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10年後の君へ⑧

 君と過ごす最後の夜は、月の光も届かない曇り空。  ヘッドライトの灯りだけを頼りに、朧げに見えるしなやかな肢体に指を滑らせる。  慣れ親しんだ寝室、目を閉じていても伝わってくる体温。何度も抱いた身体が示す反応と声に、全身の感覚を預ける。 「慧、慧……聞こえてる?」 「んっ、ぁ……やだ、やっ……そこは、やだ」  絡ませる舌の感触も耳に響く甘い声も。問いかけたこととは違う返答ですら、酷く愛おしいものだと思う。  それが意味の成さない単語でも、兎丸慧の口から紡がれる音ならば、俺にとってはどんな崇高な音色よりも極上の悦びをもたらせてくれる。 「舌、絡めて。もっと求めて、慧君、もっと」 「ふっ……ん、激しっ……リカちゃん、待って、待って」  身体に回された華奢な腕。必死に縋る指先が震え、俺の背中に真新しい傷痕を残す。赤く染まった頬に流れる涙を拭うと、重ねていた唇を離して額同士を合わせた。 「慧君が好きで好きで、どうしたらいいかわからない」  好きで好きで好きで好きで。  好きで好きでどうしようもないほどに好き。    目に見えない感情を、どう伝えたらいいのかわからない。どれだけ言葉にしても一瞬で消えて、どう残せばいいのか、その方法が見つからない。  だから、しつこいほどに囁いて、壊れるほどに求めるしかできない。 「っ、慧……慧、けい」  名前を呼ぶ度に奥を穿てば、慧の下肢は一層濡れる。弱く勃ち上がった性器から溢れるものが色を失うほど、それほどまでに執拗な行為に慧は更に涙を零した。 「リカちゃっ、ああっ……あ、やだっ、やだ」 「慧君。ここ好き?それとも、ここ?」 「やだ、やっ、どっちも嫌……い、ああっ、んあっ」   俺の全てで君を抱けば、これが最後になるなんて知らずに君は悦ぶ。  いつもと変わらない痴態が、いつも以上に儚く尊いものに見えるのは、限られた時間での行為だからだろう。 「あっ……だめ、だめ……も、もうだめっ、だから」  最後だから止まらない俺と、最後でも駄目だと言ってしまう君。その言葉を封じる為に口付ければ、息を飲んだ後に慧の身体が短く痙攣し、やがて果てた。  俺に抱かれ続けた身体は、俺だけしか知らない身体であり。  俺だけしか知らない身体は、俺はもう抱けない身体になってしまう。 「覚えておいて。ここが慧君の大好きなところ」 「――ひっ……ひ、ああっ、待っ……い、んあぁっ」  また吐き出した精液を指で絡め取って、前立腺を突く。終わりのない快感に慄いた慧が、逃げるようにシーツの上で暴れるけれど。 「ここ突かれたら、慧君はすぐイッちゃうから。気持ち良くなりたい時は、ここ」  弱いところを攻めると、抗う力は簡単に消える。  隠された場所のどこが悦くて、どう触れば弱いのかを俺だけが知っている。  ……今日までは。 「忘れるなよ、ここだから。慧君が弱いのは、ここ。ここだから」 「や、やだ、そこばっかり……あっ、ああっ」  もがいた腕が泣き顔を隠し、反らした首筋には俺が刻んだ所有痕が毒々しい赤色を残していた。それは1つだけでなく、耳の付け根や鎖骨、わき腹やへその周りにも。  見える所にも、見えないところにもついた痕。心臓にも残せるものならば、躊躇いなく噛みついていただろう。  次に慧を抱く、もしくは慧に抱かれる相手に嫉妬してしまう。男でも女でも、年下でも年上であったとしても、考えるだけで吐き気がしそうだ。  それなのに。嫌で嫌でおかしくなりそうなのに、俺はどうして伝えようとしているのだろうか。 「慧君は左胸と、首筋と……っ、内腿が弱いから」  どこを触れば気持ち良くなれるのか、伝える為の言葉が口から零れる。 「それから、中は……くっ、どこも弱いけれど。特に、ここ」  前立腺を僅かに外したところ。今までの経験から知った、慧が1番弱いところ。  それを本人に伝える目的は、きっと誰も理解してくれないものに違いない。  ただ欲を吐き出す為だったセックスに、別の意味をくれたのは慧だった。  自分よりも相手を優先すること、身体と心の両方が満たされた時に感じる快感。行為の終わりに湧き上がる幸福と、尽きない欲望。  目を閉じた次の瞬間には渇いてしまうほどの、愛おしさ。制御できない感情を押し込めるもどかしさと、受け容れてもらえた時に見えた景色の輝き。  無色になった心に色をくれたのも、再び生きる理由をくれたのも、全てが兎丸慧だった。  だから、そんな君に俺が渡せる最後の贈り物を。 「慧君のことを1番に知っているのは、俺だから」  俺だけが知る、君の秘密。俺だけが知っていたかった君の秘密。  誰にも知らせたくない君との秘密。  けれど、誰かに伝えなきゃいけない――俺だけのものだった秘密。 「慧君が弱いところは……っ」  涙混じりに告げた秘密の場所を、次に暴くのは誰なのだろう。

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