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第822話

誰もいないとはいえ、いつ誰が入ってくるかも分からない。 それでも俺は、俺を包む温かな体温を全力で拒むことができなかった。 目を瞑ってそれに酔いしれていく。 何かが唇に触れる感触で、キスされたと分かった。 んっ 唇を割り込んでくる希の舌を受け入れ、舐め上げる。 何盛ってんだ。ダメだ、ここは会社だ。 腕を突っ張り首を振るけれど、希の拘束は解けない。 益々力を込められ、もうどうでも良くなって脱力して、全体重を希に預けた。 「とっ、斗真っ!?」 俺が気を失ったとでも思ったのか、焦った希の声がおかしくて肩を震わせていると、低い咎める声が耳元で聞こえた。 「斗真…心臓に悪い…」 「会社でキスするお前が悪いんだろ? ほら、もうそろそろ行かないと。 前川チーフ待たせちゃう、んっ」 不意打ちで、むっちゅー、と濃厚なキスをしてきた希は、呆気にとられる俺を残して先に出て行こうとする。 慌ててその後ろ姿を追い掛けながら、この部屋に防犯カメラでもあったら、俺達完全にアウトだよな、なんて思っていた。 二人揃って玄関に向かうと、前川チーフはもうスタンバイしていた。 「あ、こっちです!」 片手を上げる動作も様になっている。 よく見たら、この人もイケメンの部類…縁なし眼鏡も良く似合っていて、サラサラの髪も清潔感があって絶対モテるはずだ。 「お待たせして申し訳ありませんでした。」 希に合わせて俺もぺこりと頭を下げると 「いえいえ、待ち切れなくて早く出てきちゃったんですよ。 あ、タクシー呼んでるんでどうぞ。」 流石に玄関から少し離れた場所まで歩いて、請われるまま乗り込んだ。 え…料金大丈夫なんだろうか。 他人事ながらちょっと心配になる。

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