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第20話 寂しいクリスマス
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「いや~、面白かったですね!俺も本格的なアクションやってみたいなあ!」
映画館の暗闇から出てすぐ、巡は楽しげにそう言いながらぐうっと伸びをしていた。
ロビーが眩しくてまだしかめっ面をしている俺は、「んー」と適当な返事をするので精一杯だ。
別にわざと無愛想な態度を取ってるわけじゃない。
映画の最中、巡が耳元で話しかけて来たから。
いきなり近距離で声がするもんだから、びっくりしすぎて手に持っていたレモンソーダを危うく落っことすところだった。
それから映画の内容は頭に入ってこなかった。
俺も観たいと思っていたシリーズ最新作。せっかく楽しみにしてきたのに。
全部こいつのせいだ。
「夕飯、うち来ますよね?」
「………」
「亮平さん?」
「えっ?あぁ、うん。行く行く」
「やった!実はそのつもりで昨日から仕込んであるんですよね~」
ふふんと上機嫌に鼻歌を歌いながら半歩先を行く巡を見ながら、心の中で溜め息をついた。
夕飯食べたら帰る、今日は絶対帰る……。
呪文のようにぶつぶつと頭で繰り返しながら、二人でタクシーに乗り込んだ。
巡といて、以前なら気にならなかったことが最近はすごく目につくようになった。
例えば距離感。こんなに近かったっけ?と思うくらい、巡はいつも距離が近い。
たまに話しかけられて振り返ったとき、至近距離で目が合うのは本当に心臓に悪いからやめてほしい。
あと何かにつけて触ってくるのもどうかと思う。
「あ、亮平さん見て見て。依伊汰さんのポスター。おっきいですねぇ」
ほらまた。
ぽんぽんと俺の腕を叩いて自分の方へ引っ張る。
見てと言われれば見るんだから、別に触らなくてもよくないか?
「ごめんなさい、機嫌損ねちゃいました?」
「いや別に。でっけーポスターいいよな」
「珍しい反応ですね」
ファッションビルの外壁一面にでかでかと設置された同期のポスターには目もくれず、俺は反対側の窓の方へ居直った。
正直今はあいつのことなんてどうでもいい。ただ少しでも巡と距離を取りたい。
*
「亮平さーん。これ、お箸」
「はいはい」
もうひとつ、最近思うこと。
前まで巡の家に来てメシを食べさせてもらうとき、巡は「亮平さんは座ってて」と言って一人で準備をしていた。
後片付けもさせてくれなくて申し訳ない気分になることも多かったけど、最近はは机拭いてとか食器並べてとか、簡単な手伝いを頼んでくれる。食後も鍋を洗う巡のとなりで皿を拭いて食器棚に戻したり。それらは俺にとってかなり新鮮で、何と言うか、すごく楽しい。
「今日のメニューはラビコットソースがけの白身魚のソテーと、茄子の山椒焼き、もやしとパクチーのベトナム風サラダとみそ汁です!あ、あとなめたけ作ったんでご飯のお供にどうぞ。うーん、何か全体的にジャンルがバラバラになっちゃいましたね~」
「……お前は一体何になりたいんだよ……」
「まあまあ、食べましょ!いただきます」
「いただきまーす、うまそう!」
俺が一人きりだとうまく食事が出来ないということを話したとき、巡はすぐ「治したいなら協力します」と言ってくれた。
それ以来本当によく一緒にメシに行ってくれたし、こうして手料理を振る舞ってくれた。
今日が何度目かなんて、もう数えきれないほど。
体重も安定してきて、“これ以上減ったらダメ”という最低ラインの数字まで痩せることもなくなった。
巡の優しさに、感謝してもしきれない。俺が「もう大丈夫だから」と言ったら、この約束も終わるんだろう。
それならもうちょっと甘えていてもいいかな。でもそのうち呆れられてしまうだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら食後のコーヒーをすする。
わりと早い段階から、俺が何も言わなくても巡は砂糖とミルクを入れて出してくれていた。
巡はよく気が付くタイプのやつだ。
だからきっと、実はもう大丈夫だということもバレているかもしれないな。ふとそう思って、少しだけ胸が痛くなった。
一人感傷的な気分に浸っていたとき、巡があっけらかんとした顔ですごい爆弾をぶち込んできた。
