＊ 「おつかれ」 「お疲れ様です！」 半個室のように薄いカーテンで囲われた席で、烏龍茶のグラスを2人でカチンと合わせる。 特にこれが食べたいというものもないので、メニューはいつも巡任せだ。 「ここのピザめちゃくちゃ美味しくないです？他のも食べてみたいな～」 「うん、うまい」 本格的な石窯で焼かれたピザと、クリームソースのパスタ。 それとシーザーサラダを2人でばくばくと食べ進め、気づけばテーブルにはデザートとコーヒーだけになっていた。 「そう言えばアレ見た、週刊誌」 なるべく普通に、なるべく気楽な感じで言ってみたけど、ちゃんと演技出来ていただろうか。 そんな心配をよそに、巡は「あぁ！あれですか」といつものように爽やかな笑顔で反応した。 「わりと下衆ですよね。まあでも注目されてナンボなところもありますから、仕方ないですよね」 ティラミスを機嫌良く食べながらそんなことを言うもんだから、俺の不機嫌の種が一気に芽を出す。 だってなんとなく、否定的な意見を言ってくれるものとばかり思っていたから。 「ふーん……。遠藤さんらしくないやり方だってうちのマネージャーが怒ってたけど」 「絹本さんですか？何であの人が怒るんですか」 「知らねーよそんなん」 「遠藤さんだって長いものに巻かれる時くらいあるでしょ。あの人はそんなことよりもっと先を見てますからね」 ティラミスを食べ終えたらしい巡は、そう言って満足そうにコーヒーをすすっている。 小さいイライラの芽をなんとか摘み取りながら、なるべく穏便に会話をしようと思うときに限って自分から墓穴を掘ってしまう。俺の悪い癖だ。 「ふーん。でもこれ、お前の好きな人が見たらショックなんじゃねえの」 「そりゃ本気にしてたらちゃんと説明しますよ。まあその必要はないっぽいんでいいですけど」 「……あ、そ」 なんだ、フォロー済みか。そりゃそうか。 そう思うとイライラの芽はしゅんとうなだれてしまって、枯れた。 そのあとはもう何だか悲しくなってしまって、巡の顔を見られないまま帰路に着いた。 だって、好きになったら好きになって欲しくなるだろ。 弱い俺は、巡といるとそう思ってしまって仕方なくなる。 “友達でいい”なんて、とんだ綺麗事だ。 友達なんていやだ。俺を特別にしてほしい。今よりもっと。終わりがないくらいずっと。 部屋に帰るといつも、そんな自分勝手で望みのない願いに嫌気が差して、熱いシャワーを浴びて自分を慰めた。 ＊ [newpage] . 年末は久しぶりに連休がもらえて、これまた久しぶりに部屋の大掃除なんかをした。 動いていないと気が滅入りそうだったし、なんだか色んなものを捨ててすっきりしたくなったから。 ……とは言っても、元々必要なもの以外はそう置いていないのだけど。 結局、机や棚のほこりを適当に落として、窓を室内側から拭いたくらいで掃除は終了した。 そしてそのついでに、ずっと迷っていたことをようやく決行した。 湊さんからもらった香水を、思い切って捨てた。 別に使っていたわけでもないし、大事にしていたわけでもないけど、何となく自分の中のけじめとしてそうした。 この前巡が気にしたような素振りをしていたし、後ろめたい要素をなるべく消してしまいたかったから。 まあそれは、誠意と呼ぶにはひとりよがり過ぎることだけれど。 ヘッドボードにその香水の姿がなくなったのを見て何となく過去を思い耽っていると、突然携帯が着信を知らせた。 一瞬緊張して画面を見る。 映った名前にほっとして、それまで考えていたことはすぐに消えていった。 「はいはい、お疲れさん」 『お疲れ様です。亮平さん今何してます？帰省してます？』 「いんやー自分ち。巡は？」 『今仕事納めてきました！というわけで二人で忘年会やりません？明日から家族でシンガポールなんで今日会いたくて』 今日まで仕事があったのかとか家族で海外旅行なんてすごいなとか、まあ色々言いたい事は思い付いたのだけど、それよりも“会いたくて”の言葉に心が躍ってしまって、秒速でOKした。 