96 / 175
第96話 煙使いと傀儡の徒 -2-
しかし手袋に噛み付いたが一瞬、シャア・スゥの動きが速く、俺は"手"ではなく"手袋のみ"に噛み付いた様だ。手袋から強制的に引き抜いた事により、彼の骨ばった白い手が俺の眼前に晒された。そして、その手の甲に何となく見覚えがある物があったんだ。驚きのあまり口が半開きになった事により、歯牙に引っかかる事も無く手袋が口から零れ落ち、"パサ"と音を生んだ。
―……今、一瞬見えた腕のあの模様……むしろ、焼印……? でも、その模様は……
「双頭の……蛇……?」
「……ッ! 見るな!」
そう鋭く言うとシャア・スゥは素早く残りの手で模様を隠して大きく後ろに退いた。その時フードから一瞬見えた視線はまさに蛇の様に鋭いもので……、俺は面倒そうな"要らない"情報を得てしまったと感じた。
そして今の俺の言葉と焼印を見られた事にシャア・スゥは些か精神を乱したのか、短い子供じみた悪態を何度も口にしている。悪態を付きまくるシャア・スゥを後ろに、今度は再びあの暗器使いが俺の相手になるべく、前方に出てきた。彼の方が厄介な程冷静に感じる。一定の感情をどこかに置いてきているみたいだ。彼に追随しているのは、主に忠誠部分で、やはりどこか操られている様だ。
しかし、彼はそれを"分かって受けている"、"わざとそうしている"と感じられる。それは、このシャア・スゥとはそれなりな時間を過ごして来たと感じるからだ。
……ま、俺がここでこんな予想をしなくても別にどうでも良い事だと思うがな。
とにかく、この二人の関係は……どこか奇妙だ。
「……手袋が……」
「………………」
憎々しげな声と視線をしたシャア・スゥに、暗器使いは彼の前に出て、「返して貰う」そう短く口にすると俺の方へ地を蹴って駆けて来た。
俺はその姿を見て、素早く立ち上がる力を利用して後方に身体を移動させた。
やがて、俺がかつて居た開いた空間の前に暗器使いは到着し、落ちている黒手袋を器用に砂埃付きで蹴り上げ、彼は手袋だけを今度は横からの蹴りで後方に居るシャア・スゥの元へ飛ばした。
俺はその一連の行為に対して砂埃と横薙ぎの蹴りを避ける為に、後方に退避せざるをえなかった。
飛んだ黒手袋は少し痛んだかもしれないが、とりあえず再び所有者の手に収まって例の双頭の蛇の焼印を隠した様だ。
暗器使い達との距離はやや生まれたが、状況の危険度は変わりないんだよな。
俺がどう手を出すか考えあぐねていると、後方から知った声が掛かった。
「アサヒ、あの結界の檻から子供達を全て取り出した。意識も回復させたし、動く事が可能だ」
「……! シュトール……そうか、分かった!」
どうやら何とか時間稼ぎは成功したようだ……。そうそう、この瞬間を待っていたよ!!
目の前の二人組みには問題が山積みだが、ここは引かせてもらう!
―……この仔タヌキ達と同時にみんなで逃げる方法……。それはさ、これしかないよな? とりあえず、さ!
「シュトール、"扉"だ! ……出現場所は俺と出会った所に頼む……!」
「分かった」
シュトールは俺の言葉を受けて、両腕を前にやり、低く術を唱え始めた。やがて"キィイン"という甲高い音と同時に空間に幾つもの複雑な魔法陣と縦線が入り、その縦線の割れ目を中心として外側へと装飾の施された石の扉が姿を現した。やがてその完成された姿を見て、シュトールは外から内へと扉を開く動きをすると石の扉はシュトールの"開く"という意思を受けて、内側へ開いた。高さは以前見た時と変わりない様に思えたが、横幅が多少広く開かれて変化していると感じた。もしかしたら石の扉の大きさは有る程度変化が加えられるのかもしれない。
開かれた扉の向こうは黒雲で見えなく、どこか禍々しい……。
「セット出来た。完了だ、アサヒ」
シュトールの言葉に"扉"が完成したのが分かった。そして突然現れたこの"扉"に、相手の男二人の理解が着いて来てない様で、たじろいでいる。良い、それで良い。こちらは大所帯だからな。タヌキ達が扉を潜る時間が欲しいんだ。
……そして、俺はこの"扉"を見るのは二回目だが、潜った結果を思い出して身体が僅かに震えた……。俺は高所恐怖症じゃない……と思うが、高い所から落下する類いの物が苦手なんだ。あの、ふわっとして、下に引っ張られる感覚……ゲームでも苦手だ。
だが、今はそんな事で足踏みしている場合じゃない。
「良し! 早くポンコ達は飛び込め!」
≪!? ……ワ、ワカッタ……ミナ、テヲツナイデ、アノモンヲクグルンダ!≫
俺の放った急な指示にポンコは一瞬動揺した様だが、すぐさま理解を示してくれた。次々とタヌキ達が扉に消えて行く。
その様を暗器使いが動揺から解けたのか、追う動きで怪我をしている方の脚を前に動かしてきた。
「ま、待て……! ……ッぐゥ……!」
変に力を入れたのか、彼はバランスを崩してその場に片膝を付いた。
そんな部下に対して、シャア・スゥは駆け寄り、彼が再び立ち上がり俺達を追おうとするのを止めにかかっていた。
「……ケイ、追わなくて良い! これ以上その脚を使うな……! 後に支障が出た方がかえって面倒だ。……それに俺の元を離れるな」
「シャア・スゥ……………………了解した。追跡はしない……命拾いしたな、水色……。次会ったら命は無いと思え……!」
「そうだ、……そこの水色頭……!! 俺を邪魔したお前は、いつか必ず仕留めて損害以上を払わせてやる……!」
俺と敵対している二人は常套的な恨み口を叩きながら、俺を睨みつけてくる。まぁ、この状況だし、しょうがないな。
そしてシャア・スゥが、ついに小柄な方の名を呼んだのである。これで仲間の小柄な方の名前は"ケイ"という事が分かった。
"シャア・スゥ"と言う呼びは呼称だと思うが、対する"ケイ"も一見そのままな様で同じ呼称かもしれない……。
「……さぁ? 覚えてられるかな? ……俺、下らない記憶は直ぐに無くすんだ」
「何だと……!」
「……なら、こうしてやる」
―ドフッ……!
