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書店での出来事 #3 side M
これを奇跡と言わずして、何と呼ぶのだろう。オジサマは本当に妖精と人間のハーフかもしれない。これは架空の私の小説の設定。だけど、私は本気でそんなことを考えている。だって…こんなにも素敵な魔法を私にかけてくれたんですもの。
店主の葉祐さんが電話を切ってから15分、出されたコーヒーを啜っていると、店のドアベルがカラコロと音を立てた。
「葉祐?もう閉店にしちゃうね。」
「おう!悪い!頼む!」
遠くから男性の声が響き、それに葉祐さんが返す。それから数分、徐々に足音が大きくなって、目の前に一人の男性が現れた。
「はじめまして、矢島未華子さん。里中真祐です。今日はこんなところまで来てくれてありがとう。」
えっ?……うそ……
メディアでは絶対に拝むことは出来ないであろう、ロンTに細身のデニムというラフな姿。しかも爽やかな笑顔付き。あまりの衝撃に私はすくっと立ち上がり、そこからは動けずにいた。
「未華子さん?」
「えっ?なっ、何で?!」
しばらくしてやっと発することが出来た声は、かなり上ずっていて、めちゃめちゃ格好悪い。隠れられるものなら隠れたい。
「驚かせてしまってごめんなさい。先日は父が大変お世話になり、ありがとうございました。」
里中さんはとても可愛らしく、ペコリと頭を下げた。
「ちっ、父?」
「冬真はね、僕の父なんだ。まぁ、葉祐もだけど…」
はにかむように彼は笑った。
「えっ?だって…オジサマは岩崎って…」
「ああ、ごめんなさい。直が君を驚かせるためにそう言ったんだ。岩崎は冬真の旧姓でね。今は里中。里中冬真。悪気はないんだ。許してくれる?」
「そっ、そんなことは…だっ、大丈夫なんですけれど…えっーと…えーっと…」
憧れの人を目の前に完全にのぼせ上がり、呼吸もままならない。そんな私に里中さんは座る様に促した。彼の顔がすぐ隣にあって、私は更にのぼせ上がる。
「大丈夫?まぁ、座ってコーヒーでも飲みましょう。葉祐、僕にもコーヒーを。」
「OK!」
なんて素敵な笑顔なんだろう。素の里中真祐はこんな風に笑う人だったんだ。葉祐さんと里中さん、二人の笑顔を交互に見て、私はやっと気が付いた。初対面の葉祐さんに会ったことあるって思ったのは、二人があまりにもそっくりだから。二人のやり取りはどこか楽しそうで、親子というより、弟の方がしっかり者の年の離れた兄弟みたい。私は思わずくすりと笑ってしまった。
「えっ?何?」
里中さんはキョトンとした表情を私に向けた。
「ああ、ごめんなさい。よく似てるなって思って…お父さんと。」
「よく言われるよ。昔の写真なんか見るとね、笑っちゃうぐらいそっくりなんだ。でもまぁ、性格は冬真の方に似たみたい。僕には弟がいるんだけど、弟は真逆。顔は冬真で、性格は葉祐。面白いでしょう?」
里中さんは小さくクスっと笑った。
ああ、確か…オジサマもこんな風に笑っていたっけ。
「あっ、そうだ!未華子さん。本と感想文、出してもらっても良いかな?忘れないうちに。」
「えっ?」
「冬真に言われたんでしょう?」
「ええ…でも…」
「ああ、感想文はそのまま冬真に渡すから大丈夫。本の方はサインをするだけだから安心して。」
「えっ?サイン?良いですか?」
「冬真からの細やかなお礼だから、遠慮しないで。」
私はおずおずと本を差し出した。その本を見て、里中さんは少し驚いた表情を見せた。
「『porto』だったかぁ…君のお気に入りは。意外だな。君みたいな女の子は、違う作品を選ぶと思っていたよ。」
「そうかな?大好きなんです『porto』。訪れた港町で偶然、全く知らなかった自分のルーツを知る。とても切ないお話でしたけど、ただ切ないだけで終わらなくて…希望がありました。細いけど真っ直ぐな光が、すうっと差し込んでいるような小さいけれど、明るい希望。何度も読み返して、同じ分だけ泣きました。」
「この作品は僕にとっても特別でね。そうか…やっぱり書いて良かったなぁ。こうして率直に感想を言ってもらえると、僕の方も執筆の原動力になります。ありがとう。」
「そっ、そんな…畏れ多いです。」
「君も小説を書いてるんだよね?今はどんな作品を書いてるの?」
「へっ?」
「冬真からそう聞いてるけど。」
「そっ、そんな…私の書くものなんて、ただのお遊びみたいなもので…プロの方というか、里中さんにお話するような代物ではなくて…」
「そんなことないよ。僕が文壇に出たのも君ぐらいの年齢だったし、気になるよ。同じ物書きとして。」
里中さんはニッコリ微笑んだ。ファンが大勢いるベストセラー作家に、物書きって呼んでもらって、しかも自分が書いている小説を語るなんて…あり得ない!絶対にあり得ない!
