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崩れた斜面を登り、一箇所のひらけた場所に出た。けれど、そこもむき出しの地面に、崩れた岩、家屋が原型を留めないまま放置されていた。少しだけ平坦なその場所の少し奥に、一本の木が生えている。太い幹に、擦り切れて黒ずんだ赤い紐が結ばれていた。
青々と茂った葉っぱの間からも、いくつかの赤い紐が垂れていて、その先端には、壊れてならない鈴がついている。
「…これ」
「これは、ここに住んでいた人間たちが祈りを捧げるための御神木」
とん、と眞洋が幹に触れながら、その紐を辿る。
「もう、これしか残ってないのよ。この村は地滑りが起こる前からもう人はいなかった。けれど、祈りだけは残っていたのね。だから、この御神木だけは無事だった」
「眞洋…?」
「…くすな。私は、貴方が好きよ」
ピタリと足を止め、眞洋が振り返る。ハニーブラウンの髪が黒く染まり、紫色の瞳が金色を帯びた。
「私は見ての通り、人じゃないわ。だから、貴方より永く生きてしまう。でも、貴方を失いたくないの」
「……」
「あの夜、…貴方を見てから……その、好きなの。くすなが」
眞洋がうつむき、黒髪が風に揺れた。
綺麗だと、思った。
今、僕と眞洋の距離は10歩と満たない。
手を伸ばしても届かないけれど、歩けば届く距離にいる。僕が眞洋の手をとったら、どうなるのだろうか。
「一目惚れよ、多分。私からすれば、貴方の方がずっと、綺麗だし、真っ直ぐで揺るぎないわ。………貴方が…いいというなら、共に生きたいと思っているの」
だけと、と言葉が続く。
「…さっき言った、刻みたいって言うのは、印 を……………」
「眞洋…?」
「……………………………………………………………………………………………………………………………」
長い長い沈黙が流れ、眞洋が顔を上げる。
「くすな、覚えてるかしら。今朝、鬼の話を、したでしょう?」
「うん」
「鬼は、印を刻む事で相手を伴侶とし、永く生きるの。共に。だけどそれは、印を刻むことは鬼の血が流れていないとできない事よ。私には、印を刻む事ができる」
それは、つまり、
「恐らく、私には鬼の血が流れていて、背中の羽は、鴉系の妖怪の血、だと思うの。私には人の血が流れていない」
僕は息を飲んで、ただ眞洋の言葉を聞いた。聞いて、咀嚼 して、呑み込んでから、口を開く。
「僕は、眞洋を綺麗だと思う。…人間じゃないとか、そんなことは眞洋が眞洋である限り、僕には関係ない。僕は眞洋が好きだ。離れたくない」
「……キス、したり、するのよ?」
「構わない。前にも言ったように、眞洋にされて嫌な事なんてない」
「印を刻んだら、少なからず貴方も人から外れてしまうわ。それでも、いいの?」
「…眞洋がそばに居てくれるなら、構わない」
「今、キスしても?」
「うん」
眞洋の目を真っ直ぐに見つめて、頷いた。眞洋の手のひらが御神木からゆっくりと離れて、僕との距離が縮まる。
目の前で立ち止まると、金色の瞳が揺れながら僕を見下ろした。右頰に、眞洋の左手が遠慮がちに触れる。親指がゆっくりと唇を撫でた。さっきはひんやりとして居た指先が、今は熱を帯びている。
「……くすな」
「なに」
「貴方は、こんな私を綺麗だと言うけれど、そんな事ないわ。貴方に人を捨てろと言っているのよ?」
僅かに震える眞洋の声に、僕はその金色に膜が張るのを見つめ、両手を伸ばした。ポタリと、僕の頬に雫がおちる。
「私は、酷い奴だわ…」
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