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第15話 湊との関係-4(※R-18)

. 「サキちゃん足上げて」 慣れとは恐ろしいものだ。 湊の言う通りに動きながら、亮平は頭の片隅でぼんやりそう思った。 彼の部屋でこうして抱かれるのは、もう何度目だろうか。 「挿れるよ」 「くっ、ん、……はっ、」 「あー…気持ちいい……」 「んっ、あ、……ッ」 どうしたって逃げられない違和感を、短い呼吸を繰り返してなんとか誤魔化す。痛みと恐怖はいまだに付きまとうけれど、その先にある快感を知ってしまった。そこに辿りつきたくて、亮平は今日も湊に縋ってしまうのだった。 「どしたの?」 「いつもと匂いが違う……」 「おっ、さすがサキちゃん。香水変えたんだよね~」 終わったあと湊の首に顔を埋めて、すんすんと匂いを嗅ぐ。亮平は、湊の身体の匂いが好きだった。汗と煙草の香りが混ざったような、大人の匂い。でも今日は、そこにもう一つ足されている。そんなことまで分かるようになった自分のことなんてちっとも気がつかないほど、亮平は盲目になっていた。 自分のわずかな変化に気付いてもらえたのが嬉しいのか、湊は上機嫌でヘッドボードに置いた携帯を取り、その香水のネット画面を見せた。イタリアブランドのそれは、ガラス瓶に白いボーダーが入ったカジュアルなデザインで、湊の放つ妖艶な空気を少し緩和しているように見えた。 「俺香水とか付けたことないです」 「そうなの?付けてみたらいいのに。気分によって使い分けたりすると結構楽しいよ」 「はぁ……」 「あ!そうだ」 するりとベッドから抜けだし、下着を履いて部屋を出ていく湊。その背中を見送って、広いベッドに一人になった亮平は深く長い溜め息をついた。湊といるときは、仕事中だろうが情事の真っ最中だろうが、いつも気が張る。だから自宅に帰ったあとどっと疲れるのだけど、それでも、亮平は湊の近くに居られることが心から幸せだと思っていた。 「これ、サキちゃんにあげる」 寝室に戻って来た湊が、今日もやっぱり真っ白でまっさらなシーツの上に転がって、亮平に手のひら大の黒いガラスボトルを差し出した。印字されていたのは、亮平でも知っている有名なファッションブランドのロゴ。カチッとキャップを外して、くるまっていたタオルケット―もちろんオーガニックコットン100%使用の―をはぎ取られ、抵抗する間もなく腰骨あたりに香りをひと吹きされた。 「この辺りに付けるとくどくなくていいよ」 「え……腰ですか?」 「そうそう」 「へえ……」 丸みを帯びたそのガラスボトルを手の中で転がしたり、鼻に近付けてわずかに香ってみたり。持て余すようにする亮平の髪をふわりと撫でて、湊は「……もらってくれる?」とわざとしおらしく聞く。亮平が、自分のその態度を苦手だと知っているから。 「も、もちろんです!ありがとうございます。何か催促したみたいですんません……」 「全然!それさ~、香りが好きで買ったんだけど、付けてみたら自分には似合わなくてさ。でもサキちゃんにぴったりの香り!きっと今日こうやってプレゼントするために買ったんだな~。過去の俺グッジョブじゃない?」 湊はいたずらな笑顔でさらりとそんなことを言ってのけた。無意識でも無自覚でもなく、狙って言っているのが湊の性格を表している。亮平も、こんなこと今まで何百回も言ってきたんだろうなと理性では分かるものの、感情に直結する部分では確かに嬉しくてドキドキして、顔がゆるんでしまうのを止められなかった。 「……湊さん」 「ん?」 「…………」 「……言ってくんなきゃ分かんないよ?」 「………」 亮平はそのまま黙って湊にキスをした。言わなきゃ分からないことなんてひとつもない。いつだって、態度やしぐさですべてを読まれてしまう。そして亮平も、“自分がこうしたい”という欲求を、我慢しなくなった。我慢しなくていいのだと、湊が教えていったから。いつだって湊は、相手をぐずぐずに甘やかして心の均衡を崩そうとする。それが彼の常套手段だった。 「……あっ、」 「サキちゃんのその顔、すごいかわいい」 ふるふると首を振って、かわいいという言葉を否定する。 湊の手が優しく、でもはっきりと亮平を刺激していく。大きくて熱い手の中で固くなるのは、もう生理現象でもなんでもない。目の前の人に抱いてほしくて、感じさせて欲しくて、亮平は湊の首に腕を絡ませるのだった。 ◇ 「亮平さん、大丈夫ですか」 「は?