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第7話

  笙野先生のオペの手伝いをした後は、バタバタと   細かい仕事が立て込んで、つい神宮寺の存在など   忘れてしまっていた。   午後9時近く ――  誰もいない医局に戻り、   倫太朗は隅にある二段ベッドまで歩くと、   ベッドが空いてる事を確認した。   そして、ベッドに白衣を引っ掛け、   グレーのTシャツと白いスラックス姿になると、   眼鏡を外すのも忘れ、   倒れ込むように下段のベッドに入った。 「眼鏡かけたまま寝やがって、器用なやつ」   低く呟きながら、鬼束が倫太朗の眼鏡をはずす。 「んん〜……なつ、きぃ〜……」   半分夢の中の倫太朗は、掠れた声を出しながら、   自分の側にいる鬼束の首に腕を回し、   引き寄せようとする。   鬼束は引力に逆らうことなく倫太朗に   身を任せてみる。   倫太朗の指が鬼束の髪を掻き揚げながら、   自分の首筋へと鬼束の頭を導いた。    鬼束は、面白そうに口元を歪ませると、   目の前にある倫太朗の白い首からでている   喉仏を舐めあげた。 「ちょ ―― 夏希……っ」   首を捻る倫太朗を鬼束は、声を押し殺して笑う。 「おい。倫太朗せんせ」   そして、倫太朗から離れると、   眼鏡をもったまま元の体勢に戻った。   倫太朗は、声に反応するかのように目を開けた。   ぼんやりとした視界でも自分の頭上にある顔が、   見知った顔でないのは、分かった。   それにこの声は……。 「ええっ ――!? どうしてあなたが? なんで!!  いてっ!」   引っくり返った声を上げながら、   倫太朗は身体を起こした。   二段ベッドの下段の天井は低いので、   倫太朗は頭を思いっきり打ってしまった。   鬼束は、中腰のまま笑いを堪えて倫太朗の様子を   見ている。   頭を抑えながら、倫太朗は鬼束を睨んだ。 「何で? と言われてもだな……ナースセンターに  キミの居場所を尋ねたら多分ここだ、と言われ来た。  んで、可愛い倫太朗せんせが眼鏡掛けたまま寝てる  から、はずしてやったんだよ。まさか女と混同される  とはな」 「……」   (ま、この男が”なつき”を女だと思っているなら    わざわざ訂正する気もないが ”なつき”は    倫太朗が行きつけのゲイクラブのウェイターで    男だ)   鬼束の言葉を聞きながら、   倫太朗は、自分が夏希だと思ってしていた事を   思い出し、顔がみるみるうちに赤くなっていく。 「ほら、眼鏡」   鬼束が、手のひらに眼鏡を乗せ、   倫太朗の前に差し出した。 「あ、ありがとうございます。すみませんでした」   鬼束から目線を逸らし、か細い声で言いながら、   眼鏡を受け取った。 「別に謝ることはない。ところで ―― このあと、  仕事はあるのか?」 「いえ、上がるだけですが」 「なら、オレに付き合ってくれ、ドタキャンされて  腹ペコなんだ」   そして、この室から出る間際 ”あ、そうそう、   これ、オレの連絡先な”って、手渡されたのは   1枚の名刺で ――   ”株式会社 神宮寺食品    代表取締役専務 鬼束 柊二”   と、記載されていた。   (また ”神宮寺”か…… もう、勘弁してよぉ) ***  ***  ***   俺、病院へは基本自転車か電車通勤だから、   地下駐車場へは初めて降りた。      高級車が整然と並んでいる ――。      そのまま鬼束さんの後ろをついて行くと、   ややあって、   メタリックブラックのセダンのフロントライトが   点滅した。      鬼束さんが助手席側のドアを開けてくれ、       「どうぞ」 「は、ぁ ―― では、お邪魔します……」   う、わぁ―― 何気に緊張する……だって、   男の運転する車 ―― しかも助手席! に   座るなんて、すっごい久しぶりだ。      勧められたまま、図々しくも座ってしまったが。       「あ、あの ―― 助手席で、宜しいんですか?」 「もちろん大丈夫だよ。彼女なんて、おらへんし」            ふ~ん、そうなんだぁ……意外。       「今、オレの事、遊び人なのに珍しいとか思ったろ?  顔に出てる」   「あ、いえっ ―― ただ、鬼束さんみたいな  イケメンなら、彼女の1人や2人いても可笑しくは  ないなぁ、とか、寧ろいない方が可怪しい  と言うか……」       あぁ ―― あかん!    喋れば喋るだけドツボに嵌ってく。       「ハハハ ――。ま、いいさ。ほら、行くぞ。  シートベルト締めてな」   鬼束さんは笑いながら車を発進させた。      緩やかに、自然に車は加速していく。      その意外に穏やかな運転に俺は少し驚いた。      彼のドライビングテクニックにもそうだが、   この車、あつしが中古で買った軽とは乗り心地が   雲泥の差だ。      「―― 何が食いたい?」 「お安くてボリュームのあるモノなら何でも」   まるで、近所のお兄ちゃんについて来たような……   そんな、優しい時間が流れていく。 ***  ***  ***   

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