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