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第6話 出会い

「新城……円?これで“めぐる”って読むの?」 「そうらしいですよ。珍しいですよね」 「あ、でも一発変換で出るわ。本名のまま?」 「漢字変えます。えーと、何だっけ。神が生きるに…めぐるはあの~…くが3つのやつ」 「こう?」 沙也香が打ち込んだパソコン画面を亜子に見せる。 “神生巡” あの大型新人の芸名だ。 新しく所属が決まると、登録用紙に必要事項を書き入れ会社のデータに入力する必要があり、本来担当マネージャーの遠藤がその作業を沙也香とやるのが普通なのだが、今日も今日とてその雑用は亜子に押し付けられていた。 「遠藤さんってナツメ離したのにまだ忙しいの?」 「わっっかんないです。でも今日は依伊汰の撮影行ってるみたいですよ」 「あ!ねえねえ亮平と依伊汰の件どうなったの?本人に何か聞いた?」 「聞いてませんよ、諦めました」 「えーっ!つまんないの!」 まさか亮平から聞いたことを沙也香にそのまま言うわけにもいかず、亜子はそう嘘をついた。この人に言ったら多分速攻で社員全員に噂が回りそうな気がしたから。話を変えようと、亜子は沙也香を急かして巡のデータ入力を進ませた。 亮平の話になったとき黒川理香が一瞬こちらを見たような気配を感じたが、気付かないふりを決め込んだ。彼女にだけは、あとでちゃんとお礼を言わなければ。亮平から話を聞いたあと亜子はずっとそう思っていたのに、タイミングを掴めないままずいぶん時間が過ぎてしまっていた。 「しっかし、何か仰々しい字面ね。社長にしては珍しくない?」 「そうですか?何かオーラがあってカッコいいですよ」 「亜子ちゃんとは趣味合わないな~。私はえーたみたいにローマ字表記のシンプルな方が好き」 Eitaの芸名は、本名のままだと馴染みがない漢字であることと、苗字も長いからという理由ですんなり決まったらしい。巡の芸名がこれになった理由は亜子には分からないが、一目見て素敵な名前だと思った。 「私観てたわ~“リリーとワルツを”!懐かしいな~。あの頃は天才天使子役とか言われてて、しかも超~~~可愛かったのよ!」 沙也香の向かいの席のおばさま…もとい、妙齢のお姉さん事務員である井口塔子が割って入る。 巡は子供の頃に出演したそのドラマで、天才子役として一世を風靡したことがある。いつの間にか活動を辞めていて、その存在はすぐに忘れられてしまったのだけれど。 そんな彼がまた芸能活動を始めるというのだから、なるほど大型新人と言われる所以も分からないではない。亜子は子役の話を聞いたとき、ようやく遠藤の話と合点がいった。 「「へえ~」」 「えっ、亜子ちゃんも沙也香ちゃんも知らないの?!原作の小説もめっちゃいいのよ!」 「私そのときちょうど留学してたから……」 「私は子役の出るようなドラマは全く興味なかったんで~」 「亜子ちゃんは仕方ないわ。沙也香ちゃんアンタはもっと爽やかなドラマも観なさい」 「えー!ドロドロしてないと面白くないです!」 「あーそうね。言った私がバカだった。ね、亜子ちゃん、小説貸してあげようか?超泣けるよ」 「あ、読みたいです!」 「オッケー、明日持ってきてあげる!」 塔子はニカっと笑って、左の指でマルを作ってみせた。 そしてこの数日後、打ち合わせのため事務所に出社していた亮平と巡が、初めて顔を合わせることとなる。 「亮平!ちょっといいか?」 数日前に社内に設置されたデロンギのコーヒーメーカーの使い方を沙也香から教わっていた亮平が、自分の名前を呼ばれてくるりと振り返る。 遠藤の隣に、見覚えのない若い顔。 あぁ、噂の大型新人か。 亮平は、巡の綺麗な顔立ちを見てすぐに気づいた。 「コーヒー入れといたげる。