「あ、そう言えば今客間のマットレスとシーツ、クリーニングに出してるんですよね。今日は俺の部屋で一緒に寝てもらっていいですか?」
「うん。え?……は?!」
しまった。
まったりコーヒーなんか飲んでいる場合ではなかった。
メシを食ったら絶対帰ると呪文を唱えていたのに、すっかり忘れてくつろいでしまっていた。
「イヤですか?だったら俺ソファで寝るんでベッド使ってください」
「いやいや、俺がソファでいいから……。ていうか俺帰るわ。最近泊まりすぎで申し訳ないし」
「何今さら遠慮してるんですか。明日どこですか?」
「明日は水穂のスタジオ……」
「じゃあうちから出た方が近いじゃないですか。はい、決まり決まり!お風呂沸かしますね」
「ちょ……」
反論する間もなく、巡はバスルームへと消えて行った。
残されたコーヒーカップ2つをシンクへ運び、(ど、どうしよう……)と青ざめる頬を両手で覆った。
*
「……なんっじゃこりゃ……」
初めて通された巡の部屋は、2階へ上がった正面
。二部屋分くらいありそうな広さだと思ったら、どうやら壁をぶち抜いて一部屋にリフォームしたのだそうだ。もしや俺の実家より広いんじゃないかと思ってしまうくらいで、あまり物も置いていないシンプルな部屋はとても巡らしく思えた。
「わりと居心地いいんですよこの部屋。色々テキトーに使ってください」
「お前、俺の部屋見てビビったろ」
「え?何でですか?」
「狭いから。お前んちのクローゼットかよって感じだよな」
「何言ってんですか。俺だって自活しようと思ったらそうなりますよ」
やれやれ、といったように巡は苦笑しながら髪を拭いていた。
ふと目を移して、思わず「あ。」と声に出ていた。別に何も考えちゃいなかった。
ただ、見覚えのある加湿機だなと思っただけ。
「どうかしました?」
「いや、それ流行ってんの?みんな持ってんだな」
「それ?ああ、空気清浄機ですか?」
それ、と言って俺が指差した方を見て、巡がそう言った。
そっか、空気清浄機か。高そうだな……なんて適当に思っていると、「みんなって誰が持ってたんです?」と聞かれて、そこでまた あ。 と思った。今度は口には出していないけど。
「あー…。えーと、あのー…………と、友達?」
「……亮平さん、誤魔化すの下手すぎません?役者なんだからもうちょっと何とかなるでしょうに」
俺の三文芝居にくすくすと笑っていたのも束の間、巡はふっと温度を下げて「買い換えようかな…」とぽつりとこぼした。
「は?なんで。もったいない」
「俺の部屋であの人思い出すとかマジ勘弁って感じなんでね」
「………え」
そう言われて、頭に浮かんでいた人がよりくっきりした映像に切り替わる。
こいつは何でもお見通しだ。
「……ごめん…」
「あ、いえいえ!ごめんなさい。別に亮平さんが謝らなくてもいいです、俺の勝手なアレなんで」
勝手なアレって何だと聞きたかったけど聞けないまま、一人用には広すぎるベッドに遠慮無しに―そういう風を装って―寝転んだ。
「別にもう何も思ってねーよ」
「ええ、知ってますよ」
巡はそう言ってにっこり笑って、部屋を出て行った。
ふと不安になってベッドの上で聞き耳を立てる。ドライヤーの音が聞こえてきて、ほっとして目を閉じた。
ここは、一人で眠るには広すぎる。
ふと意識が浮上して、薄く目を開ける。
辺りの暗さから、あのまま寝てしまったんだと思い返しながらもう少し目を開けると、巡の背中がすぐ目の前にあった。
規則正しく動く肩から、きっと眠っているのだろうと分かる。
少しだけ。少しだけ……。
まどろみの中でそんな言い訳をしつつ、額がほんの少しだけ巡の背に触れるくらいの距離に近付いて、また眠った。
「亮平さん、時間ですよー」
「ん~~~……」
カーテンを勢いよく開けた音がして、反射的に布団にもぐり込む。
巡は容赦なくそれを引っぺがして、俺の肩を優しくゆすった。
「もう起きないと遅刻しますよ。朝メシ少しだけでも食べてってくださいね」
「お前は俺の嫁かよ……」
「あはは、どちらかと言うと夫の方がいいですね」
機嫌良さそうに笑っている巡を通り過ぎて、洗面所に立つ。
わりと眠れてしまった。むしろ普段よりよく寝た気がする。俺って案外図太いんだろうか。
そしてさっき自分が言った冗談の内容を思い出して、軽く青ざめもした。
寝起きって恐ろしい……。
冷水で顔を洗って、身震いしながらリビングへ逃げ込んだ。
*
12月24日。
