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第6話
そんなプライベートでのゴタゴタと仕事で
慌ただしい日常は瞬く間に過ぎていった。
南から桜の便りもちらほらと聞こえてきた
2月の終わり頃、
秀英会病院にいかつい風貌の男集団が
俺を訪ねてやって来た。
何故だか院長室に呼ばれた俺が、
そこで引き会わされたのはこの時が
初対面の年配の男。
長身で三ピースの濃紺の仕立ての良いスーツ、
180近い長身に、撫でつけた髪とべっ甲縁の
インテリ然とした眼鏡姿のその人は、
俺の見立てで60代前半くらいだろうか……
とにかく面構えの良い男前だった。
かなり好みなタイプだ。顔だけは。
全体から醸し出す雰囲気とそこに居るだけで
周囲を圧倒するほどの存在感と威圧感は、
そのインテリちっくな見た目とは非常に
アンバランスで、はっきし言ってめっちゃ
胡散臭かったし。
ちょっとでも気を抜いたら喰らいつかれ
そうな気がして、最初から警戒していた。
”神宮寺不動産・代表取締役社長”という
肩書入りの名刺を手渡され笑顔を向けられた瞬間、
全身の毛が逆立って鳥肌が立った。
質の良い黒曜石を思わせる瞳が、
品定めするように鋭く俺を射抜いていたから。
人の4人や5人は殺しているだろうって思える位の
暗い感情を秘めた眼光は、チンピラの睨みなんて
レベルじゃない。
これは面倒で危ないものだから絶対に関わっては
いけないと、社会に出てから培った体内の
危険センサーが反応した。
あちらさんは俺を気遣って堅気の会社の名刺を
出して来たのだろうが、友達の就活を手伝って
企業の情報収集をしてた時 ”神宮寺不動産”の
事も調べた。
神宮寺グループという大手コングロマリットの
傘下企業のひとつだが、広域指定暴力団
”煌竜会”のフロント企業としても稼働している
会社だ。
そこの代表取締役 ―― 云々、という事は、
多分この男もそっちの世界の人だろう。
「―― 初めまして、で宜しいですよね? こんな
大企業の社長さんが、一介の研修医に何かご用
でしょうか?」
「申し遅れたが私は神宮寺景虎と申す。その節は、
甥の奴が大変お世話になった。あんたが
迅速な手当をしてくれたおかげで、大事なく今も
元気に仕事に励んでおる」
この人が言った”甥の奴”というのが、
全く心当たりなかったが ――、
まぁ、患者さんの中の誰かだったん
だろうと考え、話しを合わせた。
「はぁ、その後もお元気で何よりです」
「本来なら甥の奴本人が礼に伺うのが筋だが、
奴の立場上あんたやこちらの病院に迷惑がかかる
可能性もあったんでな」
それを考えてくれるのなら、来てくれない方が
ありがたかったかも。
―― 何てとてもではないけれど言える
雰囲気ではない。
何と言うか、マジ、その場に存在するだけでも
酷く緊張する。
「そうでしたか。御配慮、いたみいります」
ソファーに対面で腰掛けると、
おもむろに神宮寺が後ろに立たせていた秘書の
ような男に手を上げる。
エリートビジネスマンといっても遜色ないその男は
手に持っていた菓子折りを、袋ごと俺と神宮寺が
挟んでいるテーブルの上に置いた。
「……失礼ですが、これは何ですか?」
「おや、知らなかったか。ピエール・エルメの特選
洋菓子セットじゃ」
そりゃあ、一応俺も知ってるが……。
青山・表参道エリアで燦然と輝く
高級洋菓子店 ”ピエール・エルメ”
パティスリーでもありながら、ショコラティエ
でもあるピエール・エルメ氏。
芸術品と言われる彼の創作テクニックは
スウィーツ界のピカソとも称される程なんだ。
「儂は2年前に肝臓をやられてからは、甘いモノに
目がなくなってなぁ。特にこの店のマカロンが
大好物なんじゃよ」
酒好きが肝臓病を患って断酒を余儀なくされ、
甘味に走り、今度は糖尿まで併発してしまう
という悪の連鎖もある。
「儂と甥からの気持ちじゃ。病院の皆さんと
召し上がって下され」
「は、はぁ……」
ヤバいなぁ ―― とは思ったが、この場のムード
じゃ、受け取らざるを得ない。
「おぉ、何をやっておる、アレもお出しせんか」
神宮寺さんがまた秘書の人へ声をかけた。
すると今度はひと目で分かる高級イタリアン
ブランドの紙袋がテーブルの上に置かれた。
「これは、先生個人へのお礼ですじゃ」
うわっ、出たっ!
いくら何でも、これはマズいっしょ。
「あ、あの、神宮寺さん。お菓子の方はありがたく頂戴
させて頂きますが ――」
ブランドの袋は黙って神宮寺さんの方へ押して
返した。
「こちらは、お返し致します」
「あぁっ??」
濁点でもつきそうな声にひやりと背筋が
冷えたけれど、ここで下がるわけにはいかない。
「それがどういう事か、分かって言っているのか」
「そうは申されましても……」
「……松浪」
「は ――」
初めて神宮寺さんが秘書の人を名前で呼んだ。
そっか ―― この人は松浪さんって言うんだぁ。
「この後のスケジュールは全てキャンセルだ。どうやら
この若先生ともうしばらくお話しせにゃあならんよう
だからな」
「は、畏まりました」
うわぁ……畏まらないでよ。
それに一応この神宮寺さんは社長なんでしょ?
社長不在で、会社は大丈夫なの?
「さぁ、次は先生だ」
「??……」
今さらだが、こうゆう状況になって俺は初めて
身の危険をひしひしと感じている。
「男が1度出した品を ”ハイ、そうですか”と簡単に
引き下げられると思ってんのか」
う”う……最近のやくざって親切の押し売りも
やってんのかよ……も、勘弁して欲しい。
あまり時間がかかっても病院に迷惑がかかるし
(てか、こうゆう人らが来た時点で迷惑行為以外の
なにものでもない)
こうなったら俺が引いて、この贈り物を素直に
受け取る他ないのか……と、思い始めた矢先、
医院長の執務机のインターホンから男のだみ声が
飛び出てきた。
『くぉら(コラ)桐沢。てめぇ新米の癖していつまで
油うってる気だ?!』
こ、この声は ――
第一外科でも一番気が短い ”笙野先生”
やばっ! そう言えば、俺、午後から彼が執刀する
オペの鉤引き(こうびき)やる予定だったっけ。
『無事、生きて研修終えたかったら10分以内に
第一オペ室へ飛んで来い』
俺が無言で蒼白の顔を向けると、神宮寺さんは
たおやかに笑ってこう言った。
「ほほほほ~、また随分と気の短いお人じゃな。
儂はここで待っとるから、心置きなく仕事に励むが
良いぞ」
「……はぁ、では、お言葉に甘えまして」
前門の虎、後門の狼 だ。
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