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第16話 湊との関係-終(※R-18)
「なんじゃこりゃ………」
「え?あさりとじゃこの炊き込みご飯と鮭のホイル焼きと鶏とほうれん草の澄まし汁ときゅうりの塩昆布和えですけど」
「いや別に料理名は聞いてないです」
「どれも簡単ですよ。ご飯なんて炊飯器が勝手に作ってくれますし」
「ごめんけど凄すぎて引いてる」
「えっ、何でですか普通にショックなんですけど!ていうかホント簡単なんですってば!」
初めての巡の手料理は、亮平の部屋には調理器具が何一つ揃っていないという理由で巡の家でご馳走になることになった。話には聞いていたが、その家の大きさにまず亮平は面食らった。背の高い黒の門扉をくぐって玄関にたどり着くと、開けた玄関は吹き抜けになっていて、広い玄関の先に見える飾りのついたアイアン製の階段手摺が高級感を醸し出していた。2LDKのお世辞にも広いとは言えないマンションの一室が実家である亮平にとって、そこはまるで別世界のようだった。
「うっ……、んまー!」
「本当ですか?」
「超うまい!マジですげー!尊敬だわ~」
「口に合ってよかった、ありがとうございます」
料理を褒められて、巡は素直に嬉しさを口にした。亮平がそうであるように、巡もまたこの相手の前では殻を作らずに居られる気楽な相手だった。もちろん先輩後輩の礼儀はあるものの、そんなこと気にならないくらい居心地が良かった。それが何故なのかは、“ただ何となく”としか説明しようがないことなのだけど。
食事のあと、二人は自分たちが出演しているドラマを数話分一緒に視聴した。その際巡は亮平の演技を褒めたけれど、亮平はその言葉には反応せずにじっと画面を見つめていた。観終わったあと、「どうやったら俺も湊さんみたいになれんのかな~」とため息混じりにつぶやいた亮平に、巡は思わず顔をしかめた。
「……亮平さん、あの人大丈夫ですか」
「は?なにが?」
「子役時代の先輩がこのドラマ見てメールくれたんですよ。それでちょっとやり取りしたときに、堺さんには気をつけろよって言われて……。あの人、気に入った共演者は男でも女でもすぐ手を出すからって……」
「………」
やっぱり。
亮平は間髪入れずにそう思った。
慣れていることはもちろん承知の上だったけど、そんな噂が立つくらい頻繁なのか。
でも、亮平は何よりも他人の噂話というものが嫌いだった。そもそも巡の昔の先輩なんていつの話だ。今、湊の一番近くにいるのは自分だ。
そんなふうに思ってしまう亮平は、もう全身湊の色に染まっていた。
「……はっ、なんだそれ。俺が手ぇ出されるとでも思ってんの?ナイナイ。お前こそ気をつけた方がいいんじゃない?」
乾いた笑いをこぼしながらひらひらと手を振る。そのあと鼻をこするのを見て、巡はまた微かに眉間にしわを寄せた。この人は自分がどんな顔をして湊と話しているのか知らないのだ。鏡を突きつけてやりたいとさえ思う。
「大丈夫ならいいですけど……。気をつけた方がいいって、俺言いましたからね」
「はいはい、ご忠告どーも。あ、皿洗うのやろか」
「いいですいいです。コーヒー淹れますね」
「何か至れり尽くせりだな……」
コーヒーが滴り落ちる間、巡の手は感情を隠しきれずにガシャガシャと乱暴に食器を洗った。
◇
季節が過ぎ風の暑さがようやく和らいだ頃、ドラマの撮影もいよいよクランクアップを迎えていた。
物語は、探偵事務所をサキに任せて悟は旅に出る…というラストで締めくくられる。
放送では事務所内に一人残されたサキが呆然と立ち尽くすカットのあと、悟がフンフンと機嫌よく鼻歌を歌い、道端の猫に威嚇されながら並木道を歩くという映像で終わっていく。屋外のシーンはすでに撮影済みのため、悟が扉を閉めサキの表情を撮り終われば撮影終了だ。
「悟さん、帰ってくるんですよね?」
「さ~ね、どうかな。風のみぞ知る……ってか?」
「……全然カッコよくねえっス」
「あら残念。じゃあね、サキちゃん。元気でね」
「……っ」
「……カット!オッケーでーす!」
「堺湊さん有村亮平さんオールアップでーす!お疲れ様でしたー!!」
わあっとその場で拍手が起きて、今までもらったことがないような大きな大きな花束を渡される。約半年、連続ドラマで初めて準主役という大役をもらって、必死に食らいついてきた。最終話の台本も、一話目と変わらず書き込みで真っ黒になっている。やりきったという達成感と、もう終わってしまったんだという寂しさで、亮平は挨拶の途中で思わず大粒の涙を流した。
「どう?終わってみて」
「何か……。今は頭ん中真っ白って感じです……」
「あはは、そうだよね」
終わりのタイミングが同じだった二人は、当然のように赤いアルファロメオに乗り込み夕食へ出かける。そしてその後、いつものように湊の高級マンションへとたどり着いた。
「湊さん……」
玄関からまた寝室へ直行して、今日もぬかりなく真っ白なシーツになだれ込む。
亮平が名前を呼ぶと、湊はいつもの優しい笑顔でキスをした。最初は軽く触れるだけ。
丁寧に味わうように唇を重ねてやると、そのうち亮平の腰が浮いて腕が湊の首に巻き付かれる。それを合図にして、湊は舌を差し込んでいく。
