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第827話
うれしそうに笑顔を振りまく春菜さんを前川チーフが穏やかな目で見つめている。
ここにも…幸せな夫婦がいるんだな。
それから当たり障りのない話から始まり、酔いが少し回って饒舌になった希が俺達の馴れ初めを暴露したり(言い過ぎそうになって必死で止めた)、逆に前川チーフと春菜さんの大ゲンカの話を聞いたりと、すっかり打ち解けていった。
部屋の隅に置いてあって、俺もずっとそれが気になっていたのだが、希が
「あのゲージは…犬か猫か飼ってらっしゃるのでは?今は何処かへ?」
とその話題に触れると、前川夫婦は顔を見合わせて頷き
「ええ、ミニチュアダックスを飼っているんです。“ココア”って言うんです。
犬が苦手な方もいらっしゃるので、ひょっとして…と思って今日は預かってもらってるんです。」
「俺達、全然大丈夫だったのに!
ココアちゃんか…うわぁ…残念だったな…今度会わせて下さいね。」
「…ありがとうございます。じゃあ、この次にぜひ。
もう、子供みたいなものですからかわいくって…」
何となく言い淀むような口ぶりに、少し首を傾げると、前川チーフが春菜さんの手にそっと自分の手を重ねながら言った
「本当に子供なんですよ。」
「…私達、子供ができないんです。」
「「え?」」
「私、結婚してすぐに子宮筋腫になっちゃって…全摘したんです。
せっかくこの人に養子に入ってもらったのに、こんなことになっちゃって…
『こんな私と別れて、ちゃんと子供を産んでくれる人と再婚して』
って言ったんですけど
『子供を作るために結婚したんじゃない!
お前を愛してるからそんなこと言わないで一生一緒にいてくれ!』
って言ってくれて…」
春菜さんはもう涙声だった。
俺達は黙ってそれを聞いていた。
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