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兎丸慧はごめんなさいが言えない①

 「ちょっと綺麗な服着て笑ってくれるだけでいいから!ただただ立って、相手の話に頷いてくれるだけで……こう、何ていうか少し遠めの場所に無料で水を飲みに来たつもりで、もちろん諸々にかかる経費はあたしが持つし、何なら送迎だって喜んでしちゃう。金品を奪ったり害を与えなければ、どんな嘘をついたって詐欺に問わない。当日はあたしも自分自身を偽るんだし、リカにだけ罪悪感を持たせるようなことは絶対しないと誓うから、だがから、どうかどうか――」 「ちょっと待って桃ちゃん。今、桃ちゃんの目の前にいるのはリカちゃんじゃなくて俺なんだけど相手間違ってない?」  部屋に入ってきた途端に華麗なるスライディング土下座を決めこみ、こちらがツッコミを入れる隙を与えないノンブレスの台詞。何かお願いごとがあるらしいのは聞き取れたけれど、多分きっと、どうあってもそれは俺に向けてじゃない。それなのに俺、兎丸慧の目の前で綺麗なつむじを晒すのは、桃太郎って呼んだらブチ切れる謎だらけのオカマ、桃ちゃんだ。  そして言っていたことの8割が意味不明なのは、俺だけじゃないはず。後ろのキッチンに立っていたリカちゃんですら、あのリカちゃんですら「何やってんだお前とうとう頭までおかしくなったのか」って顔をしている。つまり、いつもと同じかおである。 「桃、慧君が困ってるから普通に座れ。見ていて暑苦しいし鬱陶しいし、何より掃除したばかりのソファにお前の汚い涎を垂らされるかもしれないとか耐え難い」  後半こそお前の本心だろうって言葉を吐いたリカちゃんが俺の隣に座る。いや、そこで桃ちゃん土下座してたじゃん。普通に座れって言ったくせに、お前今桃ちゃんのこと押し退けたよな。そんな俺の含みある視線を優雅に受け止めたリカちゃんが微笑む。 「俺の慧君は今日も優しいね。こんな突然やって来て突然頭を下げて、プライドも何もかも投げ捨てたような理不尽かつ身勝手なオカマにすら温情を向けてあげるんだから」 「リカちゃんそれほぼ悪口……ってか温情ってなに?」 「知りたいことは自分で調べて、それから人に聞く。わかる?慧君」  なんで家でまで教師面するんだと、不満に思わないわけでもない。ちょっとでも俺の成長を思ってくれているのは明らかでも、ここは俺の家だ。ここでは俺がルールだと、忘れてもらっちゃ困る。 「俺に指図すんなお前は何様だよ」 「慧君の担任で隣人で、そして彼氏」 「お前みたいな性悪を彼氏にした記憶はない」 「そんなこと言うなら嫌でも思い出させるけどいいの?慧君の身体の隅々に、俺との思い出刻んであるけど」 「──ねぇ、あたしの存在無視して勝手にイチャイチャしないでくれない?この体勢で放置されるのは、さすがのあたしだって傷つくわ」  リカちゃんによってソファから振り落とされていた桃ちゃんが起き上がる。高そうなスーツに皺がついてしまっているけど、俺はそれを見ないフリした。 「そもそも勝手に土下座なんてし始めたのはお前だろ。これだからオカマは」 「ちょっと!今の発言、全国のオネェをバカにしたわね?!信じらんない!オネェに言い直した上で陳謝しなさい」 「へえ、お前は全国の代表にでもなったつもりなんだ?それはまた随分と傲慢で」 「きぃいっ!!!ああ言えばこう言う!あんたなんてねぇ、その顔と身体と声とスペックがなければ、ただの傍若無人な男でしかないんだからね!」 「つまり俺はただの傍若無人な男ではなく、それなりのことなら許される男だと。褒め言葉ありがとう、大熊桃太郎先生」 「誰よ!こんな男でも真剣に頼めば助けてくれるって思ったのは!あたしよ、このあたしですよ!!!」  俺は常々思うんだけれど、桃ちゃんって前世はリカちゃんのオモチャか何かだったんじゃないだろうか。ほら、あのシンバル持って騒ぐサルみたいな、ああいう系統のやつ。同い年にここまで遊ばれるなんて、そういう体質とか習慣が元から備わってるとしか思えない。 「リカちゃん、そろそろ桃ちゃんで遊ぶのやめて話ぐらい聞いてやれよ……」  そろそろ本格的に泣き始めた桃ちゃんを可哀想に思って言うと、勢いよく桃ちゃんが俺を見た。いや本当、黙ってれば桃ちゃんも爽やかで優しそうで、仕事のできそうな男の人なのに。間違いなくリカちゃんより『普通』なはずの桃ちゃんが、ぐりっぐりの大きな目に涙を浮かべて俺を見る姿は……泣いてる捨て猫を知らんぷりして通り過ぎるあの瞬間を思い出させて胃が痛い。 「桃ちゃん。何かリカちゃんに頼み事があって来たんじゃないの?俺に言うってことは本人に言いづらいような、いや、俺が桃ちゃんの役に立てるなんて思ってるわけじゃないけど、何か手伝えるなら俺も手伝うから……だからお願い泣かないで。ここじゃ猫は飼えない」 「ウサギちゃんありがとう……あたし、ウサギちゃんのおかげで勇気を持てたわ。きちんと自分の口から言うわね」  悲しみを漂わせる桃ちゃんに、これが庇護欲ってやつかと思った。例えば親が子供に与えるような、生憎俺は母親から貰ったことのない気持ちを、まさか俺自身が感じる日がくるとは。これが拓海の言う『幼女趣味ってなんとなくわかる』ってやつなのかもしれな―― 「ねぇリカ。ちょっとあたしと一緒に婚活パーティーに行かない?」  今すぐ帰れ似非幼女のオカマ野郎。  

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