なにが」 「何かダルそうですけど……」 「別に。平気」 一度貧血で倒れてからいうもの、同じ事務所の後輩である神生巡は亮平のことをひたすらに気遣っていた。栄養失調という診断がついて点滴を打って、あの後も数回病院へ通ったという話を聞いて、巡は自分が見ていてやらねばというよく分からない使命感を感じていたのだった。 「また水ばっか飲んで……。お昼食べました?」 「……」 「やっぱり……。はい、食堂行きましょ!」 「え、おいちょっと待っ…」 ぐいっと腕を引っ張って、巡は亮平を楽屋から連れ出した。 他のキャストの撮影とセットチェンジのため、二人には2時間ほど空きがあった。 時計は14時半を過ぎたところ。昼食には少し遅めの時間だが、このまま放っておけばまた何も食べずに夜までぶっ通してしまうことは明白だった。 「あ!やったねカニクリームコロッケあんじゃん」 「えっ?亮平さん決めるの早っ!」 サンプルが置いてあるショーケースの前で立ち止まることなく、亮平は即決でメニューを決めて中に入っていく。巡は迷った末に鰆の西京焼の定食を選んだ。 メインと小鉢がひとつずつと、味噌汁とご飯がついてワンコイン。都内のテレビ局にしてはなかなか良心的な価格設定だ。 最初に味噌汁を啜る巡とは反対に、亮平はひとくち目からコロッケを頬張る。おいしそうにそれを食べている亮平を見て、巡は当然の疑問を口にした。 「亮平さん、なんで一人だとご飯食べないんですか?」 「え~?別に、めんどくさいから」 「ふーん……。本当にそれだけですか?」 「は?なにそれ。ホントだって」 巡はその時点で亮平の嘘を見破っていた。これは心を読んだわけではなくて、亮平が嘘をつくとき、鼻を触るしぐさをするということに気がついたから。 巡はそれ以上言葉で追求することはなかったが、疑いの視線が自分から外れないことに観念して、亮平は頭をかいてぶっきらぼうに言った。 「……子どもの頃にさ。一人でメシ食ってたら、帰って来た母親にめちゃめちゃヒステリー起こされたことあって」 「ヒステリー?」 「そん時弟が入院してたんだけど、何か菌がどっかに入ったとかで結構大騒ぎでさ。母親が一人で毎日病院通ってて、離婚したばっかで仕事も増やしたてだったし、そういうの色々積み重なってプッツリ切れちゃったみたいで」 「………」 「で、俺は母親が準備してってくれたメシを一人でチンして食ってたんだけど、それ見てさ、“お前は何もしないのに食べるだけ食べて何なんだ”的なことをね、うわーって言われたの。叩かれたし、茶碗も皿も投げられたし、さすがにあっつい味噌汁は壁に向かって投げてたけど、にしてもまぁ~ひどかったわ」 「………」 「そういうことが何度かあって、頭の中で紐付いちゃったんだよね。一人でメシ食うとさ、その場面が再生されちゃって食う気なくなるの。俺一回試したんだよ。何分までだったら行けっかなって。4~5分で限界だったわ。だから一人のときはパンとかおにぎりとか数秒で食べれるものじゃないと無理。コンビニ弁当も時間切れしたらゴミ箱行き」 「………」 「弟が退院して生活リズムが落ち着いてからはヒステリーもなくなったけど、まぁ俺も子どもだったからさ~。いまだに覚えてるってことは、多分思ってる以上に強烈だったんだろうなぁ~…って何かヒトゴトみたいだけど」 目の前でカニクリームコロッケの定食を平らげながらあっけらかんとそんな話をする亮平に、巡は顔色を変えず一言問いかけた。 「……亮平さん、それ治したいですか?」 「は?あ~…そりゃまぁ……でも別に大して支障ないし」 「いや支障あるでしょこないだ貧血起こしたのどこの誰ですか」 真っ向から正論をぶつけられて、亮平はぐっと押し黙ってしまう。巡はいつもの優しい口調で話を続けた。 「これからご飯時ひとりになるとき、俺と一緒に食べましょ。撮影とかレッスンとか最近一緒になること多いですし、別に一緒じゃなくても呼んでくれれば行きますから。外食ばっかも良くないんで亮平さんさえよければ俺がメシ作ります。あ、他人の手料理食べれますか?」 「えっ、あ、うん。全然……」 「じゃあそうしましょ。家で食べる方が落ち着けますし。あ、別に亮平さんちじゃなくても、うちでもいいですから。家の人間あんま帰って来ないんで」 「いや、て言うか、なんで巡がそんなこと…」 「心配だからに決まってるでしょ。亮平さんがイヤだったら別にいいですけど。無理やりしても意味ないんで」 味噌汁の最後の一口を飲み干して、巡はごちそうさまのジェスチャーをしたあと水が入ったプラスチックのコップを取る。