「……ッ!?」
「その武器はお前にくれてやる。その傷を治療する時や武器を見る度、記憶の容量が低い可哀相なお前の頭でも思い出すだろ。あまり早く忘れられると流石に頭にくるから、俺の太腿に傷を作ったお返し"だけ"は……"今"、してやったよ。
……シャア・スゥを侮辱したのはもっとジワジワ弄ってお返してやる……!」
「……なッ……んだと……!」
―……油断した……!
後は扉に入るだけと思い、口頭の受け答え"だけ"していた事に油断した。
俺の左の太腿には今、深々と黒い"針"状の一種の手裏剣……の様な物が突き刺さっていた。動け無くは無いが、かなり痛い……。
これは……治療に少し時間を要するかもしれないかなぁ……。自分自身には効きが遅いんでね。
脚を抑え気味に立っている俺に、シュトールが後ろから声を掛けてきた。
「……アサヒ、ニードルポンコ達は全員入った。後は俺と、アサヒだけだ」
「分かった、シュトール……行こう」
彼に視線を向ければ、心配そうな視線と、消え入りそうな小ぶりな魔方陣が申し訳程度に一つ展開されていた。
……もしかして"扉"って、想像以上に魔力の消費が激しいんだろうか……?
…………まぁ、それはともかくこの場を早く立ち去る方を優先させなきゃな……。
俺は視線を暗器使い……"ケイ"に向けてはっきりと言ってやった。
「……そうだな……。"暫く"は覚えておいてやるよ。ただし、下らない記憶はそれまでだ」
そして俺はシュトールに服を引かれるまま、黒雲に身を進めた。足元は見えないが、何かの上を歩いている感覚は有る不思議な感じだ。
歩きながら思うが、あの二人はそう記憶から無くならない……だろう。あの俺の言葉の内容は、只単に牽制していただけだ。それに、ポンコ達にこんな扱いをした奴等だ。個人か組織かは知らないが、胸クソの悪い事をしやがって。……まぁ、ゴブリン共も可哀相っちゃ可哀相だがな……。
「………………」
扉が完全に閉じられる間際に、俺は最後にあの二人がまだ動かずにその場に居る事を振り返り確認した。
そして、外の景色や光が細い糸の様な線に成り、やがてそれすら無くなり扉が完全に閉じられるのを俺はその場で最後まで見続けた。
なぜそうしていたかと言うと、目深に被ったフードの中から、あの傀儡の暗器使い"ケイ"は俺をずっと睨め付けていたのだ。
―……昏い"憎悪"しかない、半眼で……。
操られていても、"憎悪"……感情は生まれるらしい。そりゃぁな、"物"じゃないからな……。
「……これは勉強になったよ。お前は覚えておく。……"ケイ"」
「……アサヒ?」
俺の少し先で待っていたのか、シュトールが声を掛けてきた。
「…………何でもない。シュトール、ありがとな、直ぐに"扉"を開いてくれて」
「ん、魔力の消費は多いがこんなの簡単だ。さ、出口が"開いている"」
そうか……。やはり魔力消費が激しいのか……。
「今度は大丈夫かな……」
「……大丈夫じゃないか? ポンコ達の"悲鳴"が無いから、多分"足元は地面"だと思うが?」
確かにシュトールの言う通りだ。
先にポンコ達を通したから……少し気に成っていたんだよな。
「そうか。……行こう、シュトール」
「ああ」
そして俺はすれ違いざまにシュトールの手を、今度は俺が引いて明るく開く出口へ向かった。
ともだちにシェアしよう!