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第172話 誘われる者 -2-

―……海面に浮かぶあの"子"はまだ死んでいない。静かに浮いているだけの存在。 ……だが、私の心に波紋を作ってきた。 「やはり、下界は面白い」 そう呟くとセランフィスは"トプ……"と海面に浸かり、泳ぐでもなく……"ススス……"と目的の物体へと近づき覗き込んだ。 「………………」 「……ぇ!?」 突然、自分の視界を覆ってきたセランフィスに、海面で漂っていた青年は驚きの声を小さく上げた。 「危険、だ。運んでやろう」 「……は? え? は? はぁ?」 そして、急に海面から何らかの力で浮上させられた青年の胴体には…… 「命綱……?」 「い、いちおう……。俺は、ここで浮かびたかっただけなんで……」 「……そうか。まぁ、良い……」 「ぅあっ!?」 そう言うとセランフィスは青年を浮かせたまま、その綱の元へと進んだ。 青年は急に現れたセランフィスにも驚いたが、浮上して運ばれている自分にも同時に驚いていた。 そしてセランフィスが何者かを聞きもせずに、勝手に『魔導師』と位置づけて聞く事をしなかった。 海面からフヨフヨと運び、浜辺に青年を下ろしたセランフィスは助けた青年に早速質問をした。 「何故、浮かんでいた?」 「………………失恋……の報われない……心を、輝蝶が持って行ってくれにないかと…………思いまして。 あとは、次の作品の題材にしようと、イメージ、作りに……」 セランフィスの質問に、助けられた青年は素直に答えを口にした。 そう……青年はセランフィスの前で素直な言葉しか、紡げなかったのだ。 しかも、その行為は至極当たり前であり、何も疑問に思う事が無かった。 「……泣いているのか?目元が赤い」 「……泣いていた、んですよ」 そう言って、青年は慌てて俯いた。 自分が考えていたより、それが目立つのかと思ったからだ。 それと同時に、自分が泣いていた一番の理由……"失恋"した事を思い出して、青年は自分の視界が再び揺れていくのを感じた。 そして俯かれた事で見えなかった旋毛が見え、青年の表情は落ちた前髪で見えなくなってしまった。 ポタポタと先の細くなった髪の束から海水が地面に、一時の染みを作っていく……。 「………………俯くな」 なぜ自分がそう言いながら青年の顎に手を掛け、上を向かせたのか……セランフィスも分からなかった。 ただ、青年は再び涙していた。 「泣いているではないか。毛先の雫で、落ちる涙を誤魔化したつもりか」 「………………」 空とも海とも違う、"青い"瞳。彼の固有の"青"。 そこから落ちる涙の訳を、セランフィスは口にした。 「……何で他人を好きになる……」 「何で、って……」 「こうして傷つくのはお前だろう?」 「そりゃ……直ぐに失恋するけど……失恋更新中だけど……ううう……」 「直ぐ……? しかも、更新中……なのか……」 思わずセランフィスは青年から顔を背けた。 やはり、理解出来ない。こんなに苦しそう……いや、実際苦しいのに、なぜ、"何度も"求めるのか。 ―……なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ……?

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