「俺も聞いてみたいな。」
カウンターにいた葉祐が言った。
「へっ?」
「ああ、ごめん。俺、作家ってコイツしか知らないからさ、他の人はどんなものを書くのかなぁって。ごめん、単純な興味。」
破壊力抜群の二人の笑顔につられて、私は自分の小説のことを口にした。
「じっ、実は主人公のモデルは冬真オジサマで…私、人に見惚れるって経験はないんですけれど、オジサマを見た時、あまりの美しさに、この人、妖精と人間のハーフなんじゃないかと思ったんです。その衝撃を忘れないようにって思って、妖精と人間のハーフが主人公の話を書いています。今日ここに来たのは、もう一度オジサマと会って、お話かしたいって思ったからで…すっ、すみません…こんな話。」
「未華子さん、その話是非完結させて。僕で良かったら、原稿、アドバイスするよ。僕ね、嬉しいんだ。父をそんな風に見てくれている人がいて。良かったら、また来てくれてる?今度は是非、彼が元気な時に。冬真も君に会いたいと思っていると思うし。」
「そっ…そんな図々しい真似…」
「読みたいのは僕たげじゃないと思うよ。ほらっ。」
里中さんが指し示したのは葉祐さんで、葉祐さんはぼぉーっとした顔でこちらを見ていた。
「酷いでしょう?あの顔。冬真のことになると、とたんああやって締まりのない顔になるんだ。葉祐はね、未だに冬真のことが好きで好きでたまらないんだ。二人は子供の頃からの付き合いらしいから、もう何十年も経っているのに。」
「あら、それって素敵なことじゃないですか?」
「まぁね、でも大人げないっていうか…子供達にも平気で嫉妬心や対抗心剥き出しなんだよ。注意するから待っててね。葉祐!顔、顔!冬真のこととなるとすぐにデレデレになるんだから!そんなことより、明日どうするか決まったの?」
「あっ、いや、まだ…」
「やっぱり僕が…」
「いや、冬真のこともあるし、それにお前がいると余計に面倒になる。」
「ひどいな。人を疫病神みたいに…」
「あの…何の話ですか?」
「ごめんなさい。明日、店を手伝える人が誰もいなくてね。普段、店を手伝っているのは二人なんだけど…この前君が会った直は弟の付き添いで出掛けなくちゃで、もう一人は本職の方で上京していて…僕が出るって言ってるんだけど、以前、SNSで拡散されちゃって…」
「あっ、なるほど…ファンの人が押し掛けちゃったんですね。」
「うん…明日は土曜日だから、遠方から来てくださる方もいらして、ただでさえ店が混むんだ。」
「あの…私じゃダメですか?」
「えっ?」
「明日は学校休みだし…普段ファミレスでバイトしてるんです。多少役に立つと思います。」
「でも…悪いよ…そんな。僕が出れば良いだけの話だし。」
「ううん、これは恩返し。私…人として当たり前のことをしただけなのに、こんな素敵なプレゼント、たくさんもらっちゃって…このままじゃ、バチが当たります。是非働かせてください!そうすれば明日、オジサマ…いや、冬真さんにお見舞いのお手紙も持って来られるし、私にすれば一石二鳥にも三鳥にもなる話なんです。是非お願いします!」
自分でも驚きの行動に出た。普段の私なら絶対に言わないであろうことを懇願し、それを饒舌に口にしていた。
私って…好きな人のためなら行動力発揮する人だったんだ…
何か…意外。
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