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第636話

つ…と一筋、涙が頬を伝った。 「あれ?俺…あはっ…どうしたんだろう… 希、俺、大丈夫だから。」 袖口で、ぐいっとそれを拭くと、斗真はぎこちなく笑った。 「斗真。」 もう一度名を呼び、その手を掴んだ。 「斗真、泣いてもいいんだよ。」 斗真は潤んだ目で俺を見つめた後… 俺の手を両手で握りしめ額に当てると、肩を震わせて嗚咽し始めた。 「…お客様…失礼致します…」 遠慮がちなウェイターの声が聞こえた。 俺は斗真を抱き寄せながら、料理を持っていない彼に少し怒気の混じった声で尋ねた。 「はい、何でしょう?」 「あの…もしよろしければ、奥の個室に… 今キャンセルが出て空きましたので。 あちらなら、ごゆっくり食事をお楽しみいただけると思います。」 思いがけない申し出に、戸惑っていると 「さ、ご遠慮なく、どうぞ。」 と促され、斗真を抱きかかえたまま後を付いていった。 「料理を運んで参ります。少々お待ち下さい。」 にこやかに出て行く彼を見送ると、もう一度斗真の横に座った。 寸分の隙間もないくらいにくっ付いて、斗真の頭を撫でた。 斗真は傷付いている。 矢田の時とは比べ物にならないくらいに。 見知らぬ異国でに攫われ、陵辱され、その場面を俺に見られたことで、更に傷付いて… キリキリと胸が痛む。 焼け付くように。切り刻まれるように。 どうすれば、どうすれば斗真の心は晴れるのか。 どんな慰めも労わりも、今の斗真には届かないのか。 コンコン 「どうぞ。」 「お待たせ致しました。当店自慢の料理です。 …どうぞごゆっくり。」 「あ…待ってくれ。これを。」 先程のウェイターに、そっとチップを渡してやる。 「ありがとうございます。御用があれば、そちらのベルを鳴らして下さい。 では、失礼致します。」

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