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第26話

  その後、迫田は高2に進級する直前中退、   あつしは予定通りパティシエになる修行で   パリへ旅立ち。   1人残された倫太朗は第一志望の星蘭大医学部へ   トップの成績で合格。   その6年後、見事、医師国家試験も突破した。   季節はめぐり ――   春・夏・秋・冬、幾度か繰り返して、   8年、パリでたっぷり修行を積んだあつしは、   倫太朗が勤務する病院の院内カフェで雇われ店長を   する傍ら、パリでの修行時代に知り合った兄弟子   から紹介された店の経営を任される事になり。   パティシエとして1人前になって3年目で、   やっと最初の夢に到達した。   その店は、京都市内とは思えない緑豊かな場所の   中にごく普通の一軒家のようにひっそりと佇んで   いた。   高齢である主人は自分の代で店を畳むつもり   だったらしいが、話を聞いたあつしは兄弟子を   介してそこを引き継がせてほしいと頼み込んだ。   主人から伝統の味を受け継ぎ、   自らの新しい味も創り出す。   新規客はもとより常連客の足を遠退かせてしまう   ようでは失格だ。   倫太朗と迫田の事を気にしながらも時間的にも   精神的にも余裕がなく、また新装開店直前に   大恩人の兄弟子が事故で急死した為さらに慌しさが   増して、結局あつしが2人に連絡を取ったのは   半年以上も経ってからだった。   あつしは倫太朗の運転する車で最近倫太朗が   引っ越したという新築マンションに向かっていた。   とりあえず電話かメールでと思っていたのだが、   半年以上も会っていない上に、2人の近況が   どうしても気になっていたので直接会いに行く   ことにしたのだ。   倫太朗には会いに行く旨を予め連絡すると、   最寄り駅まで迎えに行くと言われ、   あつしはこうして助手席に座っている。 「最近どうだ? 研修は終わったんだろ?」   引越ししたと聞いた時、   ようやく両親の過保護下から脱却したのかと   近況を尋ねたあつしに倫太朗は口元を歪めた。 「ん、まぁ、何とかね」     マンションの敷地内に入った車はそのまま   地下駐車場へと滑り込んで、停車した。   車から降りると1人の男が近づいてくる。 「お、さむ……?」   その男が最初誰だか分からなかったあつしが   唖然と呟くと、チラリと視線を向けた迫田が   口元を歪める。 「……国枝か」   あつしを認識した後、迫田の視線は運転席から   出てきた倫太朗に向いた。   どう見ても健康的でない痩せ方は、   迫田の荒んだ生活を物語る。   嫌な感じがした。   吹く風は生暖かいのに背筋が震えた。   あつしは息を呑む。 「倫太朗」   迫田の足下がフラフラおぼつかない。   足が地についていないように見える。 「まだいたのか」   倫太朗の冷たい口調と冷ややかな目つきは、   今まで迫田を見てきた表情とは明らかに違う。   付き合いの長いあつしであっても背筋が凍る   思いがした。 「なぁ、頼む。あと1回。10万……いや、5万、  2万でもいい。金がないと俺は沈められるんだ」   迫田が倫太朗の身体に縋りつく様を見て、   この男はどうしてこんなにまで落ちぶれてしまった   のか? と、あつしは驚く。 「断る」   ぴしゃりと跳ね除ける。   断られると思っていなかったのだろう。   迫田の目が驚愕に見開かれた。 「なぁ。俺たち友達じゃねェか。助けてくれよォ。  なぁ」 「こいつ何処かおかしいんじゃねェか?」   呆然としたあつしの呟きに気づいた倫太朗が   「覚醒剤だ」と口を歪めた。 「って、うそ、だろ……」 「かなり前から手ェ出してたんだ。ちんけなヤクザに  擦り寄ってな」 「じゃあ金を渡してたのは全部……」 「クスリに消えたんだろ」   倫太朗の口調はまるで他人事だ。 「お、お前っ。分かってたんなら金出さなきゃ  いいだろーがっ。そしたらこいつだって……っ」   カッとなって胸倉を掴みかかるあつしを倫太朗が   払い除けた。 「俺にどうしろと? クスリをやるためじゃねぇ、  職探しだ、当座の生活費だ、頼れるのはお前しか  いないって言われたら……」   倫太朗の眉がすっと顰められた。 「あつし。お前、言ったよな。自己責任だと。  散々忠告してきてこれだ。おまけにこの俺まで  売人扱いだ」 「えっ?」 「この俺も売買に利用しようとしたんだ。  未遂だったがな」   自嘲した倫太朗の言葉に、   あつしはただ唖然とするばかりだ。 「同情の余地無しだろ」 「な、倫太朗。金くれよ。俺、殺されちまうよぉ」 「安心しろ、迫田」   尚も縋る迫田の顎を掴んだ。 「少なくとも今直ぐには殺される事もない。金の心配も  いらない場所へ送ってやる」   迫田に向かって口端を上げた後、   すっと立ち上がった倫太朗は正面を見つめた。   あつしも倫太朗の視線の先を見る。 「迫田治さんですね? あなたの部屋からこれが  出てきました」    白い粉が入っている小さな袋だ。    それに、注射器。 「署までご頭行願います」 「り、りんたろッ。てめぇこの俺を……、  俺を売りやがったのかっ」   逆上した迫田が闇雲に振るった拳が倫太朗の   頬へクリーンヒット。   両腕をがっちり取り押さえられた迫田の   形相が険しくなる。   倫太朗を裏切り者と叫ぶ迫田は正気なのか。 「桐沢さん、あなたにも事情を聞かせて  頂きますので」   肩を叩かれた倫太朗は小さく頷いた。 「ちくしょーっ、倫太朗ッ、てめぇっ、覚えとけよーっ」   パトカーに押し込まれる迫田の叫びが響く。   あつしは倫太朗に視線を向ける。   迫田の乗ったパトカーが走り去るまで   ジッと見つめていた倫太朗の表情には、   決断を下さなければならなかった苦渋の色が   色濃く浮かんでいた。 「さてあなたも ――」   促された倫太朗の足が一歩出る。   すぐに立ち止まった倫太朗があつしを振り返った。 「悪かったな」 「ばーか。何言ってんだ。ダチだろ」   ひと言相談してほしかった、と、   あつしは言葉を呑み込む。 「これ。俺の店だ」   あつしは店の情報が書かれた名刺を   倫太朗に手渡す。 「何時でもいいから、来いよ。待ってる」   あつしの力強い言葉に倫太朗が目を細めた。  

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