『おいしい惣菜ゲットしたんで亮平さんち行っていいですか？』 「は？！」 『あ、ダメでした？うち今親帰って来てて』 「あーいやいや、全然いいよ。今どこ？」 最寄駅のすぐ近くにあるこじゃれたスーパーまで行って、巡を待つ。 店で合流して、適当に飲み物や追加の食べ物を買い込んで、俺の部屋へ戻った。 「なんか綺麗になってますね」と言った巡に「いつも綺麗だわ」と軽口を叩きながら、心の中で今日大掃除をした自分を褒め称える。仕事が終わった安堵からか、なんとなく楽しそうな様子でいる巡にこっちも嬉しくなる。このくらいの適度な距離感であれば、あまり苦しくならずにいられる。 「芥川龍之介ですか！いいですね～俺もやってみたいな～こういうの」 「よくねーよ。本読みのとき他の人の聞いてて寝落ちそうだったわ」 「あはは！その亮平さん想像つきます」 朗読劇の台本をパラパラとめくる巡の横で俺はむしゃむしゃと生春巻きを頬張っている。 うまい。さすが、惣菜でも絶対外してこないのがこいつだ。 「漢字にふり仮名ふってあるの超かわいいんですけど」 「あ？バカにしてんのか」 「してませんよ！かわいいって言ってるんですー」 「なんだそれ……」 俺も単純だ。 ２個も年下の後輩にかわいいと言われて舞い上がってるなんて。 そのとき。 「亮平さん、最近体型いい感じじゃないです？相変わらず細いは細いですけど」 台本を見終わったらしい巡が、そう言いながら俺の肩から腕をするりと触る。 不意打ち過ぎて春巻きが喉に詰まって死ぬかと思った。 「お…っ前さあ……っ」 「ごめんなさい大丈夫ですか？」 咳き込む俺の背中をさする巡の手に余計ドキドキしてしまって、それは逆効果だということを伝えたくて腕で手を押し退けた。 「亮平さん？あ、お茶飲みますか？」 「……。巡さぁ…前から思ってたけど、こういうのあんましない方がいいんじゃねえの」 「こういうの？」 「なんつーか…スキンシップ？っていうか…よく触るだろお前。相手がその……好きな人ならいいけど、そうじゃない人にやっても勘違いされるだけだぞ」 あくまで一般論のつもりだった。 共演者やスタッフさん、それに学校でも、人と関わることなんてこれからも山ほどあるし、純粋に助言するつもりで言った。 でも、巡はにこやかな顔を崩さず言ったのだ。 「俺だって、好きでもない人は触りませんよ？」 ……正直ムカついた。 俺の言ったことが全然通じてない。 髪を掻きながら、「そういう事じゃねーって」と溜め息まじりに吐いた。 「じゃあどういう？」 「だから！その人に勘違いされるって話だろ！俺だって別にお前が嫌いな奴まで触るなんて思っちゃいねーよ。好きな人以外に触るのはどうなんだっつってんの！分け隔てないのもお前のいいところだけどさ、ちゃんと好きな人を特別にしてやれよ！」 ……言っていて虚しくなってきた。 だってその勘違いしそうな奴というのは、他でもない俺自身だから。 巡は少し考える素振りをして、さっきより少しだけトーンの低い声で言った。 「言い方を間違えました。俺、好きな人以外は触りませんよ」 真面目くさった顔でそんなことを言うもんだから、俺の中の不機嫌の芽が一気に爆発した。 かすかな期待を何度も押し殺してきた俺にとっては、いよいよ我慢の限界だったのだ。 「何だそれ！どの口が言ってんだよ無自覚かよ！勘弁してくれよこっちは……」 「…こっちは？」 「……なんでもない」 「亮平さん？えっ、ちょ…泣かないでくださいよ」 「はあ！？泣いてねえわフザけんな！」 大丈夫かと伸ばしてくれた手を払いながら、自分でも泣きそうになっていることを自覚する。 多分今、目ぇ真っ赤になってんだろうな。ダサいにも程がある。 つーか何やってんだ。怪しまれたら元も子もない。 バレたら友達でもいられなくなるかもしれない。 「……悪い。あの、なんでもない。