深いキスを充分堪能したところで、亮平は上半身の服を脱がされ胸に吸い付かれる。ビクつく身体を押さえこまれて密着した腰を動かされれば、もう甘い声は抑えられない。服越しの中途半端な快感がもどかしくて、亮平も湊の服をゆるく掴んで脱ぐように暗に主張する。二人の間には会話はない。荒い呼吸とたまに出る喘ぎ声が広い寝室に響いて、それがいつも亮平の心臓をうるさくさせた。
互いの下着を剥ぎ取り、亮平は当然のように湊のモノを口に含む。もちろんそんな事今までした事なかったが、湊のためならと二度目の情事の際ごく自然にしていた。口でしている間、湊がふわふわと髪を撫でてくれるのが亮平は好きだった。そして手のひらの感覚がふと離れると、湊はヘッドボードに置いたローションを絞り出して手の中であたためる。
「サキちゃん」と短く名前を呼んで身体を引き寄せると、膝立ちで首にしがみつく亮平のうしろを躊躇なく解していく。その手つきに迷いなどなくて、もう少し優しくしてくれてもいいんじゃないかと思うほど大きく動く指に亮平は歯を食いしばる。湊の指や身体で自分が作りかえられていくような感覚は、恐怖でもあり底知れぬ喜びでもあった。
大人に混じって気を張って生きてきた亮平にとって、湊は初めてその身を任せられる人だったから。湊の形に変わってしまいたいと、冗談混じりに願うほど本気になっていた。
「腰おろして」
また短く言葉をかけて、亮平は自ら湊を中に受け入れる。割り裂かれる感覚に思わず喉が鳴って、その反射で背中に爪を立ててすぐにはっとする。
「ごっ、めんなさい!」
「へーき」
そして湊は目の前にある亮平の鎖骨に吸い付く。細い身体から綺麗に形が浮くそこは、湊が一番好きな場所だった。
「サキちゃん、今までありがと」
「……え?あっ!ひ、ぅ…ッ」
湊はそう言って、中に差し込んだまま亮平を押し倒した。角度が変わって直接いいところにぶつかった湊を、亮平は無自覚にきゅうきゅうと締め付ける。湊の言葉の意味を聞きたいのに、思考が途切れ途切れで言葉にならない。でも本当は聞かなくたって分かっている。その証拠に、亮平の目からいつもとは違う涙が流れ落ちていた。
結局また何度やったか分からないほど身体を繋げて、その疲れから二人とも昼過ぎまで眠り続けた。真意が説明されたのは気だるく目覚めたそのあと。それだって、センチメンタルな雰囲気など一つもない。いつものようにシャワーを浴びて、いつものようにコーヒーを淹れてくれて、そしてあっけらかんと言われた。
「俺ら身体の相性よかったよね~。ちょっと惜しいけど、予定合わすのも面倒だもんね~」
言葉を理解するのに数秒かかった。「俺が予定合わせますよ」と弱々しく反論してみたものの、「いや俺も気ィ遣うじゃん。それが面倒ってこと」とバッサリと切り捨てられたらもう何も言えなくなった。
「また共演するときは仲良くしてね」
語尾にハートマークでも付いていそうなテンションで湊が亮平の頭を撫でる。革張りのソファに沈んだ亮平の身体は、あたたかいシャワーを浴びたのにも関わらず、震えるほど冷たくなっていた。湊が亮平を選んだのは、その従順な性格と、圧倒的なパワーバランスの差があったからだ。こんなふうに勝手に関係を切ったところで、絶対に拒否したりなんかしない。何よりも面倒事が嫌いな湊にとって、この時期に一番都合がいい相手が亮平であったというだけだった。
自惚れていた。
自分にとって湊が特別な人になったのと同じように、湊にとっても自分は特別なんじゃないかと思い込んでいた。でもそれはただの妄想だった。事実、貧血で倒れたときも後日撮影で顔を合わせたときの「大丈夫?」の一言以外なにもなかった。心配して連絡をくれるなんてことは一切なくて、それをふと思い出して今さら傷心の理由になってしまったりする。バカバカしいことこの上ない。
「俺の方こそ、色々ありがとうございました。また湊さんと芝居したいです」
震える手を隠しながら、亮平は気丈に振る舞ってその場を耐えた。
湊のマンションを出て、何も考えずに駅まで歩いた。正確には、何も考えずにいようということを考えて、だけど。ぽつぽつと空から落ちて来た雨粒に、通行人が慌てて傘を広げる。色とりどりの傘が行き交う中、亮平は雨にさらされながら携帯を取り出した。最新のスマートフォンは、防水機能が格段に上がっているため雨に濡れるのを気にしなくていい。考える間もなく、電話をかけていた。
『もしもし、お疲れ様です』
「………」
『亮平さん?』
「……今なにしてんの…」
思った以上に情けない声が出てしまった。本降りになってきた雨が地面を叩く音が電話の音を遠くさせて、それが余計に不安を煽る。
『レッスン終わって今から帰りますけど……』
「………」
察しのいい巡が亮平の声色の変化に気が付かないはずがなくて、巡はあきらかに怪しんだように答えた。怪訝な声で返答されて、怯んだ亮平は次の言葉が続かない。数秒沈黙が続いたあと、口を開いたのは巡の方だった。
『ご飯、食べます?昨日買い物行って材料あるんで何か作りますよ。ウチ来れますか?』
「……あー、うん。行く……」
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