世間はクリスマスだなんだと浮き足立っている今日、俺にとってはただの休日だ。
最近の休みは、もっぱら引きこもって観られるだけ映画やドラマのDVDを観て、そしてひたすら朗読劇の練習をしていた。
少し前までは見られるだけファッション誌を見ていたけど、今や俺の仕事の7割は役者の仕事になっている。
モデルとしてやり切ったという感覚はないままだけど、特に未練はない。
金を稼げるなら何でもいい。その気持ちは幼い頃から変わっていない。
「ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で……」
ぶつぶつ台詞(というか本文)を口に出しながら、手帳をめくる。
以前カレー屋で見せられた『人気若手俳優による朗読会~明治・大正の文豪たち』という企画書の仮題は、“10代文学座 朗読劇 ~明治・大正の文豪たち~”という正式名になって事が進められていた。俺が担当することになったのは、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」。かろうじて名前とタイトルは知っていた。亜子さんに「どんな話か知ってる?」と聞かれて、「知らない。蜘蛛の巣にからまる話?」と適当に返したら、ドン引きした顔をしていたっけ。舞台の本番は来月だ。カレンダーの赤丸を見て少し焦りを感じつつ、手帳を閉じた。
その朗読劇で共演する俳優の人たちは、10代文学座というタイトル通り同世代ばかりだったけど、どうやらみんなライバル心の方が勝っているようで初回の顔合わせではあまり会話はなかった。唯一、以前巡と一緒にやった学園ドラマで共演した友達がいて、お互いほっとして挨拶を交わしたのが先月のこと。
「御釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、この陀多には蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報には、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと御考えになりました……」
台詞のつぶやきはそのままに、何となく携帯を操作して巡との会話画面を開く。
巡は今日、何やら親の会社主催のパーティーがあるらしい。
猫がゴロゴロしているスタンプを押してみるも返事が来ることはなくて、はあ、と溜め息が出た。
ちょうどそのとき携帯に着信が入って、呟いていた台詞が途切れる。
着信の名前を見ると、朗読劇で共演する友達だった。
『お疲れ様~。亮ちゃん練習してる~?』
「おつかれ。ん~まあぼちぼち」
『ね、ね、それよりさ!巡君すごいじゃん、見た?週刊誌!これホントなの?ゴメンな、俺結構ゴシップ好きでさ~!』
「…………え?」
週刊誌?
何のことだか分からなくて、言葉に詰まる。
『あ、知らない感じ?写メ撮って送ってやるよ!一回切るな!』
電話が切れてぼうっとしたまま画面を見ていると、すぐに数枚の写真が送られてきた。
暗がりで撮られたようではっきり顔が写っているわけではないが、一目見てこれは巡だと分かる。
『見た?見た?相手の子俺知らなかったけど検索したらけっこー可愛い子だった!』
「………へー…」
『あれ、あんま興味ない?まー男でゴシップ好きな方が珍しいか。亮ちゃん、巡君と仲良いでしょ?真相聞いといてよ!』
「あー、うん。聞けたらな」
『もちもち!じゃー次の稽古もがんばろー!お疲れ!』
「おつかれー……」
通話が切れて、トーク画面に戻ってまた写真が目に入る。
店から出て移動するところを撮られたようだった。女優さんをエスコートするように腰に手を回している、そんな写真。
……思ったより、平気だ。
この記事が本当かどうかも分からないし、別に本当だろうと嘘だろうと関係ない。
本当ならおめでとうと言ってやればいい。
嘘なら一緒に腹を立ててやればいい。
ただそれだけの話だ。うん、だから大丈夫。
ドクドクと嫌な速さで脈打つ心臓を静めようと、冷蔵庫の扉を開ける。
なぜか手に力が入らなくてうまく蓋を開けられず、少しだけイラついた。
その日は久しぶりに何も食べない一日だった。
*
「おはよー」
「おはよーございます」
25日早朝。
久しぶりにファッション誌の仕事。都内にあるオフィスビルでのロケは、始業前の時間を借りて撮影される。
