5 / 22

第5話 仕事のやりかた

「………は?何それ」 「ごめん、私の力が及ばなかった」 「………」 卒業式から二ヶ月ほど経ったある日、亮平を事務所の会議室に呼び出した亜子はそう言って机に額がつきそうなほど頭を垂れた。 以前決まったファッション誌のレギュラー。Eitaも同じ雑誌のオーディションを受け亮平だけが合格し、カバーモデルを目標にしていた例の件。 先月号から、なぜかその雑誌にEitaがモデルとしてページにいるのを見て亮平は愕然とした。そして、亜子から非情な戦力外通告が言い渡される。 「最近入れてるモード系のページの評判が良くてこれからはそっちにシフトチェンジしてくみたいで。それには依伊汰の方がイメージ合ってるって言われた」 謝罪をしながらも、淡々とその理由を告げる亜子。 今、間違いなく亜子は凛々しいマネージャーの顔をしている。 「……俺だってやらせてもらえば出来るよ、出来るようにする」 「分かってる。私も戦ったけど、これが折衷案なのよ。よその事務所の子を入れるって言われる前に折れるしかなかったの。本当にごめん。亮平がダメだったわけじゃないからそこは自信なくさないで欲しい」 「……~~っ」 自信なんてなくすものか。自分にはそれしかない。 それに、亜子が尽力してくれたであろうことも想像に難くない。 それでも、どうにも心の折り合いがつかずに亮平は無言で隣にあった椅子を思いっきり蹴り飛ばした。キャスター付きのそれはカーペットの凹みに躓いて勢いよく倒れ、その大きな音に亜子は思わず肩をすくませる。 「考えよう。有村亮平はどのジャンルでもいけるって思わせる為にどうすればいいか。研究しよう?私も考える」 そう言って、ドサッと大量の資料が亮平の前に置かれる。厚さ15センチはありそうなA4コピー用紙の束。それは、今まで出たことがない、出ることもないだろうと思っていた雑誌や広告のコピーだった。それを見て、亮平は舌打ちをして亜子を睨みつける。 「亜子ちゃんって本っ当バカだよね……」 「………う、ごめん」 ちゃん付けで呼ぶのは、亮平がイラついている証拠。 また間違えたか。亜子がそう思って俯くと、亮平はコピー用紙の束を持って立ち上がった。 「りょーへー、」 「帰って見るから」 「………」 「……ありがとね。お疲れ様」 背中を向けたままそう言われ、亜子は「お疲れ様」と返事をするのを忘れていた。 以前なら、もっと悪態をついてEitaにも口撃していただろうに。 亜子には、亮平が少しずつ大人になろうともがいているように見えて、その葛藤がとても切なく感じた。 ◇ 「お前の机は何でこういつもいつも汚いんだよ!」 「仕方ないじゃないですかー!経費申請の紙だけで何十枚あると思ってんですか!」 「そんなモン帰社して数秒で作れるだろうが!」 「帰って来たらすぐ雑用言いつけてくるの遠藤さんでしょ!佐川送るのくらい自分でやってくださいよ!」 「口ごたえしてるヒマあんなら書類片付けろバーカ!」 「バカって言う方がバカなんですー!」 ぎゃーぎゃーと二人が言い合っているのを、部長の安福含め社員全員呆れたように横目で見ていた。ナツメの仕事を引き継ぐに当たって二人のやり取りが多くなり、それに伴い遠藤も亜子のペースに巻き込まれるようになっていた。いつも冷静沈着な遠藤も、イラつきが限界を超えると子どもっぽい言い合いもするのかと、亜子を含め他の社員も初めて知った。 「一応今決まってる仕事はそんなもんかな」 「ナツメちゃんすごいですね……」 ―23:15。 いつの間にか誰もいなくなった事務所で、今日も引き継ぎが行われていた。 遠藤と今後のスケジュールを確認し、いつの間にか何ヶ月も先に進んだカレンダーを見て亜子はため息をついた。それは、驚きと感動を伴うポジティブなもの。 「ナツメはこれから稼ぎ頭になるぞ」 「へえ……?」 遠藤が嬉しそうにそう言うのを見て、亜子は少しの違和感を覚える。でもその正体が自分でも分からなくて、言葉にはしなかった。 「よーし、今日は終わり。