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第7話 新しい仕事-1
「大きな声でハキハキとね!ちゃんと目を見て挨拶するのよ!」
「俺はどこのガキだっつーの。亜子さん緊張しすぎ」
「私は緊張しない亮平の方がおかしいと思う……」
電車の乗車口の手すりにもたれかかり、キリキリと痛む胃を何度もさする亜子を横目に、亮平は鼻歌まじりで外のビル群を眺めていた。
今日は亮平の出演が決まったドラマの初顔合わせだ。
< 出演者 >
陣野 悟 ……… 堺 湊
木原 サキ ……… 有村 亮平
数日前に事務所に届いた台本の2ページ目の見開き。
二番目に亮平の名前が載っているのを見て、亜子は思わずプライベート用の携帯で写真を撮った。もちろん、他の社員にはバレないよう会議室に持ち込んで。
それほどに嬉しかった。人生苦あれば楽ありだ。雑誌の専属モデルを切られたことさえ布石であったと思えるくらい、何としてもこのチャンスを掴まねばと亜子は思っていた。
何と言っても主演があの堺湊である。それだけでこのドラマの注目度が高くないはずがない。
湊は、近頃ドラマや映画に引っ張りだこになっている劇団出身の俳優である。
年齢38歳。
慶央大学理工学部を中退して劇団に入ったというバックグラウンドが一時期話題になったこともあり、番宣のためにバラエティに出ればそれなりにトークも出来るような器用な人物だ。
亮平はもともとこの湊のファンだった。4年前に見た、戦争を題材にした映画。兵士役で主演を務めていたのが湊だった。その映画は日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞し、同時に湊は主演男優賞を獲った。彼の気迫溢れる演技は、映画館の大きなスクリーンでも負けないくらい圧巻で、亮平は売店で買ったレモンソーダを飲むことも忘れて彼の演技に釘付けになった。
そして今回のドラマは、湊がこれまで培ってきたアクション技術をふんだんに取り入れた探偵モノだ。
物語は、亮平演じる木原サキがある事件の重要参考人になってしまうところから始まる。
「~~っだから!俺じゃねえって何回言えば分かんだよこの天パ野郎!!」
「てっ…。……ねえ、キミさ、今から俺に助けてもらおうって立場分かってんの?このまま警察に突き出してもいいんだよ?」
「………っ。すんません……」
「よしよし、良い子だね。じゃあ~……あれ、名前なんだっけ」
「木原」
「ファーストネーム聞いてんでしょうが。テンポ悪いな~キミ」
「ちっ。ンなこと分かるかよ…」
「え?なんて?」
「……サキ!」
「サキちゃんね。あのさ、助けてあげる代わりに、ここで一緒に働かない?」
「…は?」
そして二人は一緒に探偵事務所を切り盛りして行くことになる。様々なピンチを乗り越えながら、依頼された事件や事故の謎を解決していく一話完結のドラマ。主人公の悟は惚れっぽい性格で、ドラマの最後はいつも依頼人にフラれた悟をサキが慰める…というありがちな展開だ。
一話目の台本の読み合わせを終え、ただ見ていただけのはずの亜子は何故かどっと疲れを感じていた。チョイ役レベルでは何度もドラマ出演はしていたものの、ここまで出ずっぱり喋りっぱなしの役は亮平にとって初めてだ。演技だって湊に比べれば見ていられないほど稚拙で、もっとレッスンを受けさせておけばよかったと後悔もした。亮平も同じように思ったようで、休憩中飲み物を取りに来たときに小声で亜子に泣きごとをもらした。
「さすがにこの空気俺もキツイ…恥ずかしい……」
「ごめん上手いフォローが全然思いつかないけどとりあえずあとちょっと頑張って……」
「それ一番傷つくから……」
はあ、と一度溜め息をついてから、カバンから取り出した水を豪快に飲み込む。亮平は常に水分を取るのがクセで、その重量も気にせず毎日カバンの中には何本ものペットボトルが入れられている。
その時、背中から低く伸びのいい声が亮平の役名を呼んだ。
「サキちゃーん。お疲れ様」
「~~っっっ!」
肩にポンと手を置かれ、驚いた亮平は喉に水をつかえてゲホゲホと咳こんでしまった。
亜子がお疲れ様です!と深くお辞儀をすると、湊は爽やかな笑顔で挨拶を返した。
「あっ、お疲れ様ですっ、あの、俺全然出来なくてホント、すみません……っ」
亜子が慌てて亮平の手からペットボトルを奪うと、亮平は先ほどの力不足を謝罪し頭を下げた。湊はその爽やかな笑顔を崩さず、いやいやと亮平を気遣った。
「これからよろしくね。て言うかサキちゃん細っこいから心配だよ~ドラマは体力勝負なとこあるからね、バテちゃわないようにね」
「はいっ、あのっ、勉強させてもらいます!」
「あははっ、可愛いなぁ~。俺もこんな時代があったのかな~」
一挙手一投足が必死な亮平を見て、湊は過去を懐かしむように笑った。プライドの高い亮平も、自分が湊の足元にも及ばないのが分かるからその態度を不満に思う事もない。目の前にいる憧れの人物に幻滅されないようにしたいと、それだけを思っていた。
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