巡の提案は、亮平にとってとても不思議なものだった。今までこの話をした人たちは、全員眉を下げて悲しい顔をして、そして決まって「かわいそうだね」と言った。亮平はその同情の目が死ぬほど嫌いだった。そういう奴は、同情するだけして結局自分たちの幸福を噛みしめるのだ。“こいつより自分は幸せだ”と、その物差しに使われて終わる。そもそも自分でも治したいかどうかなんて考えたこともなかったし、未来の話をしてくれる人も初めてだった。嬉しいとか優しいとか思う以前に、ただただ不思議だった。 「つーか、お前はイヤじゃねえの。面倒だろ、ふつーに考えて」 「嫌だったら提案してませんよ。逆に亮平さんが嫌になったらいつでもやめてもらっていいんで」 「はぁ……じゃあ、まあ、あの、すんませんけど、お願いします……」 「よかった」 ふわっと笑顔になった巡を見て、亮平もなぜだか少しほっとした気持ちになった。誰かの好意を受け取ることに慣れていないため、こういうときどんな顔をしていいか分からない。だから、巡の笑顔に合わせて亮平も顔をほころばせた。 「サキちゃん見―っけ」 「わっ」 いきなり後ろからわしゃわしゃと髪をかき混ぜられて、亮平は反射で後ろを振り返った。そこに誰がいるのか声で分かっていたはずなのに、姿を見て身体が強張ってしまう。 巡はいつも通り「お疲れ様です」と挨拶をしたのに対し、湊はにこっと笑って会釈をしただけですぐに亮平に視線を戻した。 「ちょいと動き確認しときたいとこあるんだけど」 「あっ、はい行きます。巡悪い、行くわ」 「いってらっしゃい」 二人の背を見届けたあと、巡はいつもの爽やかな笑顔を一瞬で解いてふっと冷たい顔になる。あの二人と撮影が重なるのは今日が初めてではない。亮平の表情や声色や仕草を見ていれば嫌でも気付く。 巡は、湊のことを信用していなかった。何となくの第六感と、周りの評判と、そのどちらもが危険信号を発していたから。コップの中の水をぐいっと飲み干して、巡は肺の奥から重たい息を吐いた。 「あの、どこ行くんですか?控え室6階……」 「まあまあ」 迷いなくエレベーターに乗り込み、地下3階までするりと降りた湊の背中を追いかける。 駐車場の中を進んで湊がキーリモコンのボタンを押すと、目の前のライトバンのヘッドライトが二度点滅した。 「うちのマネージャーの」 「あ、そうなんスね」 忘れ物だろうか。それにしては撮影に必要なものが積み込まれているようには見えない。湊がスライドドアを開けて中に入るのを、少し距離を持って眺める。あまりじろじろと中を覗きこむのは失礼かなと思ったから。そんな亮平に、湊は来い来いと手招きして車内へと誘った。 「……?」 疑う余地もなく素直に従って車へ乗り込むと、湊は「ドア閉めて」と低い声でささやいた。 もちろん言われたとおりにする。湊の腕が自分の方へ伸びてきたかと思うと、手動でロックをかけたついでに肩を引きよせられ、強めに唇が重なった。 「ちょっ……!んっ、湊さんっ、外から見え」 「スモークフィルム貼ってあるから平気」 「んんっ……!」 亮平の言葉を途中で遮って、舌を滑り込ませて絡ませる。顎を両手で力強く掴まれているため、亮平が首を振ってもいつものように前髪が揺れることはなかった。今日は煙草の匂いがよく分かる。今吸ってきたばかりだろうか。口の中に苦味を感じて、思わず眉をしかめた。でもその熱い舌が首すじを這う頃にはもう、亮平の正常な思考回路は停止していた。 「さっきの子、千堂役の子だよね?友達なの?」 「事務所の……後輩で、あっ」 「ふーん、仲良しなんだね」 「別に……っ」 「ふふ、妬けちゃうなぁ~」 余裕たっぷりでそんなことを言われても、とても本心とは思えない。思えないと分かっているのに、心が弾む。この感覚は、もう飽きるほど感じた。湊と話していると、理性と本能は全く繋がっていないんだなぁと実感させられる。 閉め切った車内はすぐに温度が上がり、動いていなくてもあっという間に汗だくになる。狭い後部座席で満足に動くこともできず、亮平はまざまざと湊の形を感じる羽目になった。湊が腰に力を入れるその僅かな刺激も、いつもと違うシチュエーションに興奮しているのか余計に感じてしまう。向かい合った湊の肩に上半身を預けて、亮平は苦しいほどの快感に身体を震わせた。

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