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打ち上げ花火 #2 side Y

元上司からの葉書が届いてから10日あまり、閉店間際のEvergreenに意外な人が顔を見せた。 「こんにちは~」 「いらっしゃ...あれ?西田さん!」 「やぁ、葉祐君。すまないね、閉店間際に。でも、この時間じゃないとゆっくり話も出来ないかなって思って。」 「今、コーヒー淹れますね。どうぞお掛けください。」 西田さんを厨房から一番近い席に座るよう促し、店の外の灯りを消し、コーヒーを淹れる。 「相変わらず丁寧な仕事だね。」 コーヒーを淹れる過程を見て、西田さんはそう言い、差し出したコーヒーを一口飲んで、また同じことを言った。西田さんの向かいに座ると、西田さんはジャケットの内ポケットから一葉の葉書を差し出した。西田さん宛に書かれたその文字に見覚えがあった。徐々に上手になっているものの、まだまだ元通りには程遠い、震えがあることを隠せない文字...冬真の文字だった。 「一昨日届いたんだ。いつものように。」 冬真はリハビリの一環で月に一度、誰かに葉書を書くことになっている。冬真が葉書を出せるようなその誰かは限られているが、西田さんに宛てたものが多かった。病院のリハビリセンターで書かれ、院内のポストに投函されるので、冬真が書いた葉書を実際に見るのは初めてだった。 「是非、裏を。」 西田さんに促され、葉書をひっくり返した。そこには葉書いっぱいに花火が描かれていた。色鉛筆で描かれた花火は大胆な構図でありながら、繊細なタッチで描かれ、とても美しかった。そして、葉書の右隅に震える文字で小さく、 『ほんものどんなおとしますか?』 と書かれていた。 「何か...切なくなっちゃってね。打ち上げ花火、見たことないってことはないのだろうけど...音なんか分からないぐらいの遠くからしか見たことがないんだろうね。ここからは見えないだろうから、他のどこか。冬真君が行くここから離れた場所なんて...」 西田さんは言葉を詰まらせた。 大丈夫。分かります。 冬真がこの地から離れるとするならば、それは病院。冬真の見た花火は、入院先の病院の窓から見えた、遠くに上がる小さな小さな打ち上げ花火。よく考えれば気が付いたはずなのに、どうして考えてやらなかったのだろう。先日、暑気払いの話をした時、冬真はただ首を横に振るだけで、何も言わなかった。でも、言わなかったのではなく、言えなかったのだとしたら...その理由はたった一つ。俺を気遣ったから。もしかしたら、俺が断る前提の話し方をしていたのかもしれないし、行けば迷惑が掛かると思ったのかもしれない。 「再来月、市内で花火大会があるんだけど...何とか見せてやれないだろうかって考えた。だけど、あの混雑の中、冬真君を連れ回すのは危険極まりない。ホテルの屋上から見せることも考えたよ。でも、私の勤務先は、あの子にとって忌まわしい記憶しかないだろう?それでね、考えたんだ。どこか他の場所の花火大会はどうなのかなって。今年は無理だろうから、来年ぐらいで探してみるつもり。多分、東京になると思うんだけど...なるべく系列のホテルや旅館の近くで開催されるものをさ。でも、その前に君の許可を得ようと思って...」 西田さんのやり切れない気持ちが、痛いぐらいに伝わった。 「冬真のことをここまで思ってくださって、本当にありがとうございます。大丈夫です。再来月の市内の花火大会に連れて行こうと思います。実は...」 西田さんに誘いを受けている暑気払いのことを話した。そして恐らく...冬真に気を遣わせてしまった、自分の不甲斐ない気持ちも。 「光彦が生きていたら...冬真君はどんな子になっていたかな...」 西田さんが呟くように言った。 「西田さん...」 「ああ、ごめん。そんなこと考えても仕方ないって分かってるんだけど...彼を知れば知るほど、ついつい考えてしまうんだ。子供らしくわがまま言ったり、普通に親に甘えてみたり、いたずらなんかして叱られたり、そんな風に育ったら、彼はもっと楽に生きられただろうにってさ。抑制する心を解放して、どんなに些細なことでも構わないから、話してくれれば良いのにって...やっぱり私に光彦の代わりは無理なんだろうね。」 「いや。俺、思うんですけど...冬真、西田さんに父親を見ていると思いますよ。」 「えっ?」 「この葉書、結構ストレートに尋ねていますよね?本物の花火はどんな音がするのかって。こういうこと珍しいんです。いつもだったら、すぐに諦めて、表には出しませんから。冬真を見てると、いつも考えるんです。『冬真は今まで、どれだけ否定的な言葉を浴びてきたんだろう。』って。体のこと、両親のこと、もしかしたら、岩崎の家のことも。どれをとっても冬真にはどうすることも出来ません。どうすることも出来ないから...苦しくなることと諦めること天秤に掛けて、結果、諦める方を選択し、黙ってしまうんです。知らないことを人に尋ねる、こんなこと当たり前のことなのに、また自分の存在意義が分からなくなる、悲しい言葉を浴びるのかもしれない、そう思うとそれすらも出来ない。それなのに西田さんには、ごく自然に尋ねています。これは冬真の小さい甘え。本当に細やかだけど、冬真、西田さんに甘えてるんです。まだまだ甘え下手ですけど、初めて自分から他人に甘えたんじゃないですかね...そんな西田さんの中に親父さんを見ているのは、至極当然のことだと思います。」 「そうか...うん...そうか...ありがとう...葉祐君...」 西田さんはそればかりを繰り返し言った。 まるで、一つずつ言葉を噛み締めるように...

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