社用車の後部座席に座った俺に、亜子さんがテンションの低い声で「そういえば」と話しだした。
いつも朝から元気な方の亜子さんだけど、さすがに年末で疲れているんだろうか。
「それ、その週刊誌見た?」
助手席の背面ポケットに、無造作につっこまれた雑誌。
なんとなく察知して、手に取るか一瞬迷ってやめた。
「……巡のやつ?」
「そ。私このやり方あんま好きじゃないわ」
「やり方?」
「あ、聞いてない?映画のプロモーションなんだって。一緒に載ってる子とのラブストーリーでね。撮影はまだ先らしいんだけど」
「え。じゃあこれガセ?」
「ガセもガセよ。ガセって言うかヤラセ?いくら宣伝とは言え、こんなやり方OKするなんて遠藤さんらしくない……」
映画のプロモーション……。
それを聞いて、頭のてっぺんからしゅうっと気が抜けて行くようだった。
なんだ仕事か。そうならそうと先に言っておいてくれればいいのに。
いや、別に前もって俺に報告しておく義務なんて巡にはないけど。
とにかく良かった。
このことで巡が落ち込んでいたりしたら、なんて声をかけてやろうとずっと考えていて、結局正解が見つからないままだったから。仕事の一環なら、週刊誌のことで騒がれようとあいつは飄々としているだろう。
「やっぱよく分かんないわ遠藤さん……」
亜子さんは、相変わらず疲れた声で呟いた。
「遠藤さん?なんで?」
「だってさー!!この前だって私が………」
「……?なに?」
「いや、ごめん何でもない。女子会ノリになっちゃった、ごめんごめん」
「ふーん?」
へらへらと手刀を切りながら謝る亜子さんに素っ気なく返事をして、現場につくまでまだ暗い外の景色をぼうっと眺めた。
俺がほっとしたのは、巡を気遣う必要がないと分かったからじゃない。
猶予が伸びたと勝手に安心したのだ。
……何の猶予かは、自分でもよく分からないけど。
*
「あっ、亮平さん!お疲れ様です」
「おー、おつかれ」
撮影後、打ち合わせのために会社に戻ると、渦中(かどうかは知らないけど)の巡が爽やかに出迎えた。
平常心平常心……と心でつぶやきながら挨拶を交わす。
「まだ仕事ですか?」
「今から打ち合わせ」
「そっか、何時までです?」
「軽くだから1時間もあれば終わると思うけど……」
「じゃあ待っててもいいですか?この前おいしいイタリアン見つけたんですよ!行きませんか?」
「マジ?行く行く。待ってて」
たまに思う。
いつも“おいしい店を見つけた”とにこにこして誘ってくれるけど、俺と行くよりその“好きな人”とやらを誘った方がいいんじゃないだろうか、と。それとも俺と行って雰囲気を確かめてから誘っているのだろうか?巡のことだから、そういう所は抜かりがなさそうではあるけれど。
「……巡ってよく分かんねえ」
「え?巡君?どしたの急に」
「だってさー!!おかしいんだよ大体………」
「?なに?」
「……何でもない。今一瞬亜子さんがマネージャーだってこと忘れてた、ごめんごめん」
「何よそれ失礼な!はい、これ目通して!」
「へーい」
なんとなく2人ともテンションが上がらないまま、打ち合わせは終わった。
俺はともかく、なんで亜子さんも溜め息ばかりついてるんだろう。
ふと、亜子さんの爪が短くなって色もなくなっていることに気付いた。
「……亜子さんフラれたの?」
「は!?何それなんで!?」
「ネイルなくなってるから」
「相変わらず目ざといわね……。別に、そういうのバカじゃねーのって言われて悔しかったからやめたのよ。人の心が分かんない仕事人間でほんっとムカつくわ!て言うか別にフラれてないし付き合ってもないけどね!!」
「え、じゃあ片想い?そんなヤツやめとけばいーのに」
「……私もすごくそう思う…」
はあ……とまた盛大に溜め息をつく亜子さんを見て、なんだか自分までテンションが下がってきた。
きっと以前なら茶化すようなことを言っていただろうなと思う。
今はもう、そんな気分には到底なれない。
「まあまあ、頑張ってよ。亜子さんには幸せになってほしいし」
「………!」
「そんなびっくりした顔しなくても」
「亮平、一緒に頑張ろうね……」
きっと仕事のことを言っているんだろうけど、俺にはそれ以外の部分も含まれているような気がして、「そうだね」と小さく返事をした。
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