ただもう俺に触ってくんなよ、女の嫉妬は怖いからな」 はは、と必死に愛想笑いして場を取り繕うけど、ふと顔を上げて巡の目を見て心臓が跳ねた。 相変わらず真面目な顔をして、その目が俺を見ていたから。群青の目に射抜かれた。 普段柔らかい表情が多いやつだからこそ、真剣な顔をしたときのギャップに当てられる。 カメラに向けたそれではなく、俺に向けたその顔が見たいと、思ったことも一度や二度ではない。 「亮平さん」 「なに……」 「勘違いするって、亮平さんがですか？」 「………！」 ……核心の５ミリ手前に突き刺さるその質問に、咄嗟に返事が出来なかった。 数秒見つめ合ってしまって、そのあとはっと我に返って目を逸らす。 そんな俺を、巡は逃がさなかった。 「それって、亮平さんが俺のこと好きって言ってるように聞こえますけど」 「な……、」 「勘違いするのが嫌ってそういうことじゃないです？」 じわじわと首を絞められていくような、崖っぷちに追い詰められていくような、そんな感覚がした。 だって逃げ場がない。巡を信じさせるくらい、否定する演技だって俺にはきっと出来ない。 一度引いていた苦しさがまた押し寄せて、じわりと目の奥が熱くなる。 やばい、泣いたらバレる。そう思えば思うほど、その熱はどんどん熱くなった。 「…………っ」 そうだよ、俺はお前が好きだよ。 勘違いするからやめてほしいのは俺だよ。 でも無理だって分かってるから黙ってるんだろ。 何で言わせようとするんだよ。言ってどうなるんだよ。 お前に同情で優しくされるなんて死んでもごめんだ。 「う………っ」 我慢していた涙がぼたぼたと玉になって落ちる。 苦しくて悲しくて、巡を失ってしまうかもれないのが怖くて、零れ落ちる涙を止められなかった。 その時、ふわりとあたたかい温度を感じて、顔を覆っていた腕を外した。 気付けば巡がやさしく抱きしめてくれていて、でもどんな顔をしてるかは分からない。 見えたのは、窓の向こうでちらちら舞っている粉雪だった。 「め……」 「ごめんなさい、泣かせるつもりは……。亮平さんごめん、ごめんなさい」 「いい…謝らなくていいから…。俺ちゃんと分かってるし……」 「そうじゃなくて」 少し強めに言う巡の腕に、ぐっと力が入る。 心臓が飛び出しそうだ。 離してほしい、という意味で背中を叩こうとしたけれど、手を回したところで止めてしまった。 最後に一度くらい、自分でもしがみついておきたかった。 「亮平さんです」 「……え？」 「俺が好きなのは、亮平さんなんです。ちょっと匂わせてたつもりでしたけど、本人なんだからそりゃ気づきませんよね……」 言われた瞬間、頭が真っ白になって理解が追いつかなかった。 巡は抱きしめていた腕をゆるめて、反応できない俺の顔を至近距離でまっすぐ見つめた。 「亮平さんのことが好きです。いつも真っすぐで、一生懸命で、ぶっきらぼうだけど本当はすごく優しくて、危なっかしいところもありますけど、でもだからこそ俺が見ていてあげたくて……。これからも亮平さんのそばにいたいです。俺があなたを支えて行きたいです。亮平さんは、どうですか……」 「…………ど、どうって…」 巡も俺を好き……。 それを何度か頭の中で咀嚼して、それでも理解は追いつかない。 それでも、ここでちゃんと言っておかないときっと一生後悔すると思った。 「俺……俺は、巡がちゃんと俺のこと見てくれようとするところとか、芝居がすごいところとか、作るご飯がおいしいとことか、俺のことやる気にさせてくれたり、お前といるともっと頑張ろうって思えるし、傷ついたときは甘えさせてくれたり、あとたまに腹黒なとことか、絶対頭ごなしに否定しないとか、優しいとか、カッコいいとか、色々…っ、何かもう色々あるけど、全部好きで……。巡の全部が、好き……っ、好きだ……」 途中から嗚咽になってしまって、酸素が足りないのか頭がぼうっとして自分でも何を言ってるか分からなくなった。 