ミルクと砂糖は?」 「ありがと!有り有りで」 「了解」 「有村亮平な。お前の二個上で、Eitaと同期。亮平、こっちこないだ入った神生巡。色々教えてやって」 「初めまして、神生です。よろしくお願いします」 「有村です、よろしくお願いします」 社外の仕事に関わる人であればとびきりの営業スマイルで対応するのだが、社内のしかも後輩となればその気遣いもいらないだろう。亮平は、特に作った顔をするわけでもなく巡と握手を交わした。対して巡は、ごく自然に口角を上げ、両手で亮平の手を取った。 (……爽やか君ってこんな感じか) 最近読んだ漫画に出てきたそのフレーズを思い出し、巡はまさにそのタイプだと亮平は思った。 「……お前ら並ぶと見栄えいいな」 遠藤が独り言のように呟く。 聞き取れなかった亮平は、「なに?」と聞き返したが、遠藤は二人をじっと見るだけで質問には答えなかった。 「なんて?」 亮平が質問の矛先を巡に移す。 「並ぶと見栄えいいって……」 「ああ、この人そういうの多いんだわ。無視無視」 「あ、はい」 顔の横で気がないふうに片手を振る。そんなことより、と話を変えた。 「神生君は何志望なの?」 「役者です」 淀みなく言い切る巡を、亮平は少し見直した。 とりあえずバイト代わりで、なんて言われた日にはそこで心のシャッターを下ろすところだった。 「そう、頑張って」 「ありがとうございます。有村さんはモデルに絞ってるんですか?」 「いや全然。仕事があるなら何でもやるって感じ。あと亮平でいいよ」 「亮平さん……」 「じゃ」 「あ、あの。俺も、名前で呼んでください」 その言葉には返事をせず、ふわりと手を振って亮平はコーヒーメーカーの所へと戻って行った。コーヒーを用意してくれていた沙也香に笑顔で礼を言う亮平を見て、巡はなんとなくその性格が見えた気がした。 自分のパーソナルスペースは不用意に広げない。人付き合いもまた然り。 亮平とはそういう人間だ。 「沙也香さん、あいつの本名何?」 「え?あいつ?あ、巡君?」 「そう」 「これこれ。これでメグルって読むんだって」 「……へー。変わってんね」 「ねー」 沙也香がパソコンの中のデータ画面を見せる。その時ようやく、亮平は巡のことを心に留めた。 「ふーん……」 朱華色(はねずいろ)の髪を一瞥してすぐ、興味がなくなったように亮平は近くのソファに沈み、スマホのゲームに目線を落とした。 「亮平!!りょーへー!!ヤバイ!!やばーーーい!!!」 そのとき、転がるように事務所に入ってきたのは亜子だった。 「はっ?!亜子さん?!」 汗だくで髪も顔もスーツもぐしゃぐしゃの亜子を見て、亮平は笑うより先に驚きの声を上げた。 「やばいよヤバイ!!!」 「何が?」 「決まったの!!!」 「だから何が?!」 「この前の!!!ドラマの!!!オーディション!!!」 「え……」 「堺湊主演のドラマの!!準主役!!亮平に決まったって!!!!!」 「え…………えええええええぇええ!!!!!!??」 ダメ元で受けていた連続ドラマのオーディション。 受けていたことさえ忘れていたくらい、まさかまさかの結果だった。 「亜子さんマジで……?」 「マジだよ!来たね…来た!亮平の時代来るよ!!!」 亜子は無理やり亮平の手を取ってブンブンと大げさに振った。 この瞬間が、マネージャーとしての最大の醍醐味だと亜子は初めて感じた。 テンションが上がる事務所の中、亮平の運命の歯車が動き出したことに気付く者は誰もいなかった。それはもちろん、彼自身も。 そして巡は、目の前で繰り広げられる歓喜の瞬間をどこか冷めたような気持ちで眺めていた。 つづく

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