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第8話 新しい仕事-2

ようやく全ての予定が終わり、亜子と亮平はぐったりした面持ちで帰りのJRへ乗り込んだ。 前回の反省を踏まえて、亜子は亮平の隣ではなく対面の席へ座る。 二人とも携帯をいじる元気もなく、会社の最寄り駅まで浅い眠りに落ちた。 事務所に戻り軽く今後のスケジュールを確認したあと、亜子はすぐさま演技指導をしてもらっている先生へ電話し、レッスンをつけてくれるよう頼み込んだ。 一方亮平は、今日の気疲れからかソファに沈み込んで動けずにいた。 そのとき、目の前にぽんとコーヒーがひとつ置かれる。 目線を上げると、置かれたプラカップと同じものを持った巡が向こうへ行こうとしていて、亮平は思わず呼びとめた。 「ねえ、」 呼びとめられたことに驚いた顔をして、巡は亮平と目を合わせる。 「すみません、いらなかったら置いといて下さい」 「もらうもらう。でもミルクと砂糖欲しい」 「あ、はい」 行きかけた歩を戻し、コーヒーメーカーの横に常備されたミルクと砂糖とマドラーを取る。 それを渡すタイミングで、結局巡は亮平と対面するようにソファに座った。 「巡君はドラマ慣れてるんだっけ。いいな~」 「慣れてないですよ、最後に出たのももう何年も前ですし」 「それにしたってさ~」 ぐぐーっと伸びをして、亮平はミルクと砂糖を入れたコーヒーをすすった。 「あの、」 「なに?」 「今日、午前中Eitaさんと撮影だったんですけど」 その名前を聞いて、亮平の表情がわずかに固まる。 きっとThalassaの撮影だ。 勝手にそう決めつけて、亮平の不機嫌のスイッチが入った。ドラマが決まったことと、雑誌の契約を切られたことは亮平の中では全く繋がっていない。やれるものなら両方やりたかった。 「なんか、掴みどころないですよね。Eitaさんって」 「……掴むとこがあるような中身のある奴じゃねえよ」 「?どういう…?」 「あいつコネだから」 残ったコーヒーをぐいっと飲み干し、カップを片付けるため亮平が立ち上がる。 「そうなんですか?」 「ま、この業界そんな奴ゴマンといるけどな」 「……だから何か雰囲気が生ぬるいんですね」 もちろん巡が100%そう思っていたわけではない。半分はカマかけだ。巡は人の本心を見抜く力に長けていた。別に特別な能力があるわけではない。幼いころから大人の世界にいたせいで、透けて見える他人の心を読めるようになっていただけだ。 「巡君さすがだね。分かってんじゃん」 亮平の声のテンションが少しだけ上がったのを、巡は鋭く勘づいた。やっぱりこの人は彼が嫌いなのだ。それが分かって、少しだけほっとする。掴みどころのないEitaより、人間らしさが見える亮平の方が安心できたから。 「あの、呼び捨てでいいですよ」 「そう?じゃあそうするわ」 自分が嫌っている相手に自分と同じ感じ方をしていたと知って、亮平は一気に巡に心を開いた。それはあまりにも単純で幼稚な理由だが、仕事以外の部分ではまだ幼い精神の亮平には充分な理由だった。 カップを片付けたあとソファに置いてあるカバンを取って帰り支度をしている時、溜め息混じりに「雑草は雑草らしく頑張んないとね~」とつぶやいた。そこまで言って、あっ、という顔をして巡に視線をうつす。 「巡もコネだったらゴメン」 その言葉の中身が可笑しくて、巡は思わず笑ってしまった。 「俺も雑草育ちなんで大丈夫ですよ」 「そりゃよかった。俺帰るけど、巡は?打ち合わせ?」 「いえ、俺も帰ります」 「どっかメシ行く?」 「いいんですか?行きます!」 その返答に笑顔を返した亮平を見て、巡はまた安心した。 亮平が心を開いてくれたことと、話せる先輩が出来たことふたつに。 「亜子さーん、回復したから帰るわ~」 「あ、うん!お疲れ様!明日9時からレッスン入れたからね!」 「はーい、お疲れ様でーす」 事務所の最寄駅そばにある全国チェーンのハンバーグレストランに入った二人は、たくさんの話をした。 と言っても、主に亮平が一人で喋っているのを巡がうんうんと相槌を打つばかりだったのだが。 ハンバーグを食べ終わる頃には、巡は亮平の家族構成や今までの仕事のこと、そして今後のこと、仕事の中身よりとりあえず稼ぎたいのだということを知るまでになった。