腹黒なとこ、という部分で巡がふっと顔を緩めて、その顔に心臓が痛くなった。 「ほんとにもう……亮平さんには敵いません」 「………？」 はあ…と溜め息をつくわりに、巡の顔はとても幸せそうで、俺の言葉でそうなっているのがとても不思議で、でもこれ以上ないくらい、嬉しいと思った。 「亮平さん、俺と一緒にいてくれますか？これからもずっと」 「………！そんなの、」 あたりまえだ。 その言葉を言い終わる前に、巡の肩に腕を回して力いっぱい抱きしめた。 「…すぐ嫌んなるとかナシだぞ……」 「ん？それは心外ですね。いやになんかなりませんよ。亮平さんのこと一生愛します」 「…っん、な………」 さらりとそんなことを言える巡の性格が信じられない。 赤くなっているのを見られたくなくて、首元に顔を埋めた。 「亮平さん」 名前を呼ばれて、ゆっくり身体が離れる。 ギリギリの距離で目が合って、巡はふわりと俺の髪を撫でた。 「巡」 「はい」 「……ありがとう…」 そう言うと、巡は少し驚いたような顔をして、そして優しく笑った。 そのままどちらからともなく目を閉じて、初めてキスをした。 ずっと心臓がうるさいし、ずっと夢見心地だ。 俺みたいなやつのどこがいいんだろう。 そう思うけど、そんなことは今さらどうでもいい気もした。 確かなことは、しびれるような愛しさとこの幸福感。 ＊ 「ではよいお年を。改めて、これからよろしくお願いします」 玄関でぺこっと頭を下げた巡を不機嫌に見つめる。 明日のフライトが早い時間だからと、余韻もそこそこに帰ってしまうらしい。 せっかく付き合えた日なのに……なんて不貞腐れてしまう俺は、まだまだ子供だ。 「親も年末年始しかまとまった休みが取れないので、よくこの時期に家族旅行するんですよ。お土産買ってきますね」 「……いつ帰ってくんだよ」 せっかくの休みなのにしばらく会えないなんて。 そんな幼稚な独占欲が申し訳なくて、空気をごまかすように髪を触った。 「……亮平さん、俺以外の前でそういう顔しないでくださいよ」 「はあ？どんな顔……っ」 溜め息を吐いてうなだれた巡に反論しようとしたのに、ぐいっと腕を引っ張られてキスをされた。 ああもう本当に、どこまでもキザな奴。 「４日には戻ります。連絡しますから、いい子で待ってて下さいね？」 「…～～っバカにしやがって……」 「ふふ、顔真っ赤ですよ」 「くっそムカつく……」 口悪く言ったって、巡は微塵も動じていないのだろう。 玄関で見送って、なんとなく名残惜しくてベランダに出てみる。 粉雪が舞い散る空を見上げて、白い息がふわりと昇っていく。 ふと目線を下げると、出て来た巡は迷いのない足取りで大通りへ向かって歩き出していた。 付き合ったのか、あいつと。 今付き合ってるのか。これからずっと……？ なんだか急にその実感が沸いて、また顔が熱くなった。 すると巡の足が止まって、ふいにこちらを見上げて目が合った。 いつもよりもっと柔らかな、それでいていつもよりもっと嬉しそうに巡が笑って手を振るもんだから、俺は何だか幸せすぎてほんの少し涙が滲んだんだ。 バイバイと手を振り合って、窓を閉める。 はあ…と浅く息を吐いて、にやける頬を触ったらひんやり冷たくて心地よかった。 幸せが怖いと思ったのは初めてだ。 巡はきっと、「大丈夫ですよ」と優しく笑ってくれるんだろう。 逆の立場だったら俺もそう言うだろうか。 想像してみたけど、巡はきっと怖いなんて言わないだろうなと思って少し可笑しかった。 誰かのことを考えて心がじんわりあたたかくなる感覚。 きっとこれが、愛ってやつなんだろう。 なんて、あいつの真似をしてキザなことを考えてみたりした。 ―0:00 Happy New Year. 今年も、巡にとっていい一年になりますように。 その隣に、俺がいられますように。 ―0:00 明けましておめでとうございます。 もちろん、ずっと傍にいてください。 今年もよろしくお願いします。My love.