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第13話 栄養失調(亜子目線)

. 鳴り続ける着信音で目が覚めた。 留守電に切り替わる応答時間をこんなに長く設定していただろうか。 せっかくフレックスの申請を出していたのに、台無しだ。 苛立ちながら電話に出ると、相手は制作会社の人だった。 亮平が準主役で出演している連続ドラマ。 もともと1クールのはずだったのだけど、評判がいいから2クール目そのままの時間帯で制作が決まったと。 「ありがとうございます!」と朝イチとは思えない伸びのいい声で感謝を伝える。2クール目も好視聴率をキープ出来れば、もしかしたら映画化なんて話も出てくるかもしれない。(これは私の勝手な妄想) 一番お気に入りのミントカラーのストライプシャツに袖を通し、気分上々で会社へ向かう。途中コンビニでいつもより高い栄養ドリンクを買った。ささやかな自分へのご褒美だ。 天気も快晴。気分が重くなる梅雨がようやく明けて、雲ひとつない青空が広がっている。昨日より何倍も世界がキラキラして見える。 この世界はこんなにも素晴らしい! 「仕事溜まりまくってんのにフレックスとはいいご身分で」 ………せっかくいい気分で出社したのに、出鼻をくじかれた。 この人はどうしてこう嫌味な言い方しか出来ないのだろう。 遠藤秀征。私が一番ムカついている上司。 「ふん!いいですよ、今日の私は何言われても軽~く受け流せますから」 「何だそれ」 「ふふ、聞きたいです?」 「お前が言いたいだけだろ」 遠藤さんが持ってきた社内回覧の書類をもらいながら、亮平が出演しているドラマの続編制作が決まったことを意気揚々と説明した。自分の担当外とは言え子どもの頃から彼を見ている遠藤さんは、素直にそのことに喜んでいた。周りで聞いていた社員さんもみんなおめでとうと言ってくれて、もちろんそれは一ミリも私の力ではないのだけれど、なぜか鼻高々な気分になった。 「亮平へのファンレター、超増えてるもんね!」 紗也香さんにそう言われて、「はい!」と大きく頷いた。 事実、以前と比べてファンレターも段違いに増えているし仕事も順調に増えてきている。無理のないようにドラマ撮影メインでスケジュールを組んでいるけど、それでも息つく暇もないくらい過密スケジュールになる日もある。慌ただしいけれど、高校を卒業して無事に社会人となった亮平には最高の流れだと思う。これで役者としての芽が出れば言うことなしだ。それでも、撮影当初に比べたら亮平の演技もだいぶサマになってきた気がする。堺さんと比べれば“前よりはマシになった”くらいのレベルなのだけど、それでも表情や動きが前とは違う。一度その理由を尋ねたとき、「湊さんとその先生に演技指導してもらってる」と嬉しそうに話していた。詳しいことは教えてくれなかったので、とりあえず迷惑はかけないようにと釘をさしておいたけど、あのベテランの堺さんにも演技の先生がいるんだということに私は驚いた。 「あ!紗也香さん今月って経費申請の締切何日ですか?」 「はあ~?今月は20日だってメール回したでしょ」 「了解です、あさっての夜は内勤なんでそこで片付けます!」 「絶対ウソだよ……」 とりあえず 重要度:高 のメールだけ返信してノートパソコンを閉じる。今日はナツメちゃんのCM撮影に同行だ。資聖堂から新しく出る若者向けの基礎化粧品。同性からの支持が高いナツメちゃんだからこそのCM起用だと打ち合わせのときに説明があった。 化粧品広告なんて、女性モデルとして最高に光栄な依頼だ。 「ナツメちゃんお待たせ。行こっか!」 「はーい」 商談スペースのソファに沈んで動画を見ていたナツメちゃんのぽんと肩を叩く。 イヤホンのコードをくるくるとまとめて、よいせっと言いながら立ち上がるナツメちゃんの隣に並ぶのはなかなかの公開処刑。もし私に彼氏が出来たら、モデルさんと並んでいるところは絶対に見られたくないなとけっこう頻繁に思う。 その時、「絹本ケータイ!」と声がして振り替えると、遠藤さんがアンダースローで私の携帯を放り投げていた。 「ちょ!っっと!!投げなくてもいいじゃないですか!」 「亜子ちゃん早く~」 「あ、うん!ごめん!」 落として画面が割れたらどうするのか。そしたらきっと落としたお前が悪いと言うのだろう。遠藤さんに対していちいち癇に障ってしまうのはなぜだろうか。特にめぼしい理由もないけれど、馬が合わないとはきっとこういうことを言うのだ。 事務所からJRに乗って約20分、都内某所の撮影スタジオ。 数パターン一括撮りのため、CM撮影には二日間を要した。二日目は朝早くからスタジオに入り、スチール撮影も一緒に行われる。 