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第3話 亜子さんの話-1
「絹本、これ講話社の伊藤さんに送っといて」
「はい」
「LUU編集部な」
「はい」
遠藤が手渡した書類を、亜子はノートパソコンから目線を離さずに受け取った。
自分の態度の悪さを気にしていられないほどイライラしていた。
亜子が思う自分の短所は、PMSに抗えない事。友人に薦められて症状を抑える市販薬を毎月飲んでいるにも関わらず、その効果はあまり実感できずにいる。
会議室で遠藤さんにキレてしまったのも、きっとこのせいだ。
あれから二日経ってもまだ彼を許せないのも、きっとこのせい。
亜子はそう保身して、講話社宛ての送り状を印刷した。
「もしもーし遠藤でーす。折り返しくださーい」
まったりのったりした低い声がオフィスに響く。
折り返しを待つ間に書類のひとつやふたつ送る手配くらい出来るじゃないか。苛立ちが抑えられず、乱暴に送り状を貼り付けた手がオフィスカウンターにぶつかる。
「いっ…たぁっ!」
じーんと痺れる痛みに耐えながら、またイライラが倍増していくのが分かる。
あぁもう。なんでこういう時に限ってツイてないことが重なるのだろう。
「亜子ちゃん大丈夫~?」
同じく荷物をカウンターに出しに来た紗也香がまるで心配していないような素振りで声をかける。そう言えばこの前言っていた都庁勤務の合コンはどうだったのだろう。ふとそのことを思い出したが、無駄話をする気にもなれず大丈夫ですと小さく頭を下げてへらりと愛想笑いをした。
「きぬもっちゃ~ん」
「はい!」
部長の安福に呼ばれて思わず声が大きくなった。
小さな事務所のため、部長とは名ばかりで、彼もみなと机を並べて同じような仕事をしているのだけど。
「あと遠藤も~」
「はいーっす」
大量の書類で埋まった亜子のデスクをちらりと横目で確認して、遠藤は思わず溜め息をついた。自分のことを仕事ができるなんて思うことはそうないけれど、それにしたって亜子の容量の悪さには正直呆れてしまう。まだ二年目だしという言い訳が通用するうちにもう少し成長してほしい、というのが遠藤の本音だ。
「えーっと、担当代えるから引き継いでって欲しいんだけど」
「え、誰ですか?」
「ナツメ」
ぽかんとした顔で亜子が質問したあと、答えられたのは現在遠藤が担当している女性モデルの名前だった。
「私が担当するってことですか?」
「そ。遠藤には来週から入る新人君を担当してもらうんでね。きぬもっちゃんイケる?」
「……イケないって言ったらどうにかなるんですか…」
「ん~?まぁどうにもならんね~」
「ですよね……」
請求書に自分の印鑑をリズムよく押しながら、安福は乾いた笑いをこぼしていた。
今以上に仕事が増えるのか……。亜子はげんなりした思いで、分かりましたと小さく言葉を返した。
「てことでヨロシク!あ、遠藤これ新城君の書類渡しとくわ。明日スターダム挨拶行くから。10時に恵比寿な」
「はーい」
一緒に呼ばれた遠藤には、なにやら分厚めのファイルが渡されていた。
この人が新人を担当するなんて珍しい。
亜子はそれが気になって、腹を立てていたことも忘れそのまま遠藤の席へついて行った。
切り替えが早いところは、亜子の長所だ。
「遠藤さん、新人君って」
「ちょっと前に俺がスカウトしたの」
「スカウト?!遠藤さんが?めずらしっ!でもスターダムって……」
安福が口にしたよその芸能事務所の名前を、亜子は聞き逃さなかった。
「ガキんときそこにいたんだと。辞めてもう何年も経つらしいけど、一応挨拶だけな」
「なるほど……」
「つーかナツメの引き継ぎやらな。いつがいい?お前今パンパンだろ」
「あー……」
そう言われ、振り返って自分のデスクを見る。山積みの書類が占拠しているのは、周りを見渡しても亜子の席だけだ。
「今日夜何か入ってます?」
「今日は内勤日」
「じゃあ20時くらいからいいですか?」
「はいよ」
「すみません、助かります」
そう言って軽く頭を下げると、遠藤は返事をせずにパソコンに向かった。ふと遠藤の広い背中を見て、亜子はつい不安な心の内を呟いていた。
「私がナツメちゃんの担当とか超プレッシャーなんですけど……」
遠藤はいつもの興味なさげな表情で振り返り、亜子に問いかける。
「新人のが良かったか?」
「そりゃまぁ……」
素直にそう答えると遠藤はまたパソコンに向き直り、背中越しにたしなめるように言った。
「お前に任せるにはデカい新人ってことだよ」
「……はい?」
「あ、電話。もしもーし」
携帯で話し始めてしまった遠藤の横顔を、亜子はコンマ数秒見つめてしまった。言葉の意味を理解して、心の中で全力で悪口を叫んで席に戻る。
仕事が回せていないことが一目瞭然の自分のデスクの上を見ると、さすがに気が滅入る。受け持ちの人数が他より多いとは言え、どうしてこんなに散らかってしまうのか。元々整理整頓は苦手な方だった。とりあえず簡単なものから片付けてしまおうと、今日おろしたてのスカイブルーのシャツをざっと腕まくりした。
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