明日朝6時に新木場な」 「はい」 引き継ぎの挨拶回りのため、明日は遠藤に同行することになっていた。 雑誌の撮影は早朝が多く、そのため集合時間も必然的に早くなる。 ふ~と深呼吸し、もらった書類をトントンとまとめる。遠藤が経費申請の書類作成を手伝ってくれたおかげで、机の上はすっかり綺麗になっていた。 「お前さぁ、優先順位の付け方もっかい考えろよ。太一とかに聞いてさ。書類溜めるのは本当に良くないから」 太一とは、亜子と同世代の社員だ。新卒入社のため太一の方が亜子より先輩ではあるのだが、一番年齢が近い分、気軽に話せる間柄である。実際、互いを「太一」「亜子」と呼び捨てで呼んでいる。 「太一ですか?なんで?遠藤さんは教えてくれないんですか?」 何の気なしに亜子がそう答えたのを聞いて、遠藤は驚いたような顔をした。 「や、俺に教えられんのイヤだろうなと思って」 「はー?何でですか?」 「だってお前俺のこと嫌いだろ」 あっけらかんと核心をつくようなことを言う遠藤に、亜子はごまかす余裕もなく固まってしまった。ええ、嫌いです。とはさすがに冗談でも言えない。 「………そんな、嫌いなんて、あの、その、えっと……」 「あはははっ!おいフォロー下手くそか!」 しどろもどろの亜子の様子に、遠藤は腹を抱えて笑った。白い歯を見せて大きく笑う姿を、亜子はこの時初めて見た。この人も普段から怖いわけではないんだなと当たり前のことに気づいて、何だか不思議なものを見ている気分だった。 「メシどうする?」 「あー、どうしましょ?」 「牛丼でいっか」 「超OKです!」 亜子たちの事務所が入っているビルの一階には全国チェーンの牛丼屋が入っていて、残業して遅くなるとよく社員同士で食べに行っている。朝早い仕事が多いため、翌日が休みの日でないと付き合い以外ではよっぽど飲みには行かない。 その日も、亜子と遠藤はカウンターに並んで座り、二人して牛丼大盛りつゆだくをかき込んだ。 「前から思ってたけどお前よく食うよな」 亜子の空っぽの丼を見て、遠藤がおもむろにつぶやく。 「私子供のころから大食いキャラなんですよ」 「へえ」 興味があるのかないのか、それだけ答えて遠藤は店員に会計を頼み、二人分の支払いを済ませた。 「ごちそうさまです」 「はいよ」 当然のように亜子が奢られているが、押し問答をしたことがないわけではない。以前何度か「払いますよ」と食い下がった時、「千円未満でそういうのはいらん!」とキレられて以来財布を出すのをやめたのだった。気を使ってるのになぜキレられなければいけないのかと、その時もかなり腹が立った覚えがある。 駅までの道すがら、遠藤は亮平のことを口にした。 「あれ、亮平に言った?」 「……?あ、Thalassaですか?言いましたよ。相当ショック受けてました」 「だろうなぁ……」 口寂しいのか、遠藤が鞄からキシリトールの粒ガムを取り出し口内へ放り込む。 それを横目で見ながら、亜子は素直に問いかけた。 「遠藤さん的に、こういうときってどう思うんですか?」 「ん~…別に、どうも思わない。“ハイ、そーゆー結果ね”ってだけかな」 「ふーん……」 さすが、やっぱりこういうところは冷静で冷酷だなと、亜子はいつもより大きい歩幅で歩きながら思う。 「でも、俺が亮平の担当だったら違うかも」 「え?」 「多分な」 「どう思うんですか?」 「お前と似たようなことだよ」 言い終わったあとちょうど地下鉄の出口に着いて、遠藤は「お疲れさん」と言い残してさっさとタクシーに乗り、走り去ってしまった。 こんな所より、さっきの牛丼屋の前でタクシーを捕まえれば良かったのに。 そう思ったすぐあとで、あぁここまで送ってくれたのかと気付いてまた苛立ちの種が撒かれる。送る優しさなんて全く必要ない。聞きたい答えだってはぐらかされてしまった。 (私がどう思ってるかなんて、遠藤さんには分からないでしょ) 亜子は脱力感を逃がすために小さく深呼吸をして、地下鉄へと続く階段を駆け下りていった。

ともだちにシェアしよう!