ナツメちゃんがモデルとしてスタッフ受けがいいのは、なによりもそのカンの良さが理由だ。カメラマンの指示に的確に、もしくはそれ以上の動きで応え、CGが加わるシーンでは一発でその位置を把握できる。担当になって以来彼女の映像撮影は何度か見て来たけど、そのたびに感動させられる。“プロ”であり、“才能”であるその姿に。 「ナツメさんオールアップですお疲れ様でした~!」 「わー綺麗!ありがとうございます!」 きれいな向日葵の花束がナツメちゃんに手渡されて、拍手が起きる。一丸となって進められる仕事は、見ているだけでも気持ちがいい。このあとさらに沢山の人の手によって映像は完成し、商品が世に出され、そして何百万人という人がナツメちゃんのCMを観るのだ。世の中の何人の女の子が、「ナツメちゃんみたいになりたい」と思ってこの化粧品を買うのだろう。わくわくしてドキドキして、胸が高鳴った。 さて、順調に終了したと言っても、腕時計はすでに21時を過ぎていた。 ナツメちゃんをタクシーに乗せて帰らせ、各所再度挨拶に回ったあと自分もタクシーに飛び乗る。この時間なら、少しは顔を出せるかもしれない。 タクシーの運転手さんに行き先を告げ、グループラインにうさぎが走るスタンプを送った。 「きゃーー!亜子だ!めっちゃ久しぶりじゃーん!!」 「みんな~~!!会いたかったよぉ~~!!!」 たどり着いたのは、麻布十番にあるおしゃれなイタリアンダイニング。 食事をしている客層もなんとなくハイセンスな気がして、最近買ったシフォンのブラウスと流行りのジョガーパンツとやらを着ていてよかったと思った。いつもの真っ黒リクルートコーデだったらさすがに居た堪れない。 「座って座って!何飲む?!すいませーん!」 「えーっと、あ、カリフォルニアレモネードひとつお願いします」 合流したのは、大学時代の友人らのいわゆる女子会というやつだ。 みんなひと月かふた月に一度はこうして集まって夜ご飯を食べている。グループラインでその待ち合わせのやり取りが入るのを、私はいつも羨ましく眺めていた。 「・・・でさぁ!その新人はお前には任せられないみたいなこと言うわけ!そんな言い方ってなくない?!もう少し勉強してからなとかさ、なんでそのちょっとの気遣いが出来ないかなぁ?!」 「男に気遣いなんて求める方が悪いのよ。そんなん期待してたってね、裏切られるだ・け!」 「なんか梨奈様が言うと説得力ハンパない……」 「てか、亜子その辺どうなのよ?彼氏できた?」 「どうもこうもないよ~!そんな時間まっったくない!春香はあの弁護士の彼とどうなったの?結婚しないの?」 女子会定番の恋愛話に花が咲きかけたとき、パンツの前ポケットに入れた携帯が震えた。 「あ、ごめんちょっと電話」 「はいはーい」 着信画面には亮平の名前が表示されていて、何の気なしに通話ボタンをタップする。 もしもーしと声をかけながら、店の外へ出ると、聞こえて来たのは馴染みのない声だった。 『もしもし、神生です』 「え?しん……あ!巡君?」 『はい』 電話をかけてきたのは巡君だった。でも何で亮平の携帯で?あ、私の番号を知らないのか。 なんとなく嫌な予感がして、自分の声のトーンが急速に冷える。 「……え、何かあった?」 『亮平さん倒れました』 「は?!?!」 嫌な予感的中。 一杯目に飲んだカリフォルニアレモネードと、二杯目に飲んでいたモスコミュールのアルコールが一気に吹き飛んだと同時に全身血の気が引いた。 「な、え、い今、どこ……?」 『病院です。藤ノ森病院。住所ラインするんでとりあえずタクシー掴まえて下さい』 「はい……」 青い顔で席に戻った私を見てみんな心配してくれたけど、事情を説明するわけにもいかず挨拶もそこそこに店を飛び出した。こういう時に限ってタクシーが見当たらない。焦る気持ちを抑えて、大通りへと走った。 ようやく掴まえたタクシーの運転手さんに病院の名前を告げて亮平のアカウントから送られてきたメッセージ画面を見せる。私の顔色を見て深刻さを察知してくれたらしい運転手さんは、「頑張って急ぎますね」と静かに言ってアクセルを踏み込んだ。 「巡君!」 とっくに暗くなった待合室の長椅子に、一人ぽつんと座っている桃色の髪を見つけて確認する前に声を上げた。振り返った巡君に矢継ぎ早に質問する。 「亮平は?倒れたって何で?どういう状況で?今どうなってるの?!」 「落ち着いてください。撮影中に貧血で倒れて、倒れたときにセットにぶつかっちゃって。でも怪我はないです。すぐに意識は戻ったんですけど、念のためって言ってスタッフさんにここ連れてきてもらいました。で、一応血液検査して、今点滴打ってます。あと一時間くらいで終わります」 「はぁ……。そっか、大きい怪我とかじゃなくて良かった……」 「………血液検査」 「ん?」 