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第9話

「ふぁぁ~~っ……」   各階のエレベーターホール脇に設けられている   自販機コーナーで、   紙コップのブラックコーヒーを買い、   壁にもたれかかって飲みながら、   朝っぱらから大あくびを連発する俺。 「クスッ……いゃ~ん倫ちゃんってば、  やっぱり昨夜は噂の彼女とラブラブだったぁ?」   朝から気色悪い笑顔全開の国枝あつしは   幼なじみで、この病院の1階エントランスホールに   あるカフェの雇われ店長。    「てめぇ、いい加減そのふざけた口調止めねぇと  マジ屋上のてっぺんから突き落とすぞ」 「おーこわぁ、寝不足で超ご機嫌ななめってか」   コーヒーを一気に飲み干し医局へ戻る途中、   ぼんやり思いを馳せるのはやはりあの人の事 ――   鬼束、柊二さん……   出逢ったのがあんな状況でなければ、   絶対自分の方から何らかのモーションを   かけていたハズ。   スッと伸びた綺麗な鼻筋、   涼し気な切れ長な目が印象的だった。   キュッと結ばれた唇はとても意思が強そうで。   ギリシャ神話の彫刻のような逞しい体。   精悍で凛々しい顔立ちはパッと見た感じ、   外国人かと見間違う程だった。   俺の理想のタイプが、   そのまま服を着て歩いてるようなものだ。   自分が惚れっぽいというのはもうわかってる。   最初から望みが無いってわかってるから、   すぐに人を好きになる。   見た目だけの、眺めるだけの、観賞用。   だから、簡単に諦められるように、   簡単に好きになる。   テレビに写る、アイドルみたいなやつ。   手を伸ばしても、触れることも出来ない存在。   時々、見れるだけでいい。   どうにかなれるなんて、思わないし、   思っちゃいけない。   この間、別れ際、鬼束さんは ――   『あんなんでよかったら、また一緒に行こう』      って、言ってくれたけど、   アレはただの社交辞令だ。     期待しちゃいけない ―― いけない、けど……   もう1回くらいは、会いたい、かも……。   なぁんて、頭の中で妄想に耽っているうち、   始業の予鈴がなった。   あちらこちらに散らばっていた就業前の医師や   看護師達もそれぞれの担当部署へ移動を始める。   エレベーターから降り立ったその人物も   皆の流れに沿ってとある部署に向かっていたので   ボクは大して気にもとめなかったが。 『キャア、柊二先生。お久しぶりでーす』   いきなりその人物の周辺だけがピンク色に色づいた   ように見えた。   それにしても最近の女の子達って、   怖いもの知らずっつーか。   大胆で積極的だなぁ。   だって、その人物に群がっている若いナースや   女子職員達からはハートが乱れ飛んでいる。 『やぁ、元気にしてた? 今日からまたよろしくな』 『こちらこそ、お手柔らかに願いますね』   俺はそんなやり取りを聞き流しながら、   少し前を歩くその人物の逞しい体つきを見て考える。   はて……このナイスボディー、つい最近   何処かで見たような気がする。     けど、新任の先生みたいだから、俺が診察した   患者さんではない。   この疑問には、隣を歩くあつしが答えてくれた。 「あぁ、そっか。あのチャラ男、今日から復職なんだ」   はぁっ?? 復職? って事は、以前この病院で   働いていた?   それに、チャラ男ってのは、何だよ?   そして、幸か不幸かその人物の向かった先は、   俺らと同じ総合外科だった。     ***  *** 「―― 産休に入られた田代先生の代打で  今日からお世話になります。鬼束です。  よろしく」   鬼束さん ―― 改め、   鬼束先生のそんな新任挨拶に続き、   カンファレンス。   今日の検討テーマは ――   第一外科・主任医師、大吾先生が担当している、   3**号室の患者さんについて。   昨日やっと、彼女の最終的な精密検査結果が   出たのだ。   病名は、虚血性心筋症。   心臓病の中でも続発性心筋梗塞の合併症。   カテーテル治療は症状が進行しすぎていて   不可能。   だけど、オペが出来る状態だった事は   不幸中の幸いだった。   患者さんの健康状態を考慮しながら、   ベストな手術日を模索する。   何時になく重々しいテーマが討議されているのに、      俺ときたら、鬼束先生の事ばかりが気になって、   大切な討議内容など半分も頭に入らなかった。   確かこの病院の産休は1年だったよな?   ってことは……うぅっ、考えただけで胃が痛くなって   きた。   ってか、田代先生、産休明けには戻ってきてくれるん   だよねぇー。   いくらお互い顔見知りで好みのタイプだからって、   同じ職場で働くのは気まずい。   これから先、1年、何事もなく過ぎてくれるといいけど。   キ~ン コ~ン カ~ン コ~ン ――――   今日の俺にとっては罰ゲームのような   カンファレンスもようやく終わり。   カルテや資料をクリアーファイルにしまっていた時。   俺の横に立った誰かが影を作った。   その誰かとは? 言うまでもなく ―― 「また会えて嬉しいよ」 「はぁ、そうですか」 「討議の最中、オレの事ばっかり気にしてた?」 「はぁっ?? まさか!」 「じゃ、オレの気のせいだったか」   俺は内心ドキドキしながら、   次からは気をつけなくちゃと思った。

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