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ほどなくしてバスが来て、僕は後ろ髪を引かれる思いでバスに乗り込んだ。明日はもっと、話ができるだろうか。誰かを知りたいと思ったのも、明日を迎えたいと思ったのも、初めてだった。
家に戻ると、珍しく千代さんがいなかった。買い物にでも出ているのだろうかと、自室に向かい、渡された薬を確認した。薬は、一週間分。そろそろ、薬も必要なくなる気がするとため息まじりでコートの内ポケットに薬の袋を戻した。
小さな頃は、いまの倍以上の薬を飲んでいた。年を追うごとに減り、今では痛み止めと咳止めのみになっている。
僕は後何回、智草さんと話ができるだろうか。
不思議な雰囲気をまとった人だと思う。右眼は眼帯で見えないし、前髪も右に流していたから智草さん自身も少し気にしてはいるのだろうか。
なにより、あの少し触れただけでもわかった、冷たさ。ずっと外に居たのだろうか。散歩、と言っていたけれど。
「散歩、か」
明日、少しだけ聞いてみよう。
「明日、…明日か…」
やっぱり、智草さんと話してから身体が軽い。不思議な感覚だ。いつもなら帰って来たら途端に眠気に襲われてしまうというのに、今日は眠くない。
「……?」
ふと、下の方から音がして部屋の扉に近づき、ノブを掴んだ。リビングからガシャンと大きな音が響く。玄関の鍵は、開けていた。泥棒だろうか。なら、この家には今金目の物なんてほとんどない。
「……」
息を潜めながら静かになるのを待つけれど、この状況でもし、千代さんが帰って来たら?千代さんが怪我でもしたら、一大事だ。ドラノブに手をかけたまま思考を巡らせていると、階段を上がってくる音がした。
もし、仮に泥棒で、武器なんて持っていたら確実に死ぬだろう。どこで終える人生かは、もはや運に近い。
「………人の子は、簡単に命を捨てるからいけないね」
ドアノブを握りしめていた僕の手を、黒い手袋が優しく外す。頭上から声がして、視界に白い髪が揺れた。
「…っ、ぇ、だ、だれ」
「こらこら、逃げたら死ぬよ。人の子。大人しくしてなさい」
優しくも低く、静かに広がる声音に恐る恐る振り向くと、見たことのない男の人が立っていた。窓から入る光にキラキラと光る銀糸の髪、白いファーのついた黒のコート。綺麗に整った顔の、その額からは、二本の角が、生えている。
「…………そ、ぇ、…それ、っ」
「あぁ、初めてだったかな?それは失礼したね。驚かせてしまったようで。でも、今はそれどころではないようだけれど」
初めましてと綺麗に笑う男の人が、よいしょと僕を肩に担ぐ。
「ぇ、ちょっ、え!?」
あまりにも動作が軽快で、流れるように担がれた僕は抵抗する間もなく。窓から飛び降りた男は、暫く僕を担いだまま走り抜けた。
人通りの少ない街だったのが、よかったのか悪かったのか。誰にも会うことなく、僕は家からだいぶ離れた、石階段の前で降ろされた。山を登るための石階段。登山道と言うわけではなく、この階段を登った先には半壊した神社がある。
「っ、けほ」
「あぁ、すまないね」
「…いえ、あの、あなたは……だ、誰ですか?」
よくよく見上げれば、金色の瞳をしている。左目のすぐ下には、赤い模様が入っていた。
「さて、私の名前の前に、一つ教えてあげようか。お前は死に近すぎる」
「……は」
「死に近いと、妖狩りが出るんだよ。お前の死の匂いにつられて、妖狩りが現れた。あれは人では無いよ。あれに魂を狩られたら、お前の魂は消滅する」
「……は、え?」
「死にたい?」
綺麗な金色の瞳がわずかに光る。息を呑みながら拳を握り、僕は瞼を伏せた。死にたいかと問われたら、答えは、否。だけど、生きたいかと問われても、僕には答えが出せない。今、ただ明日を迎えたいのは智草さんと話がしたいからだ。それでも、もし今日、死ぬしかなければ僕はそれを受け入れるだろう。
…これも、仕方がないのだと。
「……自分の死を受け入れるのは、悪い事ではないよ。ただ、お前には今、会いたい人が居るはずだ」
優しく紡がれる声音に、僕は口を開いて、でも閉じた。会いたい、人は。
「……僕、は、……」
ただ、話がしたい。
「明日、会いたいって、思っただけで」
たったそれだけ。
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