「栄養失調だそうですよ」 「……は?」 この飽食の時代に栄養失調とはどういうことか。中身がよく理解できなくて、ぽかんと口が開いてしまった。巡君がはぁ、と短いため息をついて目を逸らしたかと思うと、またすぐ視線が戻ってきて、そしてようやく気付いた。私今睨まれている。 「さっき本人から聞き出しましたけど、あの人普段からまともな食事とってないの知ってました?」 「え……」 「仕事中腹いっぱいにすると鈍くなるからってのは俺も分かります。でも終わったら普通腹減るでしょ?亮平さんはそれがないんですって。適当にパン一個とかおにぎり一個とかで済ましてるって。ロケ弁も食べたことないって言ってました。……あとあの人多飲症じゃないです?ここ来るのに亮平さんのかばん持ってきたんですけど、おかしいくらい500ミリのペットボトル入っててビビりました」 そう言えば亮平はどの現場でも用意されたお弁当やケータリングに手をつけない。食べないと体力もたなくない?と聞いたとき、「腹減ってる状態の方が集中できるから」と言っていた。その代わり数分の休憩でもいつも水を飲んでいた。そういう性格なのだろうと思って気にしたこともなかった。終わったらちゃんと食べているに決まってると。まだ若いとはいえまるきり子どもではない。そんなところまで管理しようなんて考えたこともなかった。 「で、でも…たまにスタッフさんとかと一緒にご飯行く時は普通に食べてた……」 そうだ。二人きりでは一度もないけど、他のスタッフを交えて数人で食事をしたことなら何度もある。そのときはちゃんと食べていた。……もしかしてあとで吐いていたとか?それなら仕事どころではない。そちらの治療を最優先しなければ。 「たしかに、誰かに誘われた日はちゃんと食べてるって言ってました。拒食とかではないらしいんでそこは心配しないでいいと思います」 「……心読まれた」 「誰でもそう思いますよ。俺も聞きましたもん。でもだから、誘われない日は余計に食べる気なくすんですって。よく分かんないですけど、普通じゃないですよ。実際数値に出てるんだし。亜子さん、あんた亮平さんのマネージャーでしょ?そういうところに一番気を遣わないといけないんじゃないんですか?もちろん自己管理出来てない本人も悪いと思いますけど、そういう状態の亮平さんを知らずにいたってことが俺には信じられません」 ぐうの音も出ない。私を見つめるその真っ直ぐな眼差しが痛くて、目が泳いでしまう。自分より10歳近く年下の男の子に説教されているのだ、仕方がない。動揺する心を抑えて、巡君に礼を言う。もう何度目かも分からないため息をつかれて、巡君は帰っていった。 点滴が終わるまで自分も待つと申し出てくれたけど、私が断った。亮平と二人で、話をしたかったから。 「亜子さん」 病室に入ると、亮平はすぐにこちらに気付いて小さく私の名前を呼んだ。 「……大丈夫?」 「へーきへーき。みんなが大げさなんだよ」 暗い病室の中で、小さな豆電球の光が亮平の痩せた顔と首に深い影を作っている。確かに元々細身ではあったけど、どうしてこんなふうになるまで気付けなかったんだろう。担当マネージャーなのに。もう二年も一緒にいるのに。 「……亮平、ごめんね……」 頭より先に口が動いていた。椅子に座ることすら忘れてベッドの前で立ち尽くした。なにが「彼らを商品として見るなんてイヤだ」だ。商品として見ていればそのメンテナンスも怠らないはずだ。結局私は何もできていないじゃないか。 人として関わり合うことも、ビジネスツールとして利用することさえも。 「いやいや、亜子さんが謝ることいっこもないでしょ。つーか栄養失調って案外多いらしいよ?ちゃんと食べてても内容が偏ってるとそうなったりするんだって」 「……私やっぱりこの仕事向いてないのかも…」 「はあ?ちょっと、変なこと言うのやめてよ、一緒に頑張ろうよ」 亮平は若干派手な見た目と態度と、そしてたまに出るぶっきらぼうな口調のせいで初対面の人にあまりいい印象を持たれないことが多い。担当についた当初、外部のしかも仕事を持ってくる人にだけはせめて愛想笑いしてくれと指導した。でも本当の彼は違う。とても優しくて、繊細で、家族を心配して、自分が家計を支えようと思って、そういう一生懸命な子なのだ。まだ18なのに。その優しさが、本来彼を支えなくてはいけない自分に向けられているのが情けなくて仕方がない。 「……うん、ごめ…、ごめんね……」 それから点滴が終わるまでの20分間、私は涙が止まらなかった。亮平は黙り込んでしまって、目のやり場に困ったようにずっと窓の方に顔を向けていた。 . 

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