巡も同じように家族の話や過去の子役時代のことを少し話したが、亮平がきちんと聞いていたかは定かではない。ただ、家の話をしたときに「なんだ巡んとこも金持ちかよ」と伏し目がちに言われ、ほんの少し後悔した。「親が金持ってたって仕方ないですよ」と言ってみても、亮平は「持ってないよりいいだろ」と薄く笑うだけだった。亮平がすぐに別の話題に移したためにその表情の真意は分からなかったが、片親というだけあって意外と苦労人なのだろうかと巡は思慮した。 「じゃ、お疲れ」 「ごちそうさまでした、失礼します」 「うい~」 巡の挨拶に適当に返事をして、亮平は反対側のホームへ続く階段を上がって行く。 久しぶりに気兼ねなく喋りまくってストレスが発散されたのか、亮平は先ほどの顔合わせの緊張も忘れて上機嫌で電車に乗り込んだ。 ◇ 「陣野悟役 堺湊さん、木原サキ役 有村陵平さんクランクインでーーすよろしくお願いしまーーーす!」 ADがそう声を張ると、その場にいるスタッフ全員が拍手で二人を迎える。360度何度も頭を下げながら輪の中へ入る亮平を見て、湊はくっくっと笑いを堪えていた。 「緊張してる?」 ふいに湊に声をかけられ、思わずビクついた亮平はぶんぶんと勢いよく首を振った。 性格的なものなのか、亮平はどんな仕事にも緊張するという感覚を持ったことはない。ただこの時は、緊張こそしていないもののどこか身体が硬くなるような高揚感を感じていた。素直にそう言うと、湊はぶはっと笑って「それが緊張だよ!」とバシバシと亮平の肩を叩いた。 「私ナツメちゃんの現場行かなきゃなんだけど亮平どうする?車だし送ろうか?」 「いい。見学してく」 「そ、迷惑にならないようにね。お疲れ様!」 「お疲れ様~」 自分の出番が終わり、私服に着替えた亮平はまたスタジオへと戻っていく。亮平には控え室で着替えるこの数分も惜しく感じていた。目の前でくるくると変わる湊の表情を、言葉を、すべて見たいし聞きたいと思った。そして、すべてを吸収してやるとも。 出入り口すぐそばの壁際で、カメラの奥にいる湊を見逃さないようにじっと見つめる。どうすれば自分もあんなふうになれるんだろう。そのヒントを見つけたかった。 「なんで俺のこと睨んでんの?」 「はっ?!あっ、お疲れ様です!全然ッ、睨んでないですよ?!」 休憩に入った湊が、亮平に意地悪な笑顔で声をかける。亮平が慌てて訂正すると、小さく笑いながら控え室へと消えていった。スタジオの中は、次のシーンの撮影のためにたくさんのスタッフがせわしなく動き回っている。今ここにいる人数の、何倍の人がこの仕事に関わっているんだろう。ふとそんな当たり前なことに意識がいって、亮平はぞっとした。自分がこんなところにいていいのだろうか。いつも自信満々な亮平もそう思わずにはいられないほど不安な気持ちになり、無意識に下唇をぐっと噛み締めていた。 「有村君」 その時、声を掛けてきたのは湊のマネージャーだった。 「はい!」 「堺が呼んでるから行ってきて」 来た。と思った。 絶対に自分の演技のダメ出しだ。落ち込んでいたテンションがさらに落ちるのを感じながら、待たせるわけにはいかないと小走りで湊の控え室へと赴く。 ノックをする勇気を作るまで5秒かかった。意を決してコンコンと2回音を鳴らすと、「はーい」とゆったりした声がした。 「有村です、失礼します……」 「あっ、来た来た」 控え室に用意してあった弁当を食べながら、湊は来い来いと手招きをして亮平を迎え入れる。小上がりの形になった9畳ほどの部屋の中。 扉のところで立ち尽くしている亮平を見て、湊は「座んなよ」と声をかけた。 何を言われるのか戦々恐々としている亮平の表情はガチガチに固まっていたけれど、そんなことお構いなしに湊はタルタルソースのかかったエビフライを頬ぼっている。 「サキちゃんさ、」 「……はい」 「今日夜時間ある?」 「はい、……はい?」 「イイトコ連れてってあげる」 にっと笑う湊の口の端にタルタルソースが付いているのを、亮平は指摘することもできずじっと見つめるだけだった。

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