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第3話
後日、大成は邦彦の住むアパートを訪れた。
邦彦は学費を稼ぐため深夜の労働に励みながら、古いアパートで一人暮らしをしている。実家暮らしでのんびり両親に甘えている大成は、時折、惣菜をお裾分 けにアパートへと向かい。そのたび、疲れながらも音楽の勉強に励む邦彦の姿に感銘 を受ける。
「ねえねえ、邦彦。この前スタジオで紹介した子ってさ、趣味でもピアノ弾いてないの?」
食事が終わると、さっそく大成は質問を投げた。
「戸田山くんの事か? 彼はピアニスト志望、って言ったろ。音大への進学も決まってるよ」
怪訝そうに邦彦は答える。へぇ、真くんは音大生になるんだ。しかし大成がピアノの腕前を知りたいのは、そっちの戸田山ではなく、もうひとりの戸田山のほうだった。
「じゃあさ、要のほうは?」
「かなめ?」
大成の問いに、邦彦は顔を顰 める。会った事無いのかな?
そういえば、スタジオに要が現れたときに真はやたら戸惑っていたし。なにか理由があって、双子の弟の存在を隠してるのかもな。
「真くんの双子の弟。この前に真くん紹介されたとき知り合った。邦彦が帰ったちょっと後に、いきなりスタジオに来てさ。見た目は真くんにそっくりなんだぜ」
明るく説明する大成に、邦彦は少し驚いた表情を見せたが、
「家族については話さないから」
そっけなく答える。そして、現在取り組んでる作曲の続きをするらしく、楽譜に集中し始めた。
真剣に音楽に向かう邦彦を眺めつつ、さっきの「真は音大に進む」という言葉を思い出した。
「邦彦と真くんって、オープンキャンパスとかで知り合ったの? もうすぐ音大の先輩後輩になるんだ。そしたらさ、またスタジオに呼んでよ。三人で合わせようぜ」
音楽の道へと進む人間が自分の周りにもっと増えるんだ。それが大成には嬉しかったが、邦彦は表情 を曇らせる。
「いいや。彼は俺とは違う、もっとレベル高い音大に進むし……まぁ、そんな深い知り合いでもないよ。もうスタジオにも来ない」
会話を終わらせたいように、邦彦は熱心に楽譜をめくる。なんだよ、この前はいきなり「一緒に弾け」なんて頼んできたのに。しばらく気まずい沈黙が訪れて、大成は口を開いた。
「でも俺は、要と話が弾んでさ。スタジオにあるライブハウスのポスター気にしてたから、それに誘ったら……」
「はあっ?」
大成の喋りを遮 り、邦彦が大声を出した。楽譜をいじっていた手元も狂っただろう。
「そんな場所に誘うなよ! 彼は、これから名門の音大に進むんだぞ!」
拳を握りしめた邦彦は、険しい表情で大成を怒鳴りつける。
「い、いや、それは真くんのほうだろ? 俺が誘ったのは、要だから」
思いがけない怒声に、大成はあたふたと応えた。やっぱりややこしいな、双子って。
だが大成も、邦彦の口から出たある一言にカチンときた。
「でもさ、邦彦。そんな場所、ってなんだよ。邦彦も音大生だけど、あのスタジオで楽しんでんじゃん。スタッフも真面目に音楽好きなひとばっかだし。真くんが行っても大丈夫だろ?」
「彼はまだ高校生だし、進路の邪魔になるだろ」
苛立つ問いを突っぱねる様に邦彦は答える。
「けどさ、真くんはもう、音大へ進むの決まってるんだろ? 邦彦だって、高校時代からあそこ通い詰めてたし」
「彼と俺とは違うんだよ! 高校からの受験対策も、大学に進学してからも!」
再び大成の言葉を遮った邦彦は、はっ、と気まずそうに口を噤 む。
「彼……戸田山くんは、両親も芸術や音楽に理解ある人物なんだ。物心ついた時からピアノに触れてたって。もちろん音大への進学も、親からしっかり支援して貰ってる」
淡々と語る邦彦に、大成は無言で耳を傾ける。
邦彦は大学進学の際に、
「自分は将来には音楽関係の仕事に就く。そのために音大へと入りたい」
という希望が、両親から猛反対された。特に邦彦の父親は現実的な社会人で、「音楽など遊びだ、そんなものを学んでなんになる」なんて言われたという。そして邦彦の母親は元々父親に逆らえない性格で、無言で反対されたらしい。
だが邦彦は高校に通いながらアルバイトに励み、音大への進学費用を稼いだ。そして高校を卒業すると即座に家を出て、父親の反対を乗り越えた。理解ある親類からの援助もあったというが、両親との関係は未だに途切れたままだ。
「ふうん……じゃあ、真くんは誘わないよ。要には声掛けちゃったけど」
人それぞれ、色々と事情があるのだろうな。そう思った大成はしみじみと呟いた。
「大成ってさ、なんで戸田山くんの事、下の名前で呼ぶんだよ?」
ぶっきらぼうに邦彦は尋ねた。
「双子を名字呼びだとややこしいだろ」
軽い調子で答えると、じろり、と睨まれた。なんだろう、エリート音大生とは距離を置け、とでも思っているのか。
「要から『俺達は両方とも下の名前で呼んでくれ』って言われたんだ。俺は要と仲良くなってさ。そうだ! また真くんだけじゃなく、要もスタジオに呼んでよ」
「戸田山くんを?」
邦彦の視線は穏やかになったが、名字呼びは相変わらずだ。
「要だけでもいいしさ」
真からは何故か嫌われてるっぽいし……なんて事は言わないでおこう。
「まぁ、弟だけなら良いかもしれないけど……でもな、弟なんて、会った事も聞いた事も無いし……」
邦彦はなにやら言葉を濁す。そういや、こいつも真とは、なにやら揉めていたっけ。
真は邦彦も嫌いなのか? 邦彦も真を避けてるよな? そしたら、ふたりはどういう知り合いなんだろう?
大成の心は疑問で溢れたが、それらを問い質すのは、どこか躊躇 して出来なかった。
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