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第936話
声に少し怒気が覗く。
マズい、言い過ぎて機嫌を損ねたか?
“手を出さない”と言うのなら、妥協するか。
「…分かった。アイツらもお腹減ってるみたいだから、一緒に入る。」
それからは無言で。微妙な空気が流れる。
謝ったほうがいいのか?
でも、俺だけが悪いんじゃない!
…俺達二人ならこのままでもいいけど、今日は客人がいる。
彼らに嫌な思いをさせたくはない。
…仕方がない、俺から折れるか。
湯船に浸かる希に声を掛けた。
「希。」
「…………」
「ごめん。俺、言い過ぎた。ごめん。」
どうだ。二回も謝ったぞ!二回も!
間もなく
「…俺こそ、ごめん。ちょっと調子に乗ってた。
ベタベタは二人っきりの時だけにするから。」
「うん、希の気持ちは分かってるんだ。
でも、俺も譲れないものがあるから。ごめんな。」
そっと近付いて、唇を重ねた。
目を丸くする希に
「今はこれだけ。な?」
と言うと、無言で抱きしめられ、キスのお返しをされた。
名残惜しそうに鼻先をぐりぐりと擦り付けられたが、さっきの約束の通りにそれ以上は仕掛けてこないことにホッと胸を撫で下ろし、入れ替わりに湯船に浸かる。
先に出た希はご機嫌で鼻歌まで飛び出していた。
本当に、単純ばか。
でも、そんなばかを愛してる俺もかなりの色ボケだと思う。
ドライヤーを済ませた希が、ドアから顔だけ出して弾んだ声で
「斗真、先行ってる!」
「うん。すぐに行くよ。」
ご機嫌が直って良かった。
どちらかが大人になって折れて引かないと、時間が経てば経つ程、拗れてくる。
先に謝るのは俺であったり、希であったり、その時々で違うけれど、こうやって阿吽の呼吸で暮らしていくんだな、って思うと何だか長年連れ添った仲の良い熟年夫